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金髪ギャルは唯我独尊

男って、本当に単純だ。

上崎アゲさきユミはマクドナルドの店内で、男の話に耳を傾けていた。

男はユミと同じ高校に通う3年生だった。ユミよりも学年が一つ上である。

男は、サッカー部のたるんだ後輩を締め上げたことや試合でハットトリックを達成したことなどをしきりに話す。ユミが話題を変えても、気がつけば自慢話が再開している。こいつは顔は良いが、頭の中には武勇伝しか詰め込まれていないらしい。

ユミは自慢の金髪を指先で弄びながら、出そうになるあくびをこらえた。時折、男の視線はユミの豊満な胸へと向けられる。ユミがトイレに行こうと立ち上がると、その視線は、スカートから伸びた細い脚に移った。バレていないとでも思っているのだろうか。バカな上にスケベときている。

鏡の前でチークを軽く叩き、グロスを引くと、ユミはテーブルへと戻った。

「別れよっか」

ユミは男に向かってそう言った。男がうろたえる。先ほどまでの威勢はどこにいったのだろう。どうして、と男は小さな声で言った。

「先輩、明美ちゃんと付き合ってたんでしょう。恋人がいるのに、先輩は私に言い寄ってきた。そういう男の人って、あんまり好きじゃないのよ。将来的に、またそういうことするかもしれないでしょう。だったら今別れといた方がいいと思うの」

ユミは明美のことが嫌いだった。同じクラスで、ブスのくせに先輩と付き合っていることを吹聴して、いい気になっている女。ユミが先輩を奪ったら、この世の終わりみたいに泣いた女。

「そういうことだから」

ユミは男の返事を待たず、マクドナルドを出た。全てぶち壊してやった。爽快爽快。

今にもスキップしてしまいそうな気分で帰路につくと、ユミはある男の後ろ姿を認めた。

「うわあッ! な、なんだッ」

ユミが後ろからその背中を押し、驚かすと、男は素っ頓狂な叫び声をあげた。

「アニマンじゃーん。なにしてんの?」

アニマンはユミの姿を認めると、軽いため息をついた。

「なにって、帰ってるんですよ。見て分かりませんか? 今日は見たいアニメがあるんです。あと20分で始まってしまう」

アニマンはアニメとマンガが大好きだ。だからアニマン。相変わらず、そっけない態度を取るものだ。アニマンがそのまま黙って歩いているので、ユミは言った。

「ユミがなにをしてるかってことは、聞いてくれないわけ。言葉のキャッチボール」

アニマンはむっとした顔で振り返る。背丈はユミよりも少し低い。

「上崎さんはなにしてるんですか」

「今ね、男の人振ってきたところ」

「またわけの分からないことを……」

ユミは、自分が可愛いと思っている。これは自惚れではない。その証拠に、周囲の男は皆、ユミのことを可愛いと言う。「好き」と言えば誰もが顔を赤くし、「付き合って」と言えば誰もがついてきた。

ユミは、自分が可愛いという証拠を毎日集めている。だから、男なら誰でも付き合うし、可愛いと言わせる。その膨大な数のデータが、私の可愛いを支える。

そのデータの外れ値が、このアニマンだった。

アニマンはユミを見向きもしない。ユミのことを好きにならない男がいるというのは、由々しき事態だった。絶対にありえない。ユミの興味は、自然とアニマンに向いた。

「見たいアニメってさぁ、どんなやつなの」

ユミはアニマンに尋ねた。

「上崎さんに言っても分からないでしょうね」

「いいから教えてよ」

「簡単に言えば、AIに侵略されそうな人類が、それを阻止するためにアンドロイドと戦うやつですよ」

「ふぅん。どこが面白いの」

アニマンの目の色が変わった。

「どこが面白い? そりゃたくさんありますよ。まず、主人公のバックグラウンドです。これが非常に緻密に作り込まれ——」

それ以下は呪文にしか聞こえなかった。ユミはスマホを開き、アニマンの説明を受け流した。ふと、メッセージの通知が届く。ユミが次に目をつけている男からだった。同じ高校の2年生で、野球部である。

「あ、アニマン。ユミさ、用事思い出したわ。また今度聞かせて」

ユミはそう言ってアニマンの頭を撫でてやる。アニマンの表情は変わらない。むしろ、なに触ってるんですか、といった非難さえ浴びせてくる。可愛くないやつ。照れろよそこは。ユミはアニマンに背中を向け、歩き出した。

