アーク・オッニョ

アウトプットの練習

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最近の記事

児童養護施設の道具屋さん

厳密には養護施設ではないけど、15歳から2年半施設で暮らしていた。 最近は年齢上限が撤廃されたらしいけど施設にいるほとんどの子が未成年だったので、契約行為ができない。 バイトや学校などで保護者の承諾が必要な場面では施設長が代理人になってくれていたけど、令和のJKの必需品であるスマホは支払い能力があっても本当の親を挟まないと契約ができなかった。 そもそも親との関係が良好であれば基本的に施設に来ることはないので、当時施設にいた未成年の半分くらいはsimあり(キャリア通信ができる

    • 施設から閉鎖病棟に入ってきた女の子

      中学時代の1/3は入退院を繰り返しながら閉鎖病棟で過ごしたんだけど、施設から病院に入院してきていた子がいた。 わたしがいた児童精神科病棟は基本3ヶ月で退院させられる急性期病棟と違って、実質1つの施設として機能していても良いくらい長期入院している子が多くて、入院するほど精神に問題がありそうな子は少なかった。 だったら病院より施設にいた方が、常にエレベーターホールの前が施錠されている閉鎖的な空間にいるより健全だと思うんだけどそういう訳にもいかないらしい。大人の事情……(社会的入院

      • 小学校の支援学級が神だった

        支援学級に籍を置いていたのは中学からなんだけど、通っていた小学校には週に1回だけ通う支援学級があった(通級という場所で、わたしが卒業した数年後には制度ごと無くなっていた) 親の意向で診断がつく前に複数の精神科に転院を繰り返していたため(バックれてるので初診?)小5までその支援学級に通う資格はなかったんだけど、学校内でのわたしの様子に見かねた支援学級担任の善意で体験という形で入れてもらえることになった。 支援学級内では学校の教科の勉強はせず、学年はバラバラの複式学級で給食を

        • 中途半端ってつらいよね

          自分の能力や環境に関して、中途半端に運が悪かった。 小学生の時は発達障害グレーで周囲にはついていけないが支援学級では持て余していた。 施設に入るにしては家庭環境が良い方だったので、事情を知っている施設職員からの当たりが強かった。 障害も育ちも悪ければ悪いほど大変なのは理解しているつもりである。 悪い中でも恵まれている苦しみは自分が一番わかっているはずなのに、恵まれているように見える状況で苦しんでいる人に嫌悪感を抱いてしまう。 自分がされて一番苦しかったことを他人にやってい

        児童養護施設の道具屋さん

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        • 児童福祉施設の話
          12本
        • アーク・オッニョのエッセイ
          61本
        • 閉鎖病棟の話
          12本
        • 児童相談所の話
          3本
        • アーク・オッニョについて
          9本
        • 日記
          8本

        記事

          施設から少年院に行ったメンヘラ

          15歳で施設に入った時、同じタイミング(確か2日違いとか)で入所してきた女の子がいた。Sちゃんとしよう。 施設に入ってからバイト先が決まるまでは施設内で掃除や調理の手伝いをしなければならず、初めの頃は必然的にSちゃんと関わることが多かった。 共同作業の時間以外でSちゃんと直接関わる機会はなかったけど、調理で手を洗うときに長袖をまくると大量のリスカ跡があったり、通信制高校の課題提出のためにスマホの使用を許可されると隠しもせずインターネットの人とビデオ通話を始めたりと、ある程度

          施設から少年院に行ったメンヘラ

          施設の友達が大人になれずに死んだ

          死について考える時間が長くなっているときの自分は、生きることから気持ちが離れているんだと思う。 頭ではそれをわかっているのに、もう更新されないあの子のSNSをリロードし続ける時間がある。 わたしは施設で出会った友達の多くを下に見ていた。 (今思えばわたしも向こうも友達とすら思っていなかったのかもしれないけど、それでも"友達"だったのだろう) みんな語彙が少なくて、お金の計算ができなくて、感情で行動して破滅していた。 人間関係をしょっちゅうリセットするので、彼氏は週替わりだし

          施設の友達が大人になれずに死んだ

          †習慣化†

          継続は力なり💪みたいな意識高いことをしようとしたわけではないのに、Duolingoを毎日続けて連続記録が50日を超えた(サムネは1ヶ月くらい前のもの) スマホは毎日平均7時間使うので目に入るところにウィジェットを作ったらアプリを起動するまでのフットワークが軽くなり、いつのまにか毎日Duolingoを開いてレッスンをこなすのが習慣化されたのだと思う。 ASDの特性もあるだろうが、いちど習慣が身に付くと毎日続けることはほとんど苦痛にならなかった。 実際にDuolingoをやって

          通信制高校生活3年間をふりかえり!

          休学したので卒業してないんですけども、高校3年間の間にあった出来事を振り返っていこうと思う。 学校要素は殆どなく、施設・アルバイト・病気などに全力を捧げた3年間でした。 (今回は長いので目次付きです) ・〜受験まで不登校だった&&それとは関係なく中3の夏まで児童精神科病棟に入院していたため、進路の選択肢は通信制しかなかった(一瞬国立高専に行きたかった時期があったけど、内申ないし5年間体調を安定させるのは無理だったので行かなくて正解だった) 最初は某通信制高校の通学コースを受

          通信制高校生活3年間をふりかえり!

