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「ログイン」 第一話

あらすじ
圭吾はバイト先のカラオケ店で、奇妙な男の忘れ物であったUSBメモリーを拾った。
USBをパソコンに挿すと自動的にアクセスされ、オープンワールドの3Dゲームにログインされた。
舞台は2005年の東京、圭吾が3歳まで過ごした成増駅からスタートした。
何もヒントのない謎のゲームで、何も考えずに出てきたキャラクターを殺す。しかし後から、現実世界に起きた事件と酷似しており、しかも自分の父がその事件で死んだことを知る。
ゲームをログインすると、次は破滅的な未来、そしてさらに「現在」へと舞台を変えた。
そこは圭吾自身が今まさにいるネットカフェだった。そして自身のいる個室『6ー6』。ゲームと現実が交差する。

「ログイン」 第一話

『log in』と、白い文字が表示され、それはすぐに消えた。

それはゲームだった。

3Dオープンワールドタイプのアクションアドベンチャー・ゲーム。詳しいカテゴリーはわからないが、リアルな仮想空間でプレイヤーを立体的に動かせる、自由度の高いゲームだ。

圭吾はそれほどゲームに詳しいわけではないが、この手のネット通信を使ったバトルロワイヤル系のゲームは時々仲間とプレイをする。

(知らねえゲームだなぁ)

と思った以上に、そもそもおかしかった。

普通、ゲームが始まる前にタイトル画面などがあって、そこからセーブデータをロードしたり、モードを切り替えたりするのだが、USBを挿すと自動で通信が始まり、パスワードが認証されると突然ゲームはスタートしていた。しかもそのゲーム中、PCは他の操作が一切できなくなる。

ゲームの世界観はとんでもなくリアルだ。最新のゲームに匹敵する。圭吾のアパートにあるPCではどちらにしろうまく作動できなかったかもしれない。

圭吾は今、ネットカフェのPCでこのゲームを開いている。ネットカフェのPCは、ゲーム対応しているので性能が高いというのもあるが、自宅のPCで、万一IPアドレスを辿られるのを恐れたからだ。

ゲームの設定は現代。場所は日本だ。プレイヤーはFPS(一人称)の画面なので、ゲームのモニターは、圭吾の操作する主人公の目線で進む。

場所は東武東上線の「成増駅」前から唐突にスタートした。目の前に「成増駅」と書いてあるからわかった。

それにしてもどうしてそんな中途半端な場所なのだろうと圭吾は不思議に思った。東京を舞台にした普通のゲームなら渋谷とか六本木とか、そういう華やかな場所の方が展開も増えそうだが…。

(成増って…、地味すぎんぞ…)

ただ、成増は圭吾が生まれた場所でもあったので、妙な親近感はあった。

しかし東京都板橋区、成増での記憶は、圭吾にはない。

母親の話では、圭吾が3歳くらいまで住んでいたそうだ。父親が事故で死んだことをきっかけに、母の実家である甲府へ帰り、圭吾は高校卒業するまでそこで暮らした。

その後、圭吾は大学進学をきっかけに単身上京し、東京都北区の赤羽で一人暮らしをして、勉強よりも遊びとアルバイトに精を出す日々を送っている。

成増という町に何か古い記憶があるのだろうかと、実は上京後に一度だけ訪れてみたことがあるが、何も湧いてこなかった。

ひょっとしたら駅を降り立った時とか、どこかを歩いている時に、唐突に眠っていた記憶とか、不思議な感性みたいなものが蘇るのかもしれないと淡い期待をしていたが、そんなマンガのようなことは起きなかった。

父親がこの街のどこかで事故で亡くなったとだけ聞いていたが、詳しいことは母も話してくれなかった。そして直接足を運んでみたものの、やはり何もわからなかったし、そもそもそれほど強く知りたいわけではないと、しばらくしてそう思っている自分に気づいた。

結局、ただ駅を中心に2時間以上歩き回って、足が疲れたので帰った。だから成増に対して、思い入れはあるようで、関わりはそれ以上ない。

あの日の圭吾と同じように、ゲームの中でもとりあえず駅前を歩き回ってみる。音楽もなく、駅のアナウンスや、商店街から流れるかすかな音が、ヘッドフォン越しに聞こえている。

操作法は簡単だった。移動、視点変更。攻撃する、身を屈める、落ちているものを拾う、それで叩く、投げつける、それらの動作は一通りできた。

プレイヤーの目線で画面は進むが、コンビニの入り口にある新聞が気になり、ズームしてみる。

日付は『2005年10月』となっていた。

つまり、ゲームの設定は、18年前の東京。

(2005年ってなにかあったけ?)