野球部の男とはその日のうちに電話をした。

「ねえ、明日さ、校門の前来てよ。一緒帰ろ」

男なんてその一言で充分だった。

次の日、男はニンジンを目の前にぶら下げられたロバのようになりながら、校門にやってきた。

坊主頭を撫でると、男は鼻の下を伸ばし、本当にロバみたいになった。笑いそうになる自分を抑えながら、練習頑張ったねぇ、と声をかけてやる。

しばらく歩き、高校から離れたところで、失恋話を持ち出す。昨日振った男についてだ。自分が振られたことにして、同情を誘う。

「ユミって可愛くないのかな」

上目遣いで男に訴えかける。当然、可愛いよ、と返ってくる。ユミの心は満ちる。男の腕に抱きついたりしてみる。男の顔は面白いくらいに赤くなる。

「なんか言いたそー。なになに、どしたの」

一週間ほど一緒に帰り、そういったセリフで後押ししてやると、男は十中八九、告白をしてくる。ユミは快く受け入れてやる。これからしばらくは、可愛い、というセリフには困らないだろう。ユミは最初のデートの約束をして、家に帰った。

ユミは家のドアを開けても、ただいま、とは言わない。家には誰もいないことの方が多いし、いても返事などしてくれないからだ。

玄関の帽子掛けからは、父のジャイアンツの帽子がなくなっている。今日もパチンコに行っているのだろう。

一人で夕飯を作り、それを平らげると、ユミはストレッチと体幹トレーニングを始めた。流れ出た汗を拭き、脱衣所の鏡で体のラインを確認したのち、一時間の半身浴を開始する。風呂あがりには化粧水、パック、美容液、乳液、クリームまで塗り、体にはボディオイルを垂らす。ユミは、何の努力もせずに、ただ可愛いと言われたいバカな女ではない。それ相応のルーティンをこなすのは当然のことだ。

美顔ローラーを転がしながら、ベッドの上で恋愛ドラマを見る。これもれっきとしたルーティンである。男女の恋模様を観れば、女性ホルモンが分泌され、肌質、髪質ともに良くなる。そしてそのときめきを維持したまま、眠りに入る。

何かに脚を触られたような感覚がして、ユミは目を覚ました。寝ぼけた頭で、アルコールの匂いを嗅ぎ取る。

「レイナちゃぁん。まだいいじゃなぁい、もう一杯だけぇ」

そこにはユミの父がいた。ユミの太ももに手を当てている。

「こんのエロ親父ッ!」

ユミが回し蹴りをお見舞いすると、父はのけぞって、ベッドから離れた。

「ユミはキャバ嬢の姉ちゃんじゃない! どんだけ飲んでんだ」

「ぉおっ、わりいわりい。ユミか、帰ったぞぉ」

「んなこと知ってるよ。早く部屋から出てってよ。きしょいな」

ユミがそう言い放つと、父は背中を縮こませて、退散していった。

ユミは父と2人で暮らしていた。だらしのない人だが、なんとか生活はできている。母はユミの出産時、合併症によって帰らぬ人となった。生きている母と一度は対面したらしいのだが、生まれたばかりのユミにとって、それを思い出せという方が無理な話だった。

父はユミが7歳の時に再婚した。相手は父よりも10個以上年下の女で、ユミのことを可愛がってはくれたが、どうしても好きになれなかった。それは単に女が若かったという理由だけではない。女の仕草や言葉遣い、匂い、全てが気に入らなかった。

だから、転校先の小学校に、親身に寄り添ってくれる人がいなければ、ユミは壊れていたかもしれない。義母との不和、父への反感、慣れない環境。そんな中で、一人の快活な男の子が、ユミにしきりに話しかけてくれた。ユミがグループの輪に入れるように手を回してくれた。男の子は足が速く、背が高く、人気者で、名前は憶えていないが、幼かったユミの初恋の相手だった。

しかし、翌年には父と義母は離婚し、ユミは再び転校を余儀なくされた。ユミはその男の子に、フェルトでできた、動物かなにかのキーホルダーをあげたのだった。自分で手作りしたのを覚えている。我ながら、いや、我だから、可愛いことをしたと思う。

過去を振り返り、ユミの心はときめいた。よし、また女性ホルモンが出た、そう思って再び眠りについた。

登校すると、アニマンはいつものように机の上でタブレットをいじっていた。その画面にはマンガが表示されている。

「おはよー」

ユミはこれでもかという笑顔でアニマンに挨拶をしてみた。

「おはよう」

アニマンは画面から顔を上げない。この野郎。

「上崎さん、おはよう!」

アニマンの後ろの席に座る男がそうユミに声をかけてくる。テメーに挨拶したんじゃねぇよ。男の目線が素早くユミの胸から腰、脚に移る。殺されたいのか。

「おいユミ、誰と話してんだ」

教室の外を見ると、ユミが付き合い始めた野球部の男が立っていた。一応、彼氏ということになる。隣のクラスから顔を出してきたようだ。

「あ! おはよ。来てくれたの?」

「そんな奴らと話してないで、こっち来いよ」

彼氏は小声で言った。ユミは髪を揺らしながら、彼氏に近づいていった。その目をまっすぐに覗き込み、頬を人差し指で突いてみた。

「ヘアピン変えてみたんだけどさぁ、どうかな?」

ユミは髪をかきあげてみせる。彼氏は息を呑んだ。

「か……可愛いよ」

ふふ。これこれ。そうよ、可愛いに決まっている。

「今度のデートