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ラーメン屋に並ぶ人たち (小説)

私はラーメン屋に並ばない。過去に並んだこともないし、多分今後も、並ぶ予定がない。

ちなみに私はラーメンが嫌いじゃない。むしろ好きな方だと思う。だけど、並んでまで食べたいと思うほどではない。いや、そもそも私は並んでまで何かを食べたいって思ったことが、これまでの人生でほとんどないと思う。

女同士で新しくできたお店の話題のスイーツとか、流行りのカフェとか、いざ行ってみて「並ばないと入れない」と知った途端にげんなりとしてしまう。だったら話題のスイーツじゃなくて普通のスイーツでいいし、おしゃれなカフェじゃなくて、スタバでもいい。

でも、そう思っていても、女友達に合わせて、丁寧に並ぶ。

おしゃべりしながら待つとあっという間だよね、と友達は言ってたけど、とにかく「食べるために時間を消耗している」という事実に辟易する。だから私は引き攣りそうになる顔の筋肉を必死に押しとどめ、仕事で嫌いな上司と話す時よりも労力を使って笑顔を見せた。

勤め先の事務所が移転した。

移転と言っても、以前のオフィスから徒歩5、6分の距離だった。ビル自体が老朽化のために来年に取り壊すことが決まった。

私や他の社員も、これで通勤から解放されて、念願のリモートワークになるかと思いきや、我が社の方針は「メンバーのコミュニケーションから、クライアントへの最善のクリエイティブが生まれる」というモットーなので、あくまでも出勤し、顔を合わせて会議をして、顔を合わせて仕事をする、ということだった。

その意見に反対する気はないけど、週5すべて出勤でなくても済む仕事がたくさんあるから、せめて数日は自宅で一人でやらせて欲しいものだ。

とにかく、社長は早々に新しい事務所を近所に見つけ、そこに移転した。

それはともかく、事務所の引っ越し作業は、大きなもの以外はすべて手作業で、おかげで社員総出で、何十回も行ったり来たりして荷物を運んだ。

男の人たちならまだしも、私のような女子社員も肉体労働となり、翌日はひどい筋肉痛で、腕が痛くなった。

「翌日に来るだけましよ。あたしなんか今日よ!二日経って筋肉痛!」

そんな私の様子を見てた先輩社員が、さらに翌日にそう言ってて救われた気がした。しかし、それはあくまでも救われた気がしただけで、誰も救われてはいなかった。

新しいオフィスは、前のオフィスと徒歩6分の距離とは言え、出勤の駅からオフィスに行くルートが変わった。今まで使っていた駅より、一つ手前の駅で降りた方が近くなった。通勤時間は1駅分の2分間ほど短縮された。

そうなると昼休みのランチは、新しい管轄が増える。

新しい事務所に出勤した翌日、後輩の女子社員とランチに出かけた時に、そのラーメン屋を見つけた。なにせ、会社の入ってるビルの同じ並びにあるのだ。

昼時なので賑わっていて、店の半径10メートル付近から、ニンニクとか、脂とか、その他得体のしれない独特の香りが周囲に漂っていた。

店の前には10人ほど並んでいた。季節は12月で、寒い中みんな上着のポケットに手を突っ込みながら、スマホを見ながら黙々と呼ばれるのを待っている。

「ラーメン屋?超混んでるじゃん!」

私が驚くと、

「有名らしいですよ、このラーメン。メニューも一択のみで、カウンターだけのお店らしいんですけど。そうそう、須賀さんは前からよく行くって言ってました」

須賀さん、とは私と同期の男性社員だ。気取ったイケ好かない男だけど、なぜかモテるのが謎だ。そしてまさかこの後輩の女子社員にちょっかい出してるのだろうかと勘繰るけど、仮にそうだとしても私には関係ない。

「ふーん…。てゆーか須賀のやつ、わざわざこんなに並んで食べてんの?」

尋ねたわけではなかったのだけど、思わずそう言ってしまった。最近、思ったことがそのまま言葉になる。

「並ぶって言ってましたよ?課長とかも一緒に行くって言ってましたし」

げぇ、と思ったけど、声には出さない。よくまあ貴重な昼休みに、ただ並ぶだけに時間を使えるものだ。

もちろん、このラーメンは美味しいのだろう。だけど世の中には他にも美味しいものがたくさんあるのに、あえて貴重な時間を使ってまで食べるほどのものなのだろうか?

