「絹さや」(掌編小説)
4月23日(日)17時〜、アクロス福岡にて。
トークイベント、と言っても、何をするかはその時の雰囲気で。
こちらのnote「過去の自分はどこにいる」も参照に。
というわけで、今日のnoteはショートストーリーです。一人の主婦、女性の日常のワンシーンを切り取った小話。
「絹さや」(掌編小説)
近所スーパーには、地場野菜のコーナーがあり、私はよくそこで野菜を買う。
地元の野菜の方が美味しい、というのはひょっとしたら気分的なものかもしれない。でもどこか遠くから運ばれてきた野菜より、近場で収穫されたものの方が新鮮なのは間違いない。
春の陽気が続き、桜が散る頃、いつもの野菜コーナーに“絹さや”が売っていたので、私は思わずそれを手に取った。
農家さんの名前も書いてある。生産者の顔が見える、というやつだけど、実際はどんな人で、どんな農業で栽培されたものかはわからない。それでもこうして名前があるだけで信用度は高い。
自分も含め、夫や子供のたちにも、できるだけ安全で美味しいものを食べさせてあげたいと思うのだ。
しかし、絹さやを買ったはいいけど、残念ながら絹さやは食卓のメインを飾る野菜ではない。いろんなものに使えるけど、その選択肢の多さが献立を迷わせるし、実は特に好きな野菜、というわけでもない。
これを使って何をしようかなと、帰り道の自転車に乗ってる時は考えていたけど、家に帰って掃除や洗濯やら昼寝をして、すっかりそんなことを忘れ、、夕方になり食事の準備を始めた頃、絹さやの使い道が決まっていないことを思い出す。
とりあえず、絹さやのスジを取ることから始めたけど、これは地味で面倒な作業だ。
うまく筋が綺麗に取れた時は気持ち良いのだけど、途中で切れたり、端がちぎれただけだったりすると、なんだか心地悪い。
娘が学校から帰ってから手伝ってもらおうかな、なんて思った。しかし、女の子とはいえ、まったく家事や料理に関心も興味もないので、言ってもお互い嫌な気分になるだけだろう。
そういえば、私もよく、絹さやの“スジ取り”を手伝わされたことを思い出す。
*
隣町に住む祖母は、自宅の庭で野菜を作っていた。
夏は大量のきゅうりやナス、トマトなどの夏野菜。秋は白菜や里芋、大根。そして冬を越し、春になると数日おきに大量の絹さやが我が家に運び込まれた。
ちなみに絹さやは、畑でもう少し育てると“さやえんどう”になり、いわゆるグリーンピースと変化していく。
さやえんどうの鞘から豆を取り出す作業は面白いのだけど、私はどうしても絹さやの筋取りの作業が好きに慣れなかった。
母は私を呼びつけ、ザルにいっぱいの絹さやの筋取りの任務を与える。
私は自分の娘のことを悪く言う権利などなく、実は私自身も子供の頃は家事とか料理のような、いわゆる「女の子らしい」ものにはまるで興味なかった。だからその作業が苦痛だった。
だけど、それを断ろうと文句を言ったとしても、母から怒られる。しかも怒られて任務が免除されるわけではないので、だったら素直にやった方がマシだと途中から学び、渋々絹さやのスジ取りをした。ただ、おばあちゃんは私が小学3年生の頃に体調が悪くなり、畑作業ができなくなり、それからすぐに死んでしまった。
**
「バター炒めにしようか?」
母が台所でとんとんとんと、何か野菜を刻む音を立てながら、振り返らずに私に尋ねる。
「この前の胡麻和えがいいな」
私はスジをとりながら答える。絹さやに限らず、なんでも「バター炒め」にするが好きで、私が絹さやのバター炒めを美味しそうに食べてたら、そこから毎日のようにバター炒めが食卓に並ぶので、さすがに飽きてきた。
「おにいは?」
兄にもやらせよう思って尋ねたけど、
「さあ、ランドセルほおり投げてすぐに出ていったよ。ほんと、宿題もまったく手をつけないし…」
兄のことをそうやってブツブツと文句は言うけど、明らかに兄の方が優遇されているような気がした。そもそも、母はよく「女の子なんだから!」と、家のことは何かと私にやらせるタイプだ。今の時代ならジェンダーなんとかで、問題になりそうだけど、当時はそれが普通だった。
「バター炒めも確かにやりすぎね。胡麻和えはね、今日はほうれん草で作るから、おひたしも味気ないし…。そうだ!お肉と一緒に炒めようかしら」
喋りながらも、野菜をザクザク切ったり、トントンとまな板の音は止まない。思えば、何をそんなに刻んでいたのだろう?
