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マユミと黄色いジャガイモ (小説)

マユミと黄色いジャガイモ



 ある日曜日、妻に買い物を頼まれた。

 渡されたメモ用紙を片手に小学生の息子と一緒に駅前のスーパーまで歩いた。息子は僕と行くと何かおやつを買ってもらえると期待しているようだ。

 その下心を責める気もないし、僕もスーパーとかに行くと頼まれていない物まで買って、大抵帰ってから妻に怒られる。

 不思議なもので、例え良かれと思って買ってみても、喜ばれたためしが無い。それなのに僕はいつも性懲りも無く、妻の言う無駄遣いをしてしまう。しかし人生に無駄遣いの一つや二ついいではないか。無駄遣いのない人生なんて味気ないではないか…。

 ところでこの話自体、読まれる方には「時間の無駄」となるかもしれない。

 何故ならここに文学的に何かを示唆したり、メッセージ性があったり、そこに何らかの教訓や学びを得られるとは思えない話だから。しかし、ちょっとした息抜きに読んでもらえるのなら、僕も嬉しい限りだ。ちなみに「なんだつまらないもの読ませやがって、時間の無駄だった」と思われるかもしれないが、そこまでの責任はもてないと、あらかじめ言っておこう。

 話を戻そう。

 夕方のスーパーはそれなりに賑わっていた。僕は主婦や年寄りに紛れ、買い物カゴにメモに書かれた食品を積み上げる。そしてメモに書かれていない食品やお菓子や新製品のビールなんかも隙間にねじ込む。

 メモの一番下に『ジャガイモ』とある。どうして前半の『キャベツ、玉ねぎ、エリンギ、しょうが』のあたりに書かないのか。アジの開きやら鶏のもも肉やら豆乳やらごま油やらを買って、また野菜売り場に戻る事になるではないか。

 さっきは完全にスルーしたのだが、生鮮食品の売り場の一角に『ジャガイモあれこれ。世界のジャガイモ』という、そんな特設コーナーが設けられていた。

 なぜスーパーがそんなにジャガイモをプッシュするのか理由は分からないが、せっかくなのであれこれとジャガイモを見てみる。

 スーパーの目論見通りなのか、その特設コーナーはずいぶん賑わっていた。

 ジャガイモくらいなんでもいいじゃないかと正直思うところだが、僕も人のことは言えない。賑わいを演出する一人となって、木箱に入った様々なジャガイモを眺めている。

 男爵とかメークイーンとか、その辺なら知っているが、世の中には赤い皮のものとか、一風変わったジャガイモもたくさんある。

 僕は何気なく『インカの目覚め』というネーミングのジャガイモを手に取った。見た目は男爵とあまり変わらない。実が黄色っぽくて甘いと説明が書きに書いてある。面白そうだから買ってみた。

 僕は仕事を果たし、息子のお菓子も買って家に帰った。

 妻は僕が変わったイモを買った事には不満はないようだが、やはりあれこれと頼まれていない物を買った事には多少不満気味だった。しかし、今日のポテトフライと鶏のから揚げは僕が揚げるのだからという事で怒りを静めてもらう。

 僕は土のついたイモをシンクに転がし、洗い桶に水を張った。ちなみに休みの日は必ず僕も調理に加わる。料理は嫌いじゃない。いつもの日曜日の、いつもの風景。平和で平穏な時間だ。

 妻は鳥のもも肉を切り分け、下味をつけながら、住んでいるマンションへのゴミ捨て場への憤りや、パート先での店長と二十台の従業員の不倫の話をする。僕はそれをさも興味ありげに聞きつつ、イモをシンクで洗い、まな板の載せる。

