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「おい! 小池!」 前編

まず先に、これを読んでいる全国の“小池さん”に謝っておきます。

あなたのことではありません。

そして最近ちょっと話題になった、「おい、小池!」のポスターの指名手配犯が実はとっくに亡くなっていた、のニュースとも関係ありません。(こちらの記事

これは僕の超超超個人的な手記であり、ここに出てくる「小池」という人物は、僕の人格形成に大きな影響を及ぼした、小学3年生の頃の担任だったクソ教師です。

クソ教師…。僕はあまり口汚く人様を罵ることは好きではありませんが、あえてそう言わせてもらいましょう。

ほんと、クソでした。教師として、人として、最低な行いをした人間だと思っています。

思い出すだけで胸糞悪いし、誰かを糾弾するみたいで嫌だったので、このことは封印していたのですが、最近“小池”について思うことがあり、今の気持ちを、ありのまま書いてみたいと思います。とりとめのない文章になると思いますが、手記のようなものなのでご勘弁を。

僕はとても素直な子供だったと思う。人を疑うことがあまりなかった。人への漠然とした恐怖や、どこか同年代の子供を見下しているような、斜に構えた部分はあれど、基本的には「性善説」的な要素が多く、他者を信頼していたと思う。

自分同様に他の人も、できることなら人を傷つけることはしたくないし、まして自分を誇示するために人をいじめたいとか、自分のために人を蹴落としてでも利用したいとか、そういうことは考えないものだと思っていた。

ただ身近には、思い切り性格の歪んだ、上記の「自分の利のためなら他者をとことん利用する」という性悪説の権化のような兄がいたけど、その兄ですら、僕は信頼していました。だから幼少期は僕は兄の奴隷にようになっていた。なんでも言うことを聞くからだ。

幼稚園を経て、多少社会的なことを学び、その後小学校に入り、1、2年生と順調に進んだ。

特に目立つわけでもなく、特に目立たないわけでもない。運動がすごくできる方ではないが、勉強は良くできた。まあ低学年の勉強なんてたかが知れてるとはいえ、勉強が楽しかったし、どんどん先へ進みたかった。漢字とか、教科書に載っていないものを覚えたり、アルファベットのローマ字読みとかも覚えていた。九九もクラスで一番早くに覚えたような気がする。

担任だった佐藤先生はとても優しかったし、クラスメイトもみんな和気藹々としていた。やはり僕にとって世界は“基本的”には、優しい場所だった。

ちなみに“基本的には”と書いたのは、いじわるな兄と、母がたまにヒステリー起こすことと、時々上級生の女の子や、近所の女の子にいじめられていたからだ。だから世界は「おおむね優しい場所」という認識だ。

しかし、小学校3年生になって僕の世界は一変した。

クラス替えがあり、担任が変わったのだ。その担任が「小池」という男の教師だ。

髪の毛は白髪のグレーヘア。後ろにふわっとさせて、額を出していて(小さなリーゼントのようなヘアスタイルだった)、広い額の下に太い縁のメガネ。そのメガネの中の目は完全なキツネ目で、切れ上がった細く鋭い目。

3つ離れた兄は僕の担任が小池になったと知って「うわー、最悪」と言いつつ、「おまえ、終わったな」と僕の不幸を嘲笑った。もちろん僕には当初、その意味はわからなかった。

でもその理由はすぐにわかった。兄の反応通り、本当に最悪だった。

今冷静に考えてみても、小池は完全に「サディスト」であり、教師という「権力」を利用して、幼い子供たちをいじめることで、自己を満たしていたという、完全にう歪んでいた人間だと分析できる。