とぼんやり考えたが、2005年といえば圭吾はまだ2,3歳だ。何も覚えているはずがない。

ゲームは何をすべきなのか、まるでわからないゲームだった。なんのイベントもないし、それを示唆するようなヒントもない。

駅前にあまり人もいないが、離れた場所から老人がやってきたので、“話しかける”のコマンドをしてみる。

「はい?」

と応えたので、もう一度話しかけるのコマンドをすると、

「おや?どちらさまですか?」

老人はゆったりとした口調で言った。いかにも老人らしいかすれた声が聞こえ、画面にも文章がモニターされている。

もう一度“話しかける”をすると、

「なにかお困りですか?」

尋ねられても、こちらには返答の方法がない。普通、ゲームなら、あらかじめ用意されている返答の会話の選択肢を選べるのだが…。

よくわからないので、再び“話しかける”をやってみると、

「さあ、私にはわかりません」

と老人は答えて、目の前を通り過ぎようとした。もう一度話しかけると、

「さあ、私にはわかりません」と繰り返すだけだった。どうやらこれ以上この老人からは何も引き出せないようだ。

何がわかりませんなのだ?こっちこそわからない。ノーヒントだ。一体どうなっているんだこのゲームは?

それでも他の誰かに聞くとヒントがもらえるのかもしれないと、圭吾はプレイヤーを操作し、誰かに尋ねようとした。

駅前には、数人の人の行き来があったが、こちらが近づくと不自然なほど離れたり、建物に入ったりして、なかなか話しかけれる人間がいない。時々話しかけることができても、

「さあ、わかりません」

「すいません、ちょっと急いでますので」

何一つヒントらしきものを示さない。

どうやらこのゲームのモブキャラの設定はけっこう雑な設定なのか?もしくは電車に乗るなりして、成増から離れるべきか?

そろそろPCを閉じようかと悩んでいたところ、画面の端に“半グレ”のようなファッションの若い男がいた。歩き方もヨタヨタと、なかなかリアルだ。

その半グレ男は駅から出てきて、そのまま通りを歩いてく。圭吾は特に意識したわけではないが、その男の後ろをつけてみることにした。

ふと通りかかったスーパーの前のガラスに、主人公の姿が映っていたので、圭吾は主人公の動作を止めた。

ゲームの主人公は黒いブルゾンを羽織り、デニムを履いていた。靴はスニーカーではなく茶色い革靴。無精髭を生やしていた中年の男。

(ダッサ…)

よくもまあ、ゲームの主人公をここまで地味にしたものだと呆れた。何の特徴もないオジサンキャラだ。

この時点で圭吾はゲームをやめようかと思ったが、スマホを見て時間を確認すると、アルバイトに行くまでまだ30分ほど時間があった。

とにかく中途半端な時間なので、暇つぶしにこのゲームを続けることにした。

半グレ男は随分先に進んでいて、見失いそうになったので、慌てて追いかける。

何の変哲もない街並みを歩きながら、時々、モブキャラの人間が歩いているが、どれもリアルだ。主婦っぽい中年の女性や、犬の散歩をしている老人。ベビーカーの女性。

道路に車が通る。車道に出ると、クラクションを鳴らされるが車は律儀に止まる。乗り物を乗っ取ろうと思ったが、なかなかそういうアクションは起こせない。

(クソゲーかよ)