男の人ってラーメンが好きなんだなと思う。前に付き合ってた男たちも、みんなラーメンが好きだった。深夜に高円寺までドライブして、環七沿いのラーメン屋に連れて行ってもらったこととか、今となってはいい思い出だ。もちろん、深夜にあんな脂っこいラーメンを食べて夜ふかしても平気だった新陳代謝機能も、気力も体力も今はない。今同じことをされたら即別れる。「あなたとは合わない」って。あ、それ以前に誰かと付き合うことから始めないとこのシュミレーションは意味がないけど。

それから毎日のように、ランチ時になるとそのラーメン屋の行列を眺めることになった。チェーン店ではないが、有名らしく、いつも賑わっていた。

最初から、何か違和感があった。それは始め、自分がラーメン屋に並ばないし、そもそも並んでまでランチを食べたいなんてあまり思わないから、自分との価値観の違いようなものだと思っていたけど、どうやらそうじゃない。

何か、もっと違う違和感があった。なんだろう?

**

ある日の昼休みに、同期の仲間とよく行くイタリアンの店に行く時だった。年が明けて、2月の初め。とりわけ寒い日だった。

ラーメン屋は今日も繁盛しているようで、8人くらいの人が店の外で寒空の下で並んでいた。

私はいつものように違和感を感じながらその行列を眺め、その違和感の正体について考えていたら、一緒にいた同期の女子社員がそう言ったのだ。

「あ!課長と須賀がいる。このさっむいのに、よく外で並ぶわね…」

「え?どこ?」

「ほら、真ん中に課長と、前の方に須賀」

私たちの視線に気づいたのか、スマホを眺めていた須賀がこちらに気づき、いつもようにキザな感じで手を振る。ラーメン屋に並びながらカッコつける男は、どうあがいてもカッコ悪かった。そして課長は私たちに気づかずにスマホを目線を落としている。

一瞬、須賀はこちらに何か言おうとしたほうだけど、すぐに客の入れ替わりがあり、須賀は店の中に入って行った。そして行列がずるりと、芋虫の胴体みたいに、前から後ろの方にかけて、一人分蠢いた。

(そうか…)

違和感の正体がわかった。ここに並んでいる人たちがみんな、同じ顔に見えたのだ。

みんな、スマホを見てたり、ぼうっとしてたりして、表情がなかったのだ。カウンターだけのお店だから、仲間とワイワイ食べに来る場所じゃない。だから1人で来ている人たちばかりだから、話し相手もいないのだろう。寒くてなんとなく肩を窄めている姿勢も、余計にそういう印象を私に与えているのかもしれない。

(けど…)

知り合いが2人もいて気付けないほど、みんな同じ顔に見えてしまった。もちろん、全員違う人間。でも、表情や雰囲気が、個人ではなくて「ラーメン屋に並ぶ人たち」という、一括りの“何か”になっていた。

何の害もないし、みんなそのラーメンが美味しいと喜んでいるのだから、何も、何一つとして問題はない。でも、私はなんだか薄気味悪く感じた。

それはラーメン屋とか、そういうことじゃないのかもしれない。私はただ、無表情で、無反応が雰囲気が居心地悪いのだ。

***

以来、私はあちこちで人の顔を観察するようになってしまった。

人は個人的にお話をすると、その個人が見える。だけど、例えば仲の良い同僚を地下鉄の車内で見かけた時。やはり彼女や彼らは、みんなと同じ顔をしているのだ。もちろん、顔立ちは違う。違う人間だ。でもそういうことじゃなくて、同じ表情なのだ。

