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麒麟が来た #2

続きです。

☆ 麒麟が来た 2


(……あれは、なんだったんだ?)

考えれば考えるほど、昨夜目にしたものが、現実離れてしていた事実に首を傾げる。

しかしはっきりと姿を思い出せる。目に焼き付いている。あれは「現実」だった。

「幻覚なんじゃないの?」

と言われても、僕はそれに対して「現実です」と、真っ向から反論できる。それほど、疑いようのない現実の動物だった。

燃えるような色の毛。長い尻尾。鹿でも犬でも山羊でも猿でもない。

(麒麟…)

漠然と、そう思った。

2020年。ちょうど大河ドラマで「麒麟が来る」というドラマがやっていた。

2019年に自分の書籍を出版した時の担当編集者は、いつだか「これからは龍でも鳳凰でもなく、麒麟がブームになるかも!」なんて言っていたのを思い出す。

インターネットで、麒麟を検索する。

有名なのがビールメーカーのロゴの麒麟。他にも、ユニコーンのような描写もある。しかし、僕が見た動物とは違う。

(麒麟じゃあないのか…)

となると、本当に何の動物だったのか謎である。妖怪やもののけの類だろうか?

しかしいくつかサイトを見ていると、古代中国、春秋時代の聖人「孔子」関連から、古い絵が出てきた。

(これだ…!)

間違いない。この動物だ。やはりあれは麒麟だったんだ。

それは平和の象徴の聖獣であり、瑞兆とされる。

ちなみに、僕は孔子など、古代中国思想には大きな影響を受けているので、この逸話は知っていた。

孔子の祖国「魯」という国で、不思議な動物が捕らえられた、という伝説だ。

哀公14年(紀元前481年。孔子71歳)、魯の大野沢(だいやたく)で狩りで、見たことのない気味の悪い生物を鉏商(しょしょう)を捕えた。その生物を見た孔子は、それが太平の世に現れるという聖獣「麟」(麒麟の雌)であると知り、衝撃を受けた。太平とは程遠い時代に、本来は現れない麟が現れた上に、吉兆である麟を捕まえた人々が、その姿を見て、「気味が悪い」「不気味だ」、さらに「不吉だ」「悪いことが起こる」と恐れたと聞き、孔子は「私が今までやってきたことは、一体、何だったのだろうか」「私を理解できる愛弟子・顔回が死んで、私を理解できる人はいなくなり、私を理解できるのは天だけだ」と虚しくなり、筆を置いたのだという。

『春秋左氏伝』より 参考note

魯の国に麒麟が現れ捕らえた人々が麒麟を知らずに気味悪がって打ち捨ててしまったので、孔子は嘆き悲しんだという。そして自分が整理してきた魯の歴史記録を打ち切ったとされる。

この故事は少し悲しい話だが、本来は麒麟は世が太平になる時に現れる『神獣』だ。

しかし、そんな伝説上の聖なる生き物がまさか自分の家の近所で? しかも屋根の上?

冒頭に書いたけど、その手の不思議なものを何度も見たことがある。

しかし、今回見た麒麟は、あまりに、あまりにも現実すぎて、あまりにも確実なものすぎて、それが逆に僕の現実感覚を混乱させた。

今までその手の類を目にした時は、例えば静寂に包まれた寺院だったり、山の中だったり、神秘的な湖とか、いわゆるパワースポットのような場所で、もしくは自分の意識状態が変性意識と呼ばれる状態の時だった。

こんな言い方もおかしいけど、そういう不思議な存在に出会うのは、“そういう場所だと相場が決まっている”と思っていた。

でも、昨日、その不思議な存在に出会った場所は、ふつうの住宅街であり、ふつうの意識。現実過ぎてどうかしている。

その夜、ベランダから同じ場所を見た。そこは真っ暗だった。その夜、起きている間に何度も確認した。

そう、そこに照明なんてない。しかし昨夜はその屋上の周辺は光り輝いていた。麒麟が去った後も、僕が部屋に戻るまでの間輝いていた。

ちなみに、あれから3年経つけど、屋上が光っていたことは一度もない。あの時限りだ。麒麟の存在が、あの光を生み出したのか、あの光が麒麟を呼び出したのか、それは定かではない。

しかし、

(やっぱり、あれは麒麟…)

という考えと共に、

(いや、本当に麒麟か?)

そんな疑念も湧き起こる。

僕は瞑想とか、エネルギーとか、ちょっと世間一般感覚で言うと“不思議なこと”をしている人だけど、実はその手のものに疑い深い性格だ。安易に、見たものや聞いたものを、霊的なものとか、超常的なものに結びつけない。それこそ孔子は「怪力乱神を語らず」だったそうだ。

だから僕も基本的にはオカルトめいたものは精査をするし、まして人にはそう語らないようにしているけど(だからこの話もずっと言わなかった)、あの夜見た動物についても、錯覚とか、違う動物との見間違え、という線は拭えなかった。

しかしその1ヶ月後くらいに、とある場所で、僕がとても信頼している方に会う機会があった。その方は世界中の神秘を修めているマスターだ。

僕は尋ねてみた。

「実は、〇〇な毛で、〇〇な大きさで、▲▲な顔の動物を見て〜」

僕がとりあえず見たままを説明すると、

「ああ、麒麟だね」

僕は麒麟の「き」の字を言う前に、あっさりと、実にさっくりと答えられた。

(……いるんかい!!)