リアルに作り込まれているのはいいが、あまりにも何も起きないので、クソゲームと認定してもいいだろうと思いながら、半グレのすぐ後ろを歩く。

もし現実に、こんな風にすぐ後ろを歩いてたら、ソッコーで不審がられるところだが、その辺は所詮ゲームだな、と圭吾が思ったとほぼ同時くらいに、

「おい!さっきから何オレの後ろ歩いてるんだ!」

ゲームの中の半グレ男が振り返り、そう言ってきた。見た目にふさわしいいかにも悪そうな声がヘッドフォンから聞こえる。

「きもちわりいんだよ!」

そして半グレはそう言って先ほどより早歩きで再び歩き出した。男は車通りの多い道から少し路地に入った。

圭吾はさらに後ろを追い、路地に入る。そこは古い住宅やアパートがある、何でもない住宅街だ。

「しつけぇな!いい加減に…」

半グレが言葉を言い終える前に、圭吾は男に向かって走り込み、そのまま“攻撃”のボタンを押していた。ゲームの中の主人公の男が、振りかぶって殴る。

半グレ男の顔に当たり、男は後ずさるが、

「何すんだコラ!」

と怒鳴り声を上げて蹴りを放った。“防御”コマンドが遅れ、蹴りがこちらに命中すると画面が大きくぶれた。こちらも負けじと“攻撃”をする。すると半グレはそれを避けて、パンチを放ち、それもこちらにヒットする。顔に当たったのか、PCのモニターは横にぶれる。なんてリアルな視点だ。

その時に、ふと通りの壁際にコンクリートブロックが積んであるのが見えた。

圭吾はゲームの人物を動かし、ブロックを“つかむ”動作をする。

半グレがこちらに向かって殴りかかるように腕を振りかぶっている。

圭吾は男に向かって“投げる”をコマンドすると、コンクリートブロックが半グレ男の肩のあたりに命中し、男はよろめく。

さらに圭吾はもう一つブロックを拾い、すぐに半グレに投げつけた。今度は男のつま先にあたったらしく、男は叫び声を上げて地面に転がった。

圭吾は今投げたブロックを拾い、男の前で“攻撃”する。コンクリートブロックで、半グレを殴る、殴る、殴る…。男の悲鳴が聞こえる。それが唸り声になり、何発目かで半グレは動かなくなった。なかなかリアルな死に様だ。

視線を変えるとすぐ近くに老人がいて、腰を抜かしたのか、座り込んでいた。

圭吾はその年寄りに向かってコンクリートを投げつけた。意味はない。

ブロックは老人の頭に直撃し、一発で老人は倒れた。

手元のスマートフォンを見る。あと4、5分でここを出ないといけなかった。

圭吾は時間つぶしにゲームの中で暴れ回った。ブロックを拾って、通りに出て目についた女や、車に向かって投げつけた。女は腕で防いだので死ななかった。だから攻撃して殴りつけた。リアルな悲鳴がヘッドフォンに響く。車はフロントガラスが粉々になっていた。

ゲームなので、特別な感情を持つこともなく、淡々と圭吾は指を動かし続けた。

(あーあ、ゲームの中じゃこんなに暴れ回れるけど、またバイト先じゃ嫌味な店長に頭ささげて、めんどくせぇ客の相手しなきゃならねぇのか…)

などと思いながら、そろそろPCを閉じようとしたら、ゲームの中に、作業服姿の若い男が現れ、

「おい!やめろ!」

と言って、ゲームの中で主人公を突き飛ばした。

(なんだこいつ?)

ゲームとはいえ、不意打ちに腹が立ち、圭吾はその作業服姿の男に向かって攻撃、攻撃、攻撃。連打連打。

男は腕を上げてガードしていてどんな顔か見えなかったが、若い男だった。

遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。暴れ回ったから警察が来たらしい。最近のゲームは本当にリアルだ。人のざわめきや女の悲鳴も聞こえる。

圭吾は視点を変えて、少し離れた場所にあったコンクリートブロックを拾いに戻る。武器があれば倒せるかもしれないと思った。

しかしブロックを拾ったと同時に、画面の中の視点が大きくぶれてひっくり返った。あまりにリアルな視点の動きに画面を見ているだけで酔いそうだと思った。

突然ゲームの中の主人公が倒れて、一体何が起こったのかと思ったが、どうやら作業服の男に体当たりをされて吹っ飛んだようだと、視点の向きを変えてすぐに気づく。

(っだよ!こいつ!)