彼もおそらく、そこまで歪んだ人格を形成する何かがあったのだろうとはいえ、そんなサイコパスな人間が教師ができた時代だった。

どんな調子だったか。例えば、

「なんで、お前は遅れたんだ?」

遅刻した生徒にをそう問い詰める。

「えっと、朝、家を出るのが遅れて」

「なんで、出るのが遅れたんだ?」

こういう時、小池はほとんど生徒の顔を見ない。教壇の椅子に肘掛けに腕を置き、ふんぞり返って座って、窓の方を眺めながら言う。

「立て」と一言いうときだけ一瞥するくらいだ。あとはただ冷たい口調で問いただすのだ。ちなみになぜか小池の椅子は他の先生と違って、大きな肘掛けのついた椅子だった。わざわざクラスの教壇用に用意していた。

「いや、ええと、その、朝起きるのが遅くて…」

もうその子は泣きそうになっている。8歳9歳の子供だ。

「ほう。なんで、お前は朝早く起きれなかったんだ?」

ねっとりした、低い声だが、少し鼻にかかってる。不気味で心地悪い声だ。

「眠くて…」

「なんで夜寝たのに眠いんだ?」

「それは、えっと、昨日、寝るのが遅くて…」

「なんで、寝るのが遅かったんだ?」

このようにひたすら「なんで」を問い続ける。

「遅くまでテレビを見ていて」

「なんで、遅くまでテレビを見ていたんだ?」

「いや、あの、えっと」

答えられるわけがない。この「なんで攻撃」はキリがないし、小池も多分それを知ってて言っている。そしてほとんどの生徒は5、6回の「なんで」で泣いてしまうか、何も言えなくなって口を閉ざし塞ぎ込んでしまう。

「そうか、つまりお前は」生徒が泣いて答えに詰まると、小池はまるで裁判長の如く、判定が下す。

「明日は学校があるから早起きしないにもかかわず、テレビを見て、寝るのが遅くなったということか?」

「…」

「…答えろ」

蒸し暑くて寝れない真夏の雨の夜のような声だ。払い除けれない湿度のようにまとわりつくのだ。

「…はい」

「はい? つまりお前は頭が悪いんだな? そんなこともわからないのだから」

この時になってようやく小池は椅子を回転させ、生徒に向き直り、教壇の上から嘲笑する。そしてここから刑罰が始まる。

「では、僕は頭がわるいから、明日学校だと知ってるのに、遅くまで起きていて、寝坊して遅刻しました、そうみんなの前で言え」

体は今思うと170センチないくらいだったと思うけど、3年生の子供には十分すぎる「大きな大人の男」だ。そんな人間から命令されて、これに逆らえる小学3年生はいない。だからそう言わされるのだ。

まだ終わらない。次に、

「僕はもう2度と、遅くまで起きていて、寝坊するようなことはしません、そう全員の前で言え」

そうやって、粛清の如く、誰かにミスや間違いが発覚したり、言う通りにできなかったら、そんな見せしめのような処刑が毎日のようにある。

信じられないかもそれないが、これは事実だ。誇張してない。終始こんな感じで、子供のミスや失態を見つけるたびに、尋問、糾弾し、生徒が泣きながら、屈辱に塗れて自尊心が破られる姿を見て笑っている。

しかももっとおぞましいことに、その糾弾を生徒同士にやらせたり、責めさせるのだ。

「おい、ヤマダが遅刻したぞ? サトウ、お前はどう思う?」

と、ヤマダがミスをしたら、別の生徒を巻き込む。

もしここで、

「いえ、ヤマダくんは遅れたといっても、1分だけなので、頑張ったと思います」

などと庇うことをいったら、今度はサトウに矛先が向けられる、さんざんいびられたあげく、反抗的な生徒には廊下で正座とかさせられたりする。

だから、

「よくないと思います」

と答えるしかなく、

「どうすればいいと思う?」

と尋ねられ、小池が普段やってるように、尋問するのだ。

だが子供というのは無力ゆえに怖いもので、圧倒的な力の前には、実はいともかんたんに平伏して、権力の庇護に入ろうとするのだ。

そのクラスで起こったことはそこから「密告」だ。誰かの失態や失敗を、小池に言い付ける生徒が多発し、監視社会さながらの状況であり、ホームルームは糾弾合戦で、誰かを血祭りに上げて、その生徒が泣きながら許しを乞うまで生徒同士で糾弾し合うという、おぞましい状況が展開された。

