マガジンのカバー画像

モノづくりインタビュー

22
なぜイタリアのモノづくりは、色っぽくて魅力的? 彼らの美意識が生み出すものとは? そこから生み出される、ホンモノの力とは? 考えてもわからないことは、本人たちに聞いてみよう! … もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

路面店のない、ハンドメイドの鞄店。n.4

今回のインタビューは、フィレンツェ中心街にある『Cellerini チェッレリーニ』です。 1960年から同じ場所に工房とショールームを構え革製品の商品を作っている、フィレンツェの老舗店です。 今回は、チェッレリーニのインタンビュー最終回です。 ******** * イザベッラさん イザベッラさんは工房に入り今年で4年目。 学校を卒業後、なにをしていいのかわからない。 自分が将来なにをしたいのかもわからない。 それでこの工房に入りました。 お店の接客をしていて、

路面店のない、ハンドメイドの鞄店。n.3

今回のインタビューは、フィレンツェ中心街にある『Cellerini チェッレリーニ』です。 1960年から同じ場所に工房とショールームを構え革製品の商品を作っている、フィレンツェの老舗店です。 第2回目はお店や販売のことなどを伺いましたが、第3回目は工房でのお仕事や想いについて、職人アントネッラさんに伺います。 ******** Q. クラシックな形が多いですが、新しいデザインもされますか? 壁に掛けられているのは、1960年から現在までの型紙です。 番号が振って

路面店のない、ハンドメイドの鞄店。n.2

今回のインタビューは、フィレンツェ中心街にある『Cellerini チェッレリーニ』です。 1960年から同じ場所に工房とショールームを構え革製品の商品を作っている、フィレンツェの老舗店です。 貴重な時間を頂いてしまうので、 あまり長居をしないように心がけています。 しかし日本贔屓の職場ということもあり、 ついついおしゃべりに花が咲き あっという間に時間が過ぎるのを 引き戻しながらのインタビューとなりました。 楽しそうな工房の雰囲気も感じて頂ければ嬉しいです。 **

路面店のない、ハンドメイドの鞄店。 - n.1

今回のインタビューは、フィレンツェ中心街にある『Cellerini チェッレリーニ』です。 フィレンツェの駅名にもなっているサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。 教会から5分ほど歩いたところに、1600年代に建てられたファリノーラ邸があり、邸宅の正面玄関には、フィレンツェらしくメディチ家当主の胸像があります。 当時の主人がメディチ家から重要な任務を与えられていたようで、感謝を込めて自邸に胸像を飾ったようです。 この邸宅の2階が今回訪れる工房です。 2018年までは通りに

糸杉に響く、とんからり。若き機織り職人の物語 - n.3

Ozio Piccolo Studio Tessile シモーネのトレードマークである、大きな耳ピアス。腕にあるタトゥー。高校を中退して、アウサイダー的な生き方をしてきて、いまがあるシモーネ。 履歴書だけで判断したら、彼の本来の姿とはまったく異なるイメージを想像するかもしれません。履歴書の代わりに、彼の織った生地に触れれば、彼の繊細な感受性を感じ取れるかもしれません。 アトリエに置かれている、ひとつひとつのオブジェや、イタリア中から探したアンティック家具も、彼の感性を表

糸杉に響く、とんからり。若き機織り職人の物語 - n.2

Ozio Piccolo Studio Tessile フィレンツェを州都とするトスカーナ州には、なだらかな丘陵に、葡萄畑やオリーブ畑が広がり、ところどころに、中世時代の雰囲気を残す、石積みで建てられた美しい村が点在します。 今回お話を伺ってる、シモーネさんの、小さな織物スタジオ「オツィオ Ozio」は、そんな自然に囲まれた中世時代の建物にあります。ずっと昔は、牛や馬を飼っていた牛舎でした。餌を食べる場所などが、そのまま残されていて、それが素敵なインテリアになっています。

糸杉に響く、とんからり。若き機織り職人の物語 - n.1

Ozio Piccolo Studio Tessile シモーネ・ファッリ。1988年生まれ。 職業、機織り師。 彼の活動の拠点は、 自然に囲まれたトスカーナ地方の一角。 Ozio Piccolo Studio Tessile 小さな織物スタジオ「オツィオ Ozio」が 彼のアトリエです。 彼の作品と初めて出会ったのは、21年のAritiginato e Palazzo。柔らそうな布の感触や、優しい風合いに目を奪われたのを覚えています。その後も、展示会や、青空市場で

