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フィレンツェ物語

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ルネッサンス文化が香る古都フィレンツェは、紀元前に古代ローマ人が開墾し築き上げた、なにもない小さな国でした。 依頼人がいて、職人という名のアーティストがいて、通りにひしめき合う… もっと読む
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高貴で冷々たる美しさを、我が手中に。

スペーコラ博物館 鉱物セクション Museo Specola - Mineralogia メディチ家コレクションメディチ家のコレクションは絵画や彫刻のみならず、貨幣、甲冑、植物、陶器と、さまざまな分野に広げていきましたが、鉱物もそのひとつ。 ヴェッキオ橋を渡り、かつてメディチ家の邸宅だったピッティ宮殿を通り過ぎ、さらに南へと進んでいくと、最近リニューアルオープンしたばかりのスペーコラという博物館があります。 ここには昆虫から大型動物までのありとあらゆる生き物の剥製が

イタリアの冬休みと聖人と。

「世界の人に聞いてみた」さんの12月3日付の投稿では、クリマスシーズンのドイツのスケジュールが紹介されています。同じ欧州でも、同じキリスト教でも、国が変わればお祝いする聖人も変わることを知り、とても面白かったです。 12月25日の幼子キリストの誕生日は、キリスト教国で共通のクリスマス最大のイベントですが、クリスマスシーズン中は、その期間に鎮座する、その国にゆかりのある聖人をお祝いします。 12月8日 無原罪のお宿り(祝日) マリア様は神のお告げによりイエスを宿しましたが

サルバトーレと、靴と、フェラガモと。Ferragamo Museum n.5 - 番外編

Shoemaker of Dreams 夢の靴職人 第1回から第4回までフェラガモ美術館で開催中の展示会をご案内してきましたが、今回はフェラガモ社の創立者サルバトーレ氏の物語です。 サルバトーレ少年・イン・ナポリナポリ近郊の小さなボニート村で生まれ育った少年サルバトーレ・フェラガモ。村に教育設備もなく、教育費をかけられないフェラガモ家では、9歳になる小学3年で学校を終えなければなりませんでした。 サルバトーレ少年は、近所の工房で靴作りの作業をじっと見ています。 自分も

ドレスと、宮殿と、フェラガモと。 Ferragamo Museum n.4

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.4 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze 主婦と母親の役だけでなく、仕事へ、旅行へと、家庭の外に出始める女性達。 女性が社会へ進出していくことで、洋服のスタイルも変化します。 男性が多数を占めていた、洋服のスタイリスト、仕立て屋、宝飾デザイナーの世界でも、女性が活躍し始め、それに伴い、ヒールの高さも地面に近づき、低く平らなバレリーナシューズが世に出ます。 展示会のテーマ

キッチンとイタリアン・デザイン。 Ferragamo Museum n.3

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.3 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze フェラガモ美術館で開催される展示会は、1つのテーマから広げられる世界観が独特で、毎回楽しみにしています。 今期の「Donna Equilibrio(女性のバランス)」では、60年代のイタリアの女性を取り巻く環境を取り扱っています。 その中心に据えられるのは、サルバトーレ・フェラガモの奥様、ワンダ・フェラガモ夫人。1960年に夫が6

イタリアの女性達とモダンデザイン。 Ferragamo Museum n.2

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.2 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze フィレンツェのフェラガモ本店の美術館で開催されている、Donna Equilibrio「女性のバランス」。 1955年からの10年間の女性達にフォーカスをしている展示です。この時代は、そのまま、2018年に97歳で他界されたワンダ夫人が生きた時代でもあります。 ワンダ夫人は、靴作りでフェラガモの名を世界に知らしめたサルバトーレ・フ

60年代のイタリアの女性たち。 Ferragamo Museum n.1

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.1 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze 1960年。早すぎる夫の死は、それまで完全に専業主婦だった彼女を、実業家へと変身させます。 夫はサルバトーレ・フェラガモ。LVMH、ケリング、リシュモン、これらの大きなグループに属せず、現在でも家族経営でイタリアのブランド界を牽引するフェラガモ社の創立者です。 サルバトーレが42歳のときに、まだ18歳だったワンダさんを見初め、二人

フィレンツェの子供達。 n.2

前回は、ルネッサンス時代に創立した捨て子養育院で、子供達がどのように引き取られ育っていったかなどをご案内しました。 今回は、いまのフィレンツェの子供達に焦点を当ててみたいと思います。フィレンツェという歴史ある街で、その特徴を活かし、市や美術館がどのように取り組み、子供達が普段からアートに触れられるようにしているのでしょう。 フィレンツェの大人達にもアートを!フィレンツェ市立美術館(Musei Civici Fiorentini)には、市庁舎でもあるヴェッキオ宮殿を筆頭に、

フィレンツェの子供達。 n.1

年が明け2023年。1月もすっかり下旬に差し掛かりました。 ご挨拶が遅れましたが、22年に投稿に立ち寄ってくださった方々、コメントを残して下さった皆様、ありがとうございます。2023年も何卒よろしくお願いします。 ******* 今年初めての記事に何を書こうか迷いましたが、最初は、やっぱりフィレンツェから始めることにします。 この絵は1488年から1年をかけて描かれた、東方三博士の礼拝(とうほうさんはかせのれいはい)。三人の博士が、生まれたばかりのキリストをお祝いする

秘密のアート基地、貴石修復所 *n.5

L'Opificio delle Pietre Dure - alluvione 貴石工房が作られた由来は、シリーズ第3回目でご案内していますが、なぜ「貴石」という名前を頭に掲げ、多種多様な作品を修復するようになったのでしょうか。 貴石修復所の歴史の紐を解いていきましょう。 貴石工房の誕生と危機貴石工房の誕生は1588年。貴石を嵌め合わせるコンメッソ・フィオレンティーノ、日本語でフィレンツェ風モザイクと呼ばれる技法で、メディチ家礼拝堂を装飾する専門工房です。 メディチ

秘密のアート基地、貴石修復所 *n.4

L'Opificio delle Pietre Dure - via Alfani Restauro 貴石・石彫刻・ブロンズ・陶器磁器 修復所の母屋では、前回案内した貴石類以外に、ブロンズ製のもの、石に関わるもの、陶器や磁器類と、分野ごとに部屋が区切られています。 ブロンズの修復ドナテッロ ブロンズ部門に訪れてみましょう。 今年の春夏にフィレンツェで開催されたドナテッロ展。初期ルネッサンス時代に活躍した芸術家で、ミケランジェロに多大なる影響を与えています。 ドナテッ

秘密のアート基地、貴石修復所 *n.3 -commesso fiorentino

L'Opificio delle Pietre Dure - Museo Opificio delle Pietre Dure 前回までは、バッソ要塞にある、絵画や木製彫刻の修復所へ訪れていましたが、今回は母屋である、フィレンツェ中心街にある修復所へ移動します。 正式名は、L'Opificio delle Pietre Dure。貴石修復所。そもそも、どうして「貴石」という名が頭についているのか。 その理由を知るには、500年前へ遡らなければなりません。 礼拝堂と石の

秘密のアート基地、貴石修復所 *n.2 

L'Opificio delle Pietre Dure - Fortezza da basso. フィレンツェの国立修復所を見学しています。 前回からの続きです。 国立貴石修復所では、出張で修復することも多くなりました。 フレスコ画という技法があります。壁に漆喰を塗り、水で溶いた顔料を漆喰壁が乾かぬうちに素早く描いていきます。 漆喰を塗る人 下絵を点描で壁に移している人 移された点描を線で繋げている人 フレスコ画を描いている人(通常は師匠が担当) 絵の描かれ