 しかし、ジャガイモに包丁を入れて驚いた。妻の話は店長がラブホテルのマッチを奥さんに見つけられたというあたりだった。

 イモを切ると、黄色い。いや、事前情報と知っていたが、僕が予想していたより遥かに黄色い。サツマイモとまでは言わなくても、どららかといえばそっちに近いかもしれない。

「どうしたの?」

 話を聞かない僕に妻は少しムッとした顔をする。

「いや…、イモが黄色いんだ」

 僕は妻にそんな説明するよりも、黄色いイモを見て、何かが強烈に自分の記憶に引っかかっている事に気付く。釣りで例えるとぐいぐい引きが来ているような感じだ。

 黄色いジャガイモ…?。

 僕はポテトフライ用に、その黄色いジャガイモを切り分けながら、記憶を辿った。記憶はすぐに蘇る。どうしてこんな事を思い出したんだろう。

 あれは小学校六年生の頃。女の子がいた。

 名前は「マユミ」だ。

 *

 家庭科の調理実習の授業だった。

 何を作ったんだろう。ジャガイモを使う料理だったのは確かだ。おそらく、ポテトサラダ、カレー、シンプルな蒸かし芋とか、小学生なのでそれくらいだろう。さすがにコロッケとはない。しかし残念ながら調理の内容は記憶にない。

 その日は実習で使うため、各家庭から、一つ二つジャガイモを持ってこなければならなかった。だから僕も当然、母に「ジャガイモくれ」と言って、学校にジャガイモを持っていった。

 しかしまず先に、マユミの話をしよう。

 苗字は忘れた。名前がマユミ。漢字は確か真由美だったと思うが、そこはどうでもいい。

 マユミは転校生だった。五年生か、六年の始めごろか。はっきりと覚えてはいないが、どこからか、多くの転校生がそうあるように、ある日突然クラスにやって来た。。

 女の子の転校生といえば、どちらかと言えばちやほやされるものだが、マユミは「いじめられっ子」として、早々にその不幸な地位を得てしまった。

 マユミの家は給食費を払っておらず、母親はいつもくたびれた顔をしていて、妹が四人もいて、マユミは長女だった――女ばかりの五人姉妹だ――。そして、まゆみの妹でも、下の小さな妹はマユミと血がつながっていないという噂があった。確かに、二つ下の妹はマユミにそっくりだったが、もっと小さな妹たちは明らかに体型も顔つきも違っていた。

 マユミの一家は、町でも一番古く、薄汚れて所々壁がひび割れた団地に住んでいた。

 実際のところ、僕が子供の時代(1980年台)に飢餓するほどの貧乏人がいたとは思えないが、彼女の家は確実に、裕福さとはかけ離れ、平均的な家計よりも下だったのは間違いないだろう。

 マユミは体が小さくて、勉強もほとんどできず、運動もまるでダメだった。

 声が小さくて、おとなしい子だった。そしていつも同じ服を着ていて――ピンク色のトレーナーと、下はジャージ。その姿しか思い浮かべられない――、彼女に近づくと、少し独特の臭いが漂っていた。

 それがマユミの家庭の匂いなのか、不潔さから来るものなのか判断などできなかったのだが、すすけた顔でざんばら頭のマユミを見る限り、僕達男子生徒は後者としてマユミを扱った。

「マユミ、くせーぞ」

「マユミ、今日もタダで給食食ってんぞ」

 やんちゃで凶暴な男子達はこぞってマユミをからかう。女子生徒が「やめなよ」と言う事もあるが、マユミはクラスの誰とも親しくなかった。やがて女子生徒からも距離を置かれていた。

 しかし彼女自身、ちょっとやそっとからかわれてもあまり気にしていないようだった。だが、給食に唾をかけられたり、靴をゴミ箱に投げ捨てられたりしたときは、さすがにうつむいて声を出さずに泣いていた。大人の世界にも陰湿なイジメは存在するが、子供のイジメは無邪気で残酷だった。

 僕は自分で言うのもなんだが、クラスでも比較的リーダー格の方だった。

 体もでかかったし、それなりにスポーツも勉強も出来た。真面目な奴より、悪ガキたちと遊ぶ方が楽しかったので、僕はつまり、普段からマユミをいじめる男の子達と行動を共にしていた。