「ここ」から「未来」へ。 ゾウガニスタ 望月さんの物語。 - n.4(最終回)

フィレンツェで唯一、木象嵌細工を専門とする職人、望月貴文(Takafumi Mochizuki)さんにお話しを伺っています。今回は最終回です。 前回に望月さんが「昔からのスタイルで、新しいものを創る」と話されていましたが、イタリアで木象嵌は1300年代から教会の装飾として使われるようになります。現代の望月さんが製作するのとまったく同じ材料と工程です。 トスカーナの南に位置するモンテオリベートマッジョーレ修道院の教会。1300年初期に建立され、いまも毎日ミサがあげられます。

中世からのスタイルで、新しいものを創る。ゾウガニスタ 望月さんの物語。 - n.3

フィレンツェで唯一、木象嵌細工を専門とする職人、望月貴文(Takafumi Mochizuki)さんにお話しを伺っています。今回は第3回目です。 過去から現在に時間は移り、「いま」の望月さんが想う木象嵌とは? 望月さんの「絶対に失敗しない」というコンセプトが、あるとないとでは、仕事に向かう気持ちは変わりますか?日本の風潮なのか分からないですが、「失敗を怖がるな」ってあるじゃないですか。 もちろんそうなんですけど、自分がものを作っていて、自分の扱っているものって、アンティ

職人であり、職人に憧れる。ゾウガニスタ 望月さんの物語。 - n.2

フィレンツェで唯一、木象嵌細工を専門とする職人、望月貴文(Takafumi Mochizuki)さんにお話しを伺っています。今回は第2回目です。 短期留学の予定だったフィレンツェ滞在。が、予定は未定。 運命的な師匠との出会い。さらには、彼の運命を決定づける木象嵌の存在。 共同で家具の修復を行う間に、師弟関係は、少しづつ二人三脚の体を成して来たことでしょう。 日本に帰るべきか、帰らざるべきか。 目的を見つけてしまった人が、必ず通る関所です。 さあ、どうする望月さん!

サーファー、営業、そして職人。ゾウガニスタ 望月さんの物語。 - n.1

まずは、こちらをご覧ください。 木の色と肌の風合いを活かし、組み合わせ、製作された、木の調和が響く作品。 木象嵌(もくぞうがん)という技術で製作されています。 イタリアでは1300年代に用いられ始め、ルネッサンス時代の1400年代には、遠近法を用いた図案で飛躍的に技術が進歩します。 そしていま。 機械という文明の利器で、あっという間に木を切れますが、そんな時勢に逆流するかのように、糸鋸を手に、ひとふり、ひとふり、木を切り、自身のデザインを手がけるひとりの職人がいます

香りの工房。n.9 *調和と幸福のありか。*

今回で香りの工房も最終回。先に植物を100%原料としている製薬会社の博物館へとご案内し、マリア・レティツイアさんのアトリエに戻ります。 前回までのシリーズは、本投稿の一番最後に案内していますので、ぜひお立ち寄りください。 Aboca アボカ本社のある土地名をそのまま社名にしたアボカ。あたり一面に咲いていたキンラン草を、土地の人がアビガ(Abiga)と呼んでいたことから、アボカという土地名になったそうです。 現在アボカでは、1700ヘクタールの畑に60種類の植物を栽培し

香りの工房。n.5*香りのことば*

香りの工房、5回目です。4回目までは、マリア・レティツイアさんからお話しを伺い、精油の世界を案内して頂きました。今回は、ご好意で実際に精油を試した体験と、精油や植物に潜む、香りのことばをご案内します。 前回までのシリーズは、本投稿の一番最後に案内していますので、ぜひお立ち寄りください。 精油の体験テーブルに並べられた精油。小皿に落とされた精油の香りが、逆さにされたカクテルグラスに閉じ込められています。 よくみると、三角形の形に並んでいますが、ちゃんと意味があるんです。

香りの工房。n.4*香りの治療師*

香りの工房のつづきです。マリア・レティツイアさんが、どのように香りに近づくようになったのか、過去から現在、そして未来へと続くお話を伺います。今回は後半です。 前回までのシリーズは、本投稿の一番最後に案内していますので、ぜひお立ち寄りください。 前半ではマリア・レティツイアさんが香りの工房を開くまでの経緯を伺いました。後半では、わたしの質問集からお聞きします。まずは軽めに、個人的に気になっている質問から。 動物にとって、香りははよくないと聞いたことがあります。天然の精油な