その状況を、小池は教壇からにやにやとしながら見ているのだ。子供たちが苦しむ姿を見て喜んでいた。

何度も言う。これは事実だ。誇張はない。

だったら「どうして問題にならなかったのか?」と思うかもしれない。 

今より確かに当時は粗っぽい時代だったとはいえ、これはやりすぎだろ?と思うかも知れない。

だがこの小池という教師はそこは絶妙だった。なぜなら彼は「体罰」を一切しないのだ。だからその実態が見えにくい。

何人か、うちの母親とかを含む親が校長に訴えたが、まったく小池は変わらなかった。いや、むしろ教育熱心な先生という評価が、学校や、多くの両親から得られていたのだ。

実際に子供たちは真面目になり、素行がよくなり、忘れ物や遅刻をしなくなったし、よく勉強するようになった。

恐怖政治によって、多くの生徒がそうせざる得なかったのだ。萎縮し、小池に従順になり、忠実になることこそが、学校という場所での安心して生存するための唯一の方法だったのだ。

そんな状況だから、多くの親がそれを喜んで「きびしいけど指導力のある先生」という評価になっていたと、母から聞いた時は驚いた。

しかも糾弾とアゲ足取りの極論で相手を論破することが「議論」ということになっていて「このクラスは議論が盛んで良い」などと言われていたことも後から知って驚いた。大人は全員バカだと思った。

そんな風に、まるでどこかの共産主義の独裁国家のように、密告が続く。

「先生、〇〇くんが学校の帰りに寄り道してました!」

「先生、〇〇くんが廊下を走っていました!」

「先生、〇〇さんが忘れ物をしたのに隣のクラスから借りてました」

毎日のように、密告が起こり誰かが吊し上げられる。密告するとそれはその生徒の「得点」となり、あからさまに得点をたくさん挙げた生徒は小池からエコ贔屓されていた。

そんな毎日で、僕は当然学校が嫌になった。

当たり前だ。嫌になるのがまともだ。元々特段集団行動が好きではなかったけど、学校へ行くという日課が苦痛だった。

しかしクラスの半分以上は、小池にどうやって気に入られようか目論み、密告の口実を探していたし、それ以外の生徒も、不満を持ちつつも場の状況に流されていた。

で、僕はどうだったか?

初めは傍観していた。ミスをしない小器用さと要領の良さは持ち合わせていたので、最初の頃は、僕が吊し上げの処刑をされることはなかった。

しかし、だんだんと違和感は疑問に変わり、それが僕の中での善悪という価値観が芽生え、怒りの感情に変わるのに時間はかからなかった。

(おかしい!絶対に、これはおかしい!)

そう思ってるのはもちろん僕だけじゃなく、クラスには一部、反抗的な生徒がいた。彼らは忘れ物をするし、廊下をすぐ走るし、誰かを叩いたり、気に食わないことは怒鳴るし、喧嘩するので、しょっちゅう処刑されていたが、それでも懲りない面々だった。

そして彼らは決して泣かなかった。そんなひ弱なやつらじゃなかった。女子も一人いた。今思っても気骨ある女だ。(僕が高校生の頃に再会したら、案の定、超ヤンキー娘になってた)

僕はどちらかというと、そいつらと仲が良かった。その強さを尊敬できたというのもある。

僕はそれまではただのまじめな生徒だったけど、彼らと一緒にいることが小池の気に障り、また、他のクソまじめな生徒の密告に合い、徐々に、吊し上げを食らうことが増えた。

ただ、ただ吊し上げられた時だけ、従順なふりをして謝って反省する形式を取ればいいとわかってきたので、いつもそうやって、どこか釈然としなくても、僕も泣かないで、小池のねちっこい説教と虐待的な言動に耐え続けた。