 でも僕はさすがにマユミには同情していた。家が貧乏なのも、彼女がいつも同じ服を着ているのも、少し変な臭いがするのも、それがマユミの責任ではないと知っていたからだ。

 優しいとか、正義感があったというより、僕は妙にマセていただけなのかもしれないし、他の子供たちが、子どもらしく、想像力に欠如していたからかもしれない。

 本当は仲間達の横暴を止めたかった。

 しかし、リーダー格と言っても、凶暴な猿の群れと真っ向から敵対するのはためらわれる。僕はいつも「マユミイジメ」が始まると、仲間たちから距離を置いて、彼らからのイジメのお誘いを、いつも適当に誤魔化していた。

 そんなある日。問題の調理実習があったのだ。各班に別れ、家庭科室で調理実習が始まった。僕はマユミとは離れた班だった。

 各々の班で、小学生たちがジャガイモを洗ったり、皮を剥いたりして、にぎやかに実習は始まった。

「うわー、気持ちわりい!」

 どこかでそんな声が持ち上がった。

「マユミのイモ、色が変だぞ!」

 騒ぎが起こったのはマユミのいる班だった。

 僕らは野次馬のごとく何が起こったのかとそこに集まった。

「おい、みんな見てみろよ」

 悪ガキの一人がマユミの切ったジャガイモを指差して騒ぐ。

「うわー・・・」

 いつもはフォローする口うるさい女子もその時は何も言わなかったような気がする。何故なら、マユミのジャガイモが他の子の持ってきたイモよりも、明らかに色が黄色だったのだ。誰もそんなイモを見たことがなかった。

 それが「インカの目覚め」だったのかわからない。しかし黄色い品種だったことは間違いないだろう。

「コラコラ、そういう種類のジャガイモもあるんだ。静かにしなさい」

 担任の教師もそう言ったが、どこか自信無さ気に聞こえた。彼も黄色いジャガイモを見たことがなかったのかもしれない。当時はとにかく黄色いジャガイモの品種は珍しかったのだ。実際に、クラスで誰一人として、黄色いジャガイモを持って来た生徒はいなかった。

 マユミ自身はいつものシミのあるすすけた顔で、ただただ皆に囃し立てられながら、無表情に呆然としている。なんの感情も浮いていない、放心したような顔で。

 さっきも言ったが、いったい何を作ったのかは覚えていない。でも、その黄色いジャガイモと、マユミの無表情を僕は鮮明に覚えている。

 確かに僕もそのイモを食べたいとは思わなかった。同じ班でなくて良かったと思った。マユミの班の悪ガキ仲間は、終始文句を言っていた。カレーでも作ったのだろうか。

 もし当時『インカの目覚め』が巷に出回っていたら?

 八百屋やスーパーでジャガイモ特集が組まれ、世の中には色んな種類のジャガイモがあると広く認知されていたら?

 きっとあんな風にならなかったと思う。

「へー、マユミのイモはインカの目覚めなんだ」

 と、それ以上でも以下でもなかっただろう。

 よりによってどうして人前に晒す時に、そんな変り種を持ってくるのか。僕は家庭科実習でマユミに同情した。

 彼女がいじめられる原因は、すべて彼女の責任ではないのだ。この黄色いジャガイモにしても同様だ。

 もちろん、皮を剥くまで黄色いジャガイモだったなんてマユミ自身知らなかっただろうし、マユミの親もただ買ったイモが偶然そんな品種だっただけかもしれない。外見を見る限りでは、普通のジャガイモなのだから。

 *

「へえ、黄色いジャガイモね。甘くて美味しそう。赤いおイモも美味しいのよ」

 妻はそう言って、僕の切り分けたジャガイモを見た。とりあえず、今の時代に真っ当な大人なら、ジャガイモが黄色いくらいで騒いだり、ましてそれをいじめの材料にする人間はいないだろう。