と、口をあんぐりさせてしまったが、はいそうですかと納得できる話でもない。

「いや、でも、僕は以前“龍”とか、その手のものを何度か見たことあるんですが、もう少し非物質的でした。エネルギー存在というか…。でもその、麒麟…ですか? めちゃくちゃ現実というか、三次元の物体で、普通の動物と同じようにいたんですけど…?」

「そうだよ。いるよ。同じ世界に」

とのこと。

(ま、マジっすか!)

まだこの時期は、彼のことを100%信頼している、というほどの関係ではなかったけど、彼の言い方、答え方、振る舞いは、確かなものを感じた。だから自分の確信のとおり、あれが麒麟だったのだと理解した。

やはり麒麟だった。そして、それは現実だった。エネルギーとか、高次の存在云々ではなく、本当の本物の本気で、同じ土俵にいた。

しかし、まだまだ気になることはある。

「麒麟か…。でもどうして僕の目の前に現れたんでしょう? なんの意味が…」

最後に尋ねると、

「そういう段階に入った、ってことだよ」

マスターはにこやかに言われた。あまりに爽やかに返されたので、それ以上何も言えなかった。

(段階…?)

麒麟に出会ってからのその後数ヶ月間、僕はクラウドファンディングのリターンのイベントをこなしたり、CDプレス業者との打ち合わせ、そしてCDが出来次第チームメンバーと発送作業など、やることはたくさんあった。

妻には話したけど、誰にも言わなかった。言わない方がいいと思った。

自分がどんな段階に来たのか? それを考える前に、麒麟と出会ったことは、僕の「人生」に大きな影響を与えた。

特に「スピリチュアル・ジャンル」と呼ばれる仕事や、その人間関係での活動を、大きく決定づける出来事になった。

冒頭に書いたように(前回の冒頭)、色々と不思議な体験はしている。そして、これは訓練の賜物だけど、そういう「気配」を察知することも比較的できる。だから自称他称、先天的後天的にしろ、そういう「(霊)能力者)的な立ち位置にいる、スピリチュアル・ジャンルのインフルエンサーや、その取り巻きの人たちと、そういう不思議な話もたくさんできる。

しかし、僕が見たものは、気配がうんぬんとか、〇〇神とか、エネルギー存在とか、想念が物質化したものとか、それぞれのパラレル世界的な投影のような神獣やら幽霊やら神さまもどきのような、そんな曖昧なものではなかった。

確かに、僕しか見ていない。でももしも僕以外の人がその場にいたら、絶対に全員に見えただろうと確信がある。犬や猫がいて、ある人には見えて、ある人には見えない、なんてことがないように。

この世界には、都市伝説でもオカルトでもなく、現実にそういうことが存在する。それもそれは一部特別な人の特別な力とか、特別な場所とかではない。

(スピリチュアルとは、現実なのだ)

世の中で語られるような、ジャンルとしてスピリチュアルや、自己否定を誤魔化したり、承認欲求を満たすためのスピリチュアル心理学や自己啓発でも、ましてオカルトや都市伝説もない。

スピリチュアル、つまり「霊性」とはまぎれもない現実であり、それは実感があり、手応えがあり、疑いようのないものだ。

もちろん、本当に「目に見えない世界」にアクセスする人たちを知っているし、自分のそういう機会に恵まれたことはある。だからそれらのシャーマニックな人たちを否定なんてするつもりはない。

だけど、そういうごく一部の人とか、特定の人にしか見えない、起こらないのならば、そのチャンネルにアクセスを持たない人たちに向けてそれを語っても、言われた方はただの「ファンタジー」でしかない。ある人には“現実”でも、共有できないのなら、架空の物語だ。

ファンタジーは(物語)は、僕らを楽しませてくれる。僕らはストーリーを通して、自分の現実を学び、自分を知ることができる。しかし、ファンタジーを「現実」と思うのは違う。それは寝ている時に見てる夢を「現実だ」と思い込むのと似ている。

人はファンタジーの夢を見ることで、また深い眠りにに落ちてしまう。

麒麟はこの世界にいる。しかし、僕しか見てない以上、ファンタジーになり得る。だから、話さない。

今こそ、僕らは「目醒め」の時なのに、眠りを深くしてどうするよ?

つづく

☆ イベント・ワークショップ

マントラ、そして瞑想へ。(満席となりました)

* 大阪の「聖音瞑想会」は2月24日(土)14時〜を予定しております。

2024年年明けに、北国で「祈り」という行為に秘められた叡智を学びませんか?(残り3名)

エネルギーとは何か?

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