          土曜日の児童相談所

          2021年4月某日 当時15歳のわたしは北新宿の児童相談所内にある一時保護所に収容されていた。 入所してまもない頃は非日常で異常で特別に感じたこの場所での生活も、1ヶ月弱繰り返せば日常化して退屈になる。 日中は教員免許を持った先生が来て授業をしたり体育館でランニングをしたり、担当の児童福祉司が面会に来たりと何らかの日課がある平日と比べると、世間は休日で保護所に出勤する職員の数も少ない土日はわたしたち入所児童にとっては退屈でつまらない週末だった。 あと何回、ここで週末を過ごす

          土曜日の児童相談所

          閉鎖病棟にいた小学生

          中学生の時に2回、一番長かった時で8ヶ月児童精神科病棟に入院していたんだけど、その病棟には小学生もいた。 本来なら家庭で生活し学校に通っているはずの年齢の子が、精神科の閉鎖病棟に入院するほどの事情ってどういうことだろう。 当事者の立場だし本当の事情はわからないけど、入院中に出会った小学生の子の中でも特に印象に残ったAくんの話をしようと思う。 1回目の入院で最初に仲良くなったのが、当時小学3年生になったばかりのAくんだった。 退屈な毎日の繰り返しである入院生活では新規入院者は

          閉鎖病棟にいた小学生

          時間に対する価値観を変えたら幸せになってきた

          施設にいた関係で高1からの2年間をほぼアルバイトに費やしていたからか、時間を無駄にすること≒損失という価値観が常にあった。 当時時給1013円で働いていたので、自分の1時間の価値は1013円であり、1時間1013円に満たない行動は無駄で、すべて損だと思っていた。 実際の時給は自分の時間に対する価値ではなくて、行った労働に対する対価だったのだけど。 アルバイトを辞めて施設を出て生活保護で暮らすようになってから、当時とは比べ物にならない程時間とお金に余裕ができた。 初めのうちは

          時間に対する価値観を変えたら幸せになってきた

          恐怖が増えてきた

          ほとんどの物事が怖くなってきた。 日常的な支障として、特に対人関係が怖い。 コミュニケーションに難があるのは今にはじまったことではないが、以前は好んでやっていたツイッターさえも忌避するようになってきた。 人と会えない。 誰と会うのも怖い。 今年に入って唯一会った施設時代の知り合いからはわたしがルポライターだったら本1冊書けるくらいの重い話を散々聞かされ、3日に一度は心中の誘いをされるようになった。 今のメンタルではたえきれない。 現状維持以上の生活が苦しくなってきた。

          恐怖が増えてきた

          2024年にやりたいこと

          noteを眺めていたら「2024年にやりたいこと」というタグがあったので、便乗してリストアップしてみることにする。 年始に立てた抱負なんて半年を過ぎる頃には忘れているのがオチだけど、自分がやりたいことを把握するには良い機会だと思う。 1.高校卒業 これを書いている2024年1月時点でわたしは通信制高校3年生で、本来であれば年度末に卒業できるはずだった。 だけど精神の不調や自己管理能力の欠乏、怠惰とかが重なって退学と留年は免れたものの休学することになり、来年も高校生をするこ

          2024年にやりたいこと

          年が明けてから振り返る(前編)

          2023.12.31 Xとなってしまったツイッターランドでは、タイムラインでフォロワーたちがこぞって1年間の出来事を振り返っていた。 特に逆張りというわけではないのでわたしもそれにならって振り返ろうとしたところ、たまたま頭のコンデションが悪かったのかBADに入ってしまった。 その間に年は明け、三が日もとっくに終わってしまったけれど、今更2023年を振り返ってみようと思う。 1月 施設で2度目の年越しだった。 2022年には悲しいことがたくさんあって、年末に自殺未遂をした

          年が明けてから振り返る(前編)

          関東例会に参加して

          ※この記事はサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー22日目の記事です。 自己紹介 アーク・オッニョ(Twitter:@ark_onyo)と申します。 HNはフォロワーに考えてもらったのですが、響きが良くて個人的にも気に入っています。 アークさん/オニョちゃんなどと呼ばれることが多いです。 どちらが名字なのかは自分でもわかってません。 関東例会に参加して サークルクラッシュ同好会という存在はTwitterで見かけたことがある程度で、具体的にどのような活動が行われて

          関東例会に参加して

          めでたくない卒業

          通信制高校を3年で卒業できそうにない現実から逃避するために、わたしのこれまでの卒業に対する経験を文章化してみる。 学校の卒業式に出たことがない。 正確には幼稚園と小学校の卒業式には出たんだけど、親の意向で当日だけ参加した行事以外のほとんどを休んだため特に帰属意識はなく、感動も思い入れも覚えなかった。 中学はそもそも中1の最初以降全く通っていない上、自殺未遂をして入院したまま卒業式の日を迎えたので何もわからない。 そして春に卒業すらできない通信制高校は、年数回のスクーリング以

          めでたくない卒業