我が家まな板は、使い込まれた厚手の木のまな板で、心地よい音がする。私は自分は料理なんて興味なかったけど、その音を聞くのは好きだった。
母は料理が得意だった。多分、料理が好きだったのだろう。いつも色とりどりのおかずが食卓に並んでいた。
父は建築関係、といっても、いわゆる町の大工さんで、夕方には家に帰る。しょっちゅう若い職人さんなんかを連れてきたりして、食卓は賑やかだった。外に飲み歩くより、家で過ごすのが好きな父だった。
父の会社で、かっこいい職人見習いのお兄さんがいた。彼は何度か、家に来て食事をしたことがある。私はその人が来ると、子供ながらにちょっとドキドキした。
彼は口数は少ないが、父や母に礼儀正しかったし、私と話すことはなかったけど、ふと向けられた眼差しはとても優しかった。
その日も、彼は食卓に招かれ、父と一緒にビールを飲みながら、仕事の話をしていた。いや、父の話に付き合わされていた、という表現が正解だ。
「あれ?これ、好きじゃないのかい?」
食事の中盤で、野菜炒めに入っていた絹サヤを、彼が残しているのを観て母が言った。私は母が言うまで気にしてなかったけど、そう言われると気になるものだ。
「あ、すいません…、実は、ちょっとこういう、青い香りのものが苦手で…」
彼は申し訳なさそうに言った。
「何も何も!気にしないで!確かに青臭くて嫌いって人も多いからねぇ」
母がいつもの調理で豪快にそう言うと、
「俺も!あまり好きじゃないぞ!」
兄が威勢よくそんなことを高らかに叫ぶ。
「おめえは好き嫌いしないで食え!」
父はお酒ですっかり赤ら顔でご機嫌になりながら、そう怒鳴りつけた。すぐに大声を出す人だった。
私は、そんなやりとりを眺めながら、密かにとても悲しかった。
なぜなら、その絹さやは、私がスジを取ったからだ。
私も、今日の食卓にほんの少しだけど関わりを持って、それを多少ながらに好意を抱く人に食べてもらうという喜びがあったのに、その喜びは見事に打ち砕かれた。
私はすぐに部屋に引っ込み、漫画を読みたかったわけではないけど、漫画雑誌を持って、そこに視線を落とした。しかし、視界はすぐにぼやけてしまった。涙がこぼれる理由はわからなかった。ただ、静かに、ほろほろと涙がこぼれたのだ。
兄がいつ入ってきてもいいように、私は勉強机に座り、壁の方を向いて、さらに本を高く持ち上げ、霞んだ視界で朧げな漫画のページを眺めていた
***
そういえば、母もあの青年がけっこうお気に入りだったと思う。明らかに、父が他の職人さん仲間を連れてきた時よりも嬉しそうだった。確かに若くてイケメンだったけど、なんとなく、母の好みはわかる。無口で、素直で純朴そうな、一本気な男の人。
あれ? となると、おしゃべりでおっちょこちょいで見栄っぱりの父みたいな人と、なんで結婚したのだろう?
だけど、そんなもんだろう。
私だって、夫が必ずしも「好みのタイプ」の男性ではなかった。恋人になるとか、まして結婚するということは、単純な好き嫌いとか、好みなんてものを超えた部分で、自分の意志とあまり関係のないところで何かが進行していくのだ。
私はすっかり止まっていた手を再び動かし、スジ取りを再開しながら、今夜の食卓の一品に、絹さやのソテーを作ること決めた。
軽く焦げ目が付くくらい、オリーブオイルでしっかりと焼きつけて、仕上げにバターとお醤油、ブラックペッパーも散らすと、ビールにも合いそうだ。多分、夫も好きだろう。
母はあの青年が絹さやを残した時、どんな気持ちだったのだろう? やはり悲しかったのだろうか?そんな素振りはまったく見せなかったけど、今思い出すと、どことなく食器を下げた時の横顔が、寂しそうに見え…。
いや、私の気のせいだ。私の思いを、勝手に思い出に上塗りをしている。人間ってどうやら、そういうものなんだろう。後からいくらでも脚色してしまう。
私はいろんなことを考えたり、思い出したりしながら、絹さやのスジ取りを終えた。
終えてみると、なんだか思っていたよりも大変でなかったし、子供の頃のお手伝いが、そんなに悪いものではなかったと気づく。あの頃は嫌だったけど、今となっては嫌だったという気持ちや、悲しかった気持ちも、全部ひっくるめて、いい思い出だ。
人間ってきっと、そんなものなんだろう。
終わり
お知らせ
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イベント参加2000円 イベント参加+書籍 3500円(札幌、博多)
東京 5月13日(土) 14時〜16時 秋葉原Lounge
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