 僕は切ったジャガイモを水に晒し、妻がご飯や味噌汁をつくり、サラダを作るのを待った。

 パート先の店長の不倫話の顛末は、小学二年生の息子が台所に来たので一端中断となった。尾行までして証拠を突き止めた奥さんとの修羅場に発展する流れだったので、子供にはふさわしくない話だと妻は判断したのだろう。

 それから僕は鶏のから揚げと、黄色いジャガイモのポテトフライを揚げながらも、マユミの事が何故か頭から離れなかった。そして、ポテトフライとなった黄色いジャガイモは、こんがりと揚がって、男爵やメークイーンと変わりなかった。

 ***

 あの頃、時々マユミの住んでいた団地の小さな公園で、彼女を見かける事がしばしばあった。いつも、小さな妹たちと、砂場でままごとのような遊びをしていた。プラスチックの砂遊びの道具が、マユミとその妹たちが使うと、何故か貧しさやみじめさの象徴のように思えた。

 僕がその近くを通ると、マユミは妹と遊ぶ手を止めていつも僕を見た。僕はその視線に、どこか気まずさを感じながら、足早にそこを通り過ぎた。よく通る道だったのだ。

 遊んでいる最中だったせいなのか、そんな時のマユミはいつも笑っていた。何故だか分からないけど、見慣れぬマユミの笑顔は、僕を居心地悪くさせた。

 マユミは卒業を待たずに、寒い冬に突然転校していった。もちろんどこに行ったのかなんてまるで覚えてないが、どこか遠くに行ったというだけは覚えている。電車やバスで気軽に行ける場所ではないくらいの、小学生にはとても遠い場所だった。

 転校する日。眼鏡をかけた顔色の悪い父親が学校に来て――実の父親ではないという話だったが、その情報源は定かではない――、校庭で簡単な挨拶をした。僕らクラスメイトの大半が面倒くさい気持ちを隠そうともせず、マユミを見送った。女子たちはその時だけ別れを惜しんでいたが、普段それほどマユミのことを構いもしないくせに、その時だけいい子ぶっているのは見え見えだった。

 マユミの父親は簡単な菓子折りは担任に手渡し、マユミの手を引いて校庭を横切っていった。その時のマユミは笑顔で、軽快な足取りだった。学校で彼女のそんな姿を見た事がなかった。こんな学校とおさらばできて嬉しかったのか、その心情はまるで分からない。

 マユミの父親がくれたクッキーは、やはり悪ガキ達は食べたがらなかった。食べる前から「臭い」と決め付けていた。しかし僕はそのクッキーをみんなの前で平然と食べてやった。でも実はなんとなく僕も、クッキーからあの独特の臭いが発せられているような気がしていたので、正直美味しいとは思えなかった。ただ、みんなの目の前で何かを証明したかったのだ。もちろん色んな意味で、それが遅すぎた事を承知で。

 ***

 黄色いジャガイモのポテトフライはとても美味しかった。ホクホクとしるのに、ねっとりとした甘みがあり、家族からも評判も良かった。僕のビールのツマミにも最適だったし、妻と僕の共作の鶏のから揚げと共に、あっという間に家族の胃袋に納まった。僕はお腹いっぱいになり、ほろ酔いになり、マユミの事はどうでもよくなった。妻に話をしようかと思ったが、寝室で妻は先ほどの不倫話の続きを、感想をまじえ熱く語り出したので、僕の話す出番はなかった。

 ****

 マユミの話はこれで終わる。

 読んでの通り、ただの僕の回顧録、記憶のワン・シーンだ。

 僕はマユミに何か出来たわけじゃないし、イジメから救ってやったり、軽減させるように何か計らった事も一度もなかった。だからマユミもひょっとして僕のことを、ただのいじめっ子の一人くらいにしか思っていなかったかもしれない。

 冒頭にも述べたとおり、この話には何の教訓もない。ただ、世の名には黄色いジャガイモがあって、それはとても美味かった、というだけの話だ。それが知れただけでも、きっとこの話は無駄じゃないだろう。

終わり
 

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