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反抗期 1

 主人が転職し、兵庫県で生活するようになり中学を3校目になる上の娘は、不安も不満も限界になっていたようだ。
 名古屋での生活同様、環境や学校が変われば人間関係も勉強も変わってくる。彼女には相当のストレスが溜まっていただのだろう。この頃から、親子で喧嘩を頻繁にするようになり、何を言っても娘にはうまく伝わらず、家族がまとまらない苦しい時間を送る日が続いた。
 私もまた、色んなストレスを抱えていた。
 住む所も変わり、今までのような生活を送れない現実を受け止められず、それがストレスになっていた。上の娘の中学でも役員を引き受け、下の娘の習い事には付き添い関わる事が、更なるストレスを増やしていったのだと思う。自分の今の環境と生活が嫌でみじめで、友人を作ろうとも思わない私だったが、子供の苦しんでいる姿や親子での言い争いの相談を、聞いてもらう相手が私には必要になっていた。その相談をした友人は、兵庫に来て初めて出来た友人で今でも私の大切な友人の1人であり、誰よりも身近で支えてくれた友人との出会いになった。
 不思議と彼女には何でも相談出来、彼女が話してくれる事は素直に聞き入れられる自分がいた。娘が反抗期で言う事を聞かないと相談すると、
「反抗期だって娘さんが自分で言うの?」
と不思議そうな顔で聞かれた。とにかく私の言う事を全く聞かず、何を言っても反抗するのだと話すと、
「あなたの娘さんはとってもいい子だと思うよ。だって、自分の意見をきちんと持っている子供さんじゃない。自分の意見をきちんと親に言える親子関係はいいってことなのよ」
と私に諭すように話してくれた。
 何をしても否定的に捉えていた苦しい時に聞く前向きな言葉は、とても勇気づけられた。色んな会話をしていく中で娘に対する苦しい気持ちに少し変化が生まれてきた。小さい頃から私の意見を押し付けて、それが正しいと教え育てて来た自分がいた。
 娘からするとどうだろう。自分の意見を言えば反対され聞いてもらえない、そんな気持ちになっていたのかもしれない。そんな風に考えたら、私が勝手に思っている反抗期とは、自分の理想通りに子供がならなくなった時に使う、都合のいい言葉だったのかもしれない。親に自分の考えを言えていなかった子供が、自分の意志で思った行動や意見を言い、親の考えて異なった時、反抗期だという言葉で解決しようとしていたのかもしれない。彼女は何が正解で間違いとかの答えを出すのかではなく、子供の立場で何でも考えてあげれば、きっと親子関係が上手くいくのだと説明してくれた。

自分に出来る事はなんでもチャレンジしていく!難病だって、夢を持っていれば楽しく暮らせるってことを伝えたい。