だからラーメン屋さんがどうのこうのではなくて、人間にはそういう傾向があるようだ。

つまり人は名前のある「個人」から、匿名性のある「集団」になると、顔を失うのだ。

私なりに色々と考えた結果、それは多分「考えていない顔」なんだと思った。

自分のやるべき事が、自分の意思ではなく、誰かから決定されている状態。その他の選択肢への可能性を考えてない状態。ただ決められた方向へ流されていくだけの状態。

思えば、それは「学校」というものから始まっていたような気がする。

だって小学生くらいの頃はまだ色んな子供がいたと思う。

例え大人から決められたことがあっても、素直に従えない子がたくさんいた。でも、みんな自分の顔をしていた。

しかしそういう子は当然教師から叱られるし、問題児とレッテルを貼られし、成績が取れないこともあり、それにより得することはなく、ペナルティが与えられる。

中学生になって、そのまま「不良」と呼ばれるような子もいたけど、大半は与えられた、つまり、決められた流れに従った。

わたしも、そうだった。

だって、その方が「楽」だったのだ。自分で考えたことは、それは大人や友達の知らないことだったりして、それをやろうとすると、みんなから怪訝な顔をされたり、批判されたりした。

だったら、楽に、みんなと同じ道を進み、その中で、少しでも良い条件を得られるように、要領良く頑張る方が得だと思った。

ラーメン屋で並ぶ人たちが同じ顔をしていたのではない。いつしか決まりきった生活の中で、表情を無くしているであろう自分自身を、勝手に投影していただけかもしれない。

私も、仕事をしている時とか、通勤の時は、みんなと同じ表情をして、自分の顔を無くしてるのかもしれないと思うと、なんだか怖くなった。

****

中学生の頃、ある不良の男の子がひそかに好きだった。

私は比較的真面目で堅物な女子だったから、誰もそんなこと気づかなかっただろう。

その男の子は幼稚園から一緒の幼馴染みだった。

彼はずっと大人に反抗し続けていた。そしていつも自分ルールで生きている、わがままな男の子だった。小さい頃はたまに泣かされた。でも、年上の悪ガキからいじめられているのを助けられたりもした。私の中ではヒーローだった。

彼は中学生くらいになると周りの生徒や先輩たちとケンカばかりするようになった。でも確かに乱暴な一面はあったけど、女の子には優しかったし、弱いものいじめはしなかった。だからクラスメイトたちからはなんだかんだで慕われていたし、笑うとくしゃっとした顔になり、なんとも愛嬌があったので人気者のポジションだったと思う。

私はその彼の愛嬌ある笑顔が好きだったのだ。見てるだけで、こっちまで嬉しくなるような笑顔。私はそんな顔できないし、私の親とか、先生とか、仲の良い友達にも、あんな風に笑える人はいなかった。

私のキャラクターというか、学校でのポジション的に、不良グループの彼とはあまり接点はなかったけど、家の近所でばったり会った時は軽くおしゃべりはした。幼馴染なのだ。

その時間はとても楽しかったけど、彼はいつも仲間と遊ぶのに忙しそうだったから、そんなことは一年に片手で数えるくらいしかなかった。

ただ彼は同級生からは好かれていたけど、教師たちからはすごく嫌われていた。クラスメイトの親からも嫌われていた。私の親も、彼を小さい頃から知っていたけど、嫌っていた。

「絶対かかわっちゃだめよ!この前も〇〇で相手の人を怪我させてね…」

多少尾鰭がついたものなのか事実なのかわからないけど、そんな風聞を、母はよく知っていた。けど、私の中では彼が暴力を振るうのは、きっと仕方ない理由があったのだろうと、心の中で彼をいつも弁護していた。

そして多分、彼の家のご両親にも、色々と原因はあったのだと思う。しかし、そうは言ってもますます、彼と社会との溝は深まるばかりだった。

だけど彼はいつも、どんな時も、自分の顔を持っていたと思う。怒っていても、笑っていても、自分をなくすことはなかった。

ヒーローなんて言ったけど、彼はお世辞にもイケメンとは言えなかった。後にも先にも、面食いの私がイケメンではない男を好きになったのは彼だけだ。

その男の子は高校で離れ離れになり、両親が離婚して近所からも突然引っ越してしまったからその後のことはわからないけど、今も自分の顔をして生きているのだろうか?それとも、やはり社会に流されるしかなく、みんなと同じ表情をしているのだろうか?