とはいえ、小池はあからさまに自分のお気に入りと、そうでない生徒に対して線引きがあり、僕らへの対応はとにかく酷かった。

ある時なんて、授業でノートを提出したら、小池は僕のノートを開き一瞥した程度で、突然そのノートを教室の後ろの壁まで放り投げた。そして、

「こんな古代文字読めるか!」

と笑い飛ばされた。ちょうどこの授業の前に、確か反抗的な態度をとってひどく怒られたばかりだったから、あからさまな対応だった。

それにしても、確かに僕は字が下手だったし、読みづらかったのだろうけど「古代文字」とはなかなか乙なことを言うではないか…。と、今だから笑えるが、今の時代なら懲戒免職では済まない行為だ。人の人権も尊厳も踏み躙りまくっている。

しかし、ある時の算数の時間で、僕の人生の何かが決定づけられる事件が起きた。確か二学期だったと思う。

「おい大島、お前カンニングしたな?」

ある時、授業の始まりと共に突然そんなことを言われ、吊し上げられた。いつもの嘲笑的なそれと違い、怒気を含んでいた。

「え? してません!」

してない。さっきも書いたが、僕は3年生レベルを越したことをやってるくらいで、物足りないくらいだったのだ。小三の算数なんて簡単なクイズのようなものだ。するわけがない。だから正直何を言っているの理解もできなかった。

「わかってんだよ!、お前は昨日のテストが始まってすぐに突っ伏して寝てただろ」

「え?はい、終わったから、やることないので寝てました」

と答えた。テストの内容は二桁の掛け算だった。終わったら寝る。それのどこがわるい?しかし、

「嘘つくな!」

と怒鳴られた。小池が怒鳴るのは珍しい。本気で怒っているようだ。

「お前のテストは“ひっさん”の式が載っていない!答えしか書いてない!なのに90点だ!誰かのプリントを見たんだろ!」

ひっさん。つまり、棒をかいて、その上に縦に計算するやつだ。

僕は二桁同士の掛け算は、暗算でやっていた。頭の中でやっていたのだ。今思うと大したものだ。今同じことをやれと言われても難しい。しかし、当時はなんだか知らないができたのだ。

「頭の中で計算したんです」

そう答える。本当のことだ。すると驚くべきことを言われた。

「ばかやろお! お前みてえなやつにそんなことができるわけがないだろ!」

耳を疑った。しかし、確かにそう言った。

お前みてえなやつに、そんなことが、できるわけがない、と。

「親に連絡するからな。カンニングしていい点取った卑怯者だってな」

卑怯者?

「いや、違う…」

と言ったが、実は珍しく怒りの形相の小池にびびってしまい、僕は足がすくんだ。後から「今ここでやりますよ!」とか言えればよかったと後悔したけど、言えなかったのだ。自分の弱さが憎たらしかった。

授業中だったせいか、糾弾はそこで終わり、僕はカンニング犯として決めつけられ、その後はいつもの通り、威圧的な授業が続いた。

僕は愕然としていた。他の生徒は、僕をそう思ったのもいるけど、多くが僕がそんなことをしてないというのは知っていた。なぜなら「そろばん」やってた連中と、暗算ごっこをやって負けなかったのだ。

そして家に連絡が言ったが、母は僕がカンニングしてないことを信じた。というか、目の前で実演したので当たり前だ。こんなに優秀なのに、カンニングする理由はない。当然、母もさすがに学校に強く言ったそうだ。

しかし小池はブレない。僕はカンニング犯だと決めつけていた。彼は一切ブレない。子供だちと、そして僕のことをいじめ抜くと決めているようだ。

その後もテスト中に何度も僕の隣の生徒に「おい、大島が覗くから気をつけろよ」とか言うのだ。よくもまあ、ここまで子供相手にできるものである。

僕はこの出来事を機に勉強が嫌いになった。嫌い、なんてもんじゃない。だ嫌いになった。

そしてさらに、教師とか、大人とか、なんなら学校とか、街とか、そういうあらゆる既存の社会機構のシステムに対して、猛烈に怒りを覚えるようになった。

後編へ続く

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