知らずうちに感情移入していたので、突然の攻撃に腹を立てる。

吹っ飛んだ先に、先ほど自分がフロントガラスを叩き割った車があり、その前にワンボックス車があった。車道に斜めに停まっている。

見ると運転手はおらず、運転席のドアが空いている。どうやら乗っていた人間は逃げたようだ。その後ろも、数台の車が渋滞になっている。

圭吾は車に乗り込んでみる。エンジンはかかったままだった。しかし、操作方法がまるでわからない。

出鱈目にボタンを押してみる。どうやら“攻撃”コマンドを押しながら移動すると、そのままアクセルになっているようだった。

作業服の男の後ろ姿が見えた。男は先ほど圭吾が殴りつけた女を連れて逃げてるようだった。

圭吾は車を使って、男に向かって突進した。作業服男は、一緒にいた女を突き飛ばし、自分は反対に逃げようとした。圭吾は作業服の男に向けて車を操作した。

圭吾の操作するワンボックスで、作業服の男を見事に跳ね飛ばした。男は大きな音を立てて道路を吹っ飛んでいった。跳ね飛ばす瞬間に横顔がちらっと見えたが、普通の、どこにでもいそうな顔だと思った。

そしてさらに圭吾は倒れ込んだ男に向かって車を突進させる。画面がガクンと、何かに乗り上げたかのように揺れ、鈍い音がした。どうやら轢いたらしい。

(ざまあみろ!)

と思ったが、ブレーキの方法がよくわからず、そのまま勢い余って道路を勢いよく走り続け、すぐに正面からやってきた大型のトラックに正面衝突してしまった。

画面が大きく跳ね上がり、ガラスが砕け散り、目の前にトラックの車体が近づき、モニターが真っ赤に染まった。

そして、真っ赤なまま、ゲームは凍りついた。フリーズしたのだろうか?と思っていたら、ゲームは終了し、PCはデスクトップの画面になった。

(ゲームの主人公が死んだら勝手にログアウトするのか?)

圭吾は時間を思い出す。気がつくと予定よりも10分近く経過していて、慌ててUSBを抜き取った。USBを抜いても、モニターはそのままだった。

 *

「あれ~、圭吾くん、また~遅刻っすか?」

いかにも気だるそうな、落ち着きの無さを感じさせる声で、バイトの後輩の板尾が言った。

「またって言うなよ。最近ちゃんと来てたぞ」

「ああ、そっすね」

板尾は適当なやつだが、自分の下に入って続いている唯一の後輩で、このカラオケ店のバイト先では仲良くしている。

「店長にまた、怒られました?」

「ったく!むかつくぜ!たかが5分だぜ」

店長と言っても、圭吾より少し年上の社員で、じめじめしためんどくさい男で、圭吾は大嫌いだった。5分くらいの時間の遅れでなんだって言うんだよ。

「昨日の~、506号室でしたっけぇ?また言われませんでした?」

「あ、ああ…」

圭吾は返事を濁した。

「また問い合わせあったみたいっすよ。あの部屋、ちょうど忙しい時間だったし、オレと圭吾くんでセットしたじゃないっすか?だからオレらが疑われてるんすかね?」

ドリンクオーダーをチェックしながら板尾が言う。

「だってあの後すぐに次の客入ったしな。そいつらが拾ったかもしれねぇし、それに出てく時も相当慌てて出ていってじゃん?他で落したじゃねえ?」

「なんでしたっけ?SDカードの落とし物でしたっけ?」

「知らね」

圭吾はそっけなく呟いて、注文のドリンクをカウンターに並べる。

「3階のオーダー、オレが行ってくるわ」

圭吾はトレイにドリンクを並べカウンターから離れたと同時くらいに、板尾がつぶやいた。

「あ、そうだ。USBスティックの忘れ物だ」

ほんの興味本位だった。地味な見かけの、どこにでもいそうな中年の男と、黒スーツを着た年配の怖そうな男という妙な組み合わせで、そんな二人が終電を過ぎた時刻のカラオケ店に来たのだからよく覚えている。案内したのは506号室だ。

2時間で受付けたが、30分後くらいに黒スーツの男が出てきて、料金を支払った。

その対応をしたのは板尾で、男は電子決済した後は颯爽とエレベーターに乗み、エレベーターの中には示し合わせたかのように、黒スーツの男がさらに二人もいたという。その二人はもっと若く、板尾が言うにはマフィアゲームの中に出てきそうな雰囲気だったと。

その直後くらいに、一緒にいた中年の男が丸めた上着と茶色の使い古した鞄、それとノートパソコンを抱えながらドタバタと部屋から飛び出し、通路を走っていった。ちょうどその時5階にいたオレは、その様子をよく見ていた。小走りでコツコツと硬い音を立てた。デニムに革靴が印象的だった。