*****

ある日の午後、その日は都内に雪が降った。寒波が押し寄せ、日本中冷え込んでいた。

ランチに外に出ると、いつもより遅い時間ということもあったけど、街全体に人が少なかった。働いている人なら仕方ないけど、雪の舞う寒い日に、都心へ出て買い物や、ランチに来るような人はいないのだろう。

「あーあ、うちの会社もこんな日くらいリモートにしてほしいですよね〜」

後輩の女子社員がぼやく。私も本当にそう思う。

「あ」

私が声を出したと同時に、後輩も言葉を発した。

「あれ?珍しいですね」

ラーメン屋に、行列ができていない。いつもはどんなに少なくても、2、3人は並んでいるのに。

「さすがに、この雪の中では並ばないか」

思った事が、そのまま口を突いて出る。

「ねえ先輩、行ってみません?わたし、一度食べてみたかったんですよ!ね!どうですか?こういうお店って、女性一人じゃ入れないじゃないですか〜?寒い日にラーメン!」

「うーん…」

一瞬躊躇したけど、そう言われるとなんだか、こんな寒い日にコッテリとしたラーメンも悪くない、というか、食べたい気分になってしまった。

「よし!じゃあ、行っちゃおうか!」

「やったー!」

いつも通り過ぎながら、並ぶ人たちを観察していたラーメン屋。そこに自分が入っていくのは不思議な感覚だった。

でも、緊張ではなく、どこかワクワクしたような、寒いのに、自分の中に心地よい風が吹き抜けているような気持ちがした。なんだろう?この感覚。

スライド式のドアを明けて、暖簾をくぐる。

「いらっしゃいませぇぇ!」

威勢のよい男性の掛け声。いかにもラーメン屋という感じだ。スタッフは男性ばかりで4人くらいいるだろうか?もちろん彼らは並んでいた人たちと違って、イキイキとした表情だ。

店内を見ると、中はそこそこ混み合っている。カウンターだけの店だけど、ちょうど奥に2人座れるスペースがあった。ちなみに、予想通り女性客はわたしたちしかいない。

(なるほど、こりゃ確かに女1人では入れないわ)

言葉には出さず、そう思いながら入り口の券売機で食券を買い、スタッフに手渡すと、オーダーを通す、張りのある掛け声が狭い店内を飛び交う。

「うわー、元気いいですね」

後輩が言うように、元気よく働く人たちを見ていると、それだけでこちらも元気になる。流行る理由がわかる気がする。店全体が、いい雰囲気だし、活気があって明るいのだ。

席に座ると、体格のいい一人の男性がカウンターの中でラーメンを作っているが、ラーメンを作りながら、他の従業員に指導をしているようなので、彼が店長なのだろうか?店長、というより、大将と呼んだ方が似合いそうな風態だけど、年は多分若い。私と同じくらいだろうか?まだ30代半ばだし、もっと若くも見えなくない。

「ごちそうさま!」

隣にいた男性が、ラーメンを食べ終えて立ち上がりながらその大将に声をかける。満足げな、晴れ晴れとした顔だった。無表情に並んでいる人たちも、美味しいラーメンを食べれば、こうして表情が取り戻せるのだと知って、少し安心する。

「まいど!ありがとぉございゃしたぁぁ!!!」

大将はそのお客さんを大きな声で見送る。顔は満面の笑顔だ。くしゃっとした、愛嬌のある笑顔だ。見てるだけで幸せになる。そんな彼の作るラーメンだからこそ、食べた人を幸せにできるのかもしれない。

大将は明らかに、自分の顔で笑い、自分の声で話し、自分の仕事をしていた。

私は時間が止まったように、彼の顔から目が離せない。

「……あれ?」

彼が私の視線に気づき、一瞬見つめ合ってから、

「あれ…、ねえ、お客さん、…ひょっとして、なんだけど…」



終わり

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