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Visual Designとは、何か?

私が所属するWOWは、「ビジュアルデザイン」スタジオと名乗っている。モーショングラフィックスといった映像を起点として、現在ではUX/UI、空間デザインといった多次元的な体験空間まで活動領域を拡げてきているが、なぜ「ビジュアルデザイン」という言葉を用いるのか?実は、自分も当初、疑問に思っていた。WOWに所属する個の見解になるが、この疑問を探ってみたい。(なので、この文章はWOWの公式見解では無いこと含み置き。)

五感の視覚ではなく

WOWは、なぜ敢えて、ビジュアル(視覚)という五感の一要素を掲げ続けているのだろうか。五感をフルに活用する体験デザインを行っているはずなのに、視覚表現だけしかできないように捉えられて仕舞わないかという不安も感じられる。

私が思うに、ここで言うビジュアルとは、既に、五感の一つの要素としての視覚だけを表す言葉では無い、さらに大きな意味を持っているのではないかと。

ビジュアルの語源

突然だが、ビジュアル(visual)は、ラテン語の「見る」という意味の"videra"を語源とする。この言葉は、visual以外にも、vision(視界)の語源であり、驚くことにwisdom(知恵・英知)の語源ともなる。ここから、さらに興味深いのだが、visionは、"visonary"(ビジョナリー。先見の明のある、幻想的な)の語源になる。これらの言葉が、一つの言葉を基に枝分かれたことに、何らかの因果関係を感じざるを得ない。

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ビジョナリーを伝えるデザイン

我々は、クリエイティブを通して、クライアントと何をつくっているのだろうか?単に美しいもの、人の感情を揺り動かすものをつくっているのではない。クライアントの商品や彼ら自身の世界観、受け手に届けたいメッセージを体言化する高度なデザインワークを、我々は毎回クライアントと共に挑んでいる。それを通して、実現したい社会の未来像、つまりビジョナリーを描き出しているのだ。

ビジョナリーは、その先見的な宿命な上、世にまだその形を見出していない場合もある。クライアントと我々は、深い霧が立ちこめた暗い森の中、我々が求める場所(ビジュナリー)を求め、進むべき道をデザインという灯火で照らして分け入っていくパーティーに似ているのかもしれない。

我々は、社会を変えていくビジョナリーを、デザインというコミュニケーションツールで繋げている。それがビジュアルデザインが持ち始めた本来の意味なのかもしれないと、考えながら、日々制作にあたっている。

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