男はそのまま階段を一つ駆け降り、四階の受付のカウンターに行き、

「今、僕と一緒に来た、黒い服の人、いませんでしたか?」

と受付にいた板尾にかなりテンパった様子で尋ね、たった今会計して出て行きましたと答えると、すぐにエレベーターの前に行き、ボタンを連打したが1階から動かなそうなので、その男は上着を着込んで、階段を駆け降りていったそうだ。

圭吾はその頃、入り口のドアの前に落ちていたポーチを拾った。パッと見「財布」だと思ったので、ほとんど反射的に、その黒いポーチをポケットにしまい、何事もなかったように部屋を清掃した。以前も落とし物の財布をゲットしたことがあったから、内心ラッキーとほくそ笑んだ。

圭吾は板尾から諸々様子を聞いた後、トイレの個室に入ってポーチを確認してみた。

ポーチの中にはUSBのスティックと、USBと同じくらいの大きさで、数字とアルファベットが20桁くらい刻まれた、薄い金属のプレートが入っていた。

財布じゃないと知ってがっかりした。その場でトイレに流してもよかったが、外に人の気配があったせいか慌ててしまい、再びポケットにしまって外に出た。

その日は朝5時までバイトして、始発で家に帰って、疲れていたのですぐに寝てしまい、ポーチのことなどすっかり忘れていた。

翌日は大学の講義もなく、夕勤でシフトを入れていた。圭吾は昨日と同じデニムに足を突っ込んだ時に、ポケットに入ってるポーチを思い出した。

(ああ、そいうえば…)

それほど興味があったわけではなかったが、USBを差してみようと思った。エロ画像とか入っているかもしれない、という軽い気持ちで。

ただ自宅のPCで使うと、万が一IPアドレスで足がつくとまずいので、バイト先の近くのネットカフェに行くことにしたのだ。

出かける前に気づいたが、スマホには留守電とメールが入っていて、どっちもバイト先の店長で、名前をみただけで圭吾はうんざりした。

〈松沼くん。店長の若林です。506号室に忘れ物なかったかな?ちゃんと清掃した?お客様から何度も問い合わせがあってね。すぐに連絡くください〉

留守電もメールも同じ内容だった。留守電では店長の鼻にかかったねぱっこい声が聞こえて気分が悪くなった。

無視しようと思ったが、それはそれで後でめんどくさいことになると思い、圭吾は店長にメールをした。

〈いつも通り清掃しましたがなにもありませんでした〉

遅い昼食に牛丼をかきこみ、それから電車にの乗ってバイト先のある池袋へ行った。近くのネットカフェへ行き個室へ入り、例のUSBを差し込んだのだった。

パスワードが要求されたので、ポーチに一緒に入っていた金属のプレートの番号やアルファベットを打ち込んだら、案の定それがパスワードだった。

画面が突然暗くなった時は何事かと驚いたが、数秒後に映画“マトリックス”に出てくるようなプログラミングの数字とか記号がモニター一面にずらりと並んで、それはほんの一瞬で、すぐに画面が切り替わり、目の前には『log in』の白い文字と、成増の駅前の光景が広がっていたのだった。

 *

「え?板尾の家って成増なの?」

アルバイトを上がる時刻になり、東上線で人身事故が起きたからまだ帰れないとスマホを見ながらぼやく板尾に、それとなく家の場所を聞いたら、なんと成増だと言うので、圭吾は驚いた。しかしその驚きを表情に出さないようにした。

「実家っすよ」

板尾はスマホをいじりながら面倒くさそうに話す。

「ほら、昔やばい通り魔事件あったじゃないですか?あの現場のすぐ近くなんすよ」

「通り魔事件?」

「あれ?知りません?」板尾は顔を上げた。「成増、消えた殺人鬼。まあ、都市伝説みたいになっちゃってますけど、オレのばあちゃんは犯人目撃してるんですよね」

「なにそれ?」

圭吾は本当に知らなかった。

「東京だけじゃねえの?オレは地方だからさ」

「うーん、そうかなぁ。かなりニュースになったって。あ、僕はその事件の時は赤ちゃんだからわかんないっすよ。でも後から知った時はびびったなぁ、だって犯人が…」

その時にエレベーターが開き、また新しい客がやってきたようだ。カウンターで話し込んでいた二人は真面目に働いているふりをする。

エレベーターが開きかけている状態で、中から男の人が飛び出てきてカウンターへ倒れ込むようにやってきた。

「あ、あの」

声をかけられる前に、昨日の忘れ物をした男だとすぐに分かった。

「すいません、昨日、ここで落とし物をしたかもしれないと、何度か連絡をさせてもらったんですが」

「はぁ…」

圭吾はそっけなく答える。男は元々老け込んでいたし、冴えない見た目だったが、たった1日でさらに数年歳を取ったかのような印象を与えた。目の下にクマがあり、髪の毛が脂ぎっている。昨日と同じ格好だった。

「えっとぉ、何度も探したんすけど、見当たらなかったので、もし見つかったらこちらから連絡差し上げ…」

板尾が話してる途中で、男は少し大きな声を出した。

「大事なものなんです!」

おとなしそうな人がちょっとでも怒るとびっくりするものだ。板尾は驚き、そのまま言葉と一緒に呼吸も止まってるかのように見えた。

「す、すいません」男は謝る。「あの、もう一度、確認したいんで、自分で探してもいいですか?ご迷惑はおかけしません」

板尾は先輩である圭吾の顔を見た。

「ではちょうど今、部屋も空いてますので、どうぞ…」

圭吾がそう言うと、男は「ありがとうございます」と言って、を階段へ向かった。そして階段のステップ一段一段に、食い入るように顔を近づけながら、まさしく“舐めるように”登っていった。他の客が通ったら明らかに変質者に思われるだろう。

「はぁ…よっぽど大事なもんだったんですね。USBスティックって言ってましたけど、何かやばいもんでも入ってるんじゃないっすか?」

板尾が笑いながら圭吾に言うので、

「はは、なんだよやばいもんって」

圭吾は必死に笑顔を作るが、自分が笑えている気がしなかった。

「さあ、エロ動画とかじゃないっすか?」

 *

バイトが終わって、再び圭吾は昨日と同じネットカフェへ行った。終電まで1時間ほどしかないが、気になって仕方なかったのだ。

もちろん罪悪感はある。彼はそれなりに普通の良心は持ち合わせている。しかしそれよりも好奇心があった。あんなに必死になって探すほどのゲーム。黒服の男とか、圭吾の心を激しくざわつかせる。

USBをPCに差し込むと、昨日と同じように、パスワードが要求され、入力するとプログラム画面が一瞬だけ映り、すぐにゲームがスタートした。前回同様に『log in』という白い文字だけが、最初に画面中央に表示されてすぐ消えた。

(ん?)

圭吾は違和感を見逃さなかった。

それは一瞬だ。ほんの一瞬だったと思う。真っ暗なモニターのプログラミング画面の中に、いくつかの漢字があったのが目に入った。

モニターはびっしりと、細かいフォントの数字や記号、アルファベットの羅列で埋め尽くされていたが、その中に漢字は目立つので、一瞬とはいえ印象に残った。

そしてその漢字は、松と、沼と、吾という文字だった。松と吾は画面右上の方に、沼という字は画面の左のやや下側に、それぞれが数字や記号の中に、ポツンと浮いていた。圭吾の名前は松沼圭吾。ひょっとして、圭という文字もあったのかもしれない。

(まさかな…)

しかしそれについて考える間もなく、ゲームの画面に意識が釘付けになる。

「ここ、赤羽じゃん…」

思わず、そう声が漏れる。

今度のスタート地点は、赤羽駅西口付近だった。イトーヨーカドーのビルがある。圭吾が暮らしている街だ。

しかし人が全然いなかった。ヘッドフォンを装着しているが、故障しているのかと思うくらい、音もなかった。

ゲーム内で主人公を歩かせてみると足音が聞こえた。時折風の音も聞こえるので音声は鳴っているようだ。ただ普段の赤羽駅前なら人が多く、もっと雑多な音がしているので、違和感と共に圭吾を居心地悪くさせた。

相変わらず、なんの情報も提示されていないので、ゲーム内の日付も時刻はわからないが、空は晴れて明るいので昼間なのは間違い無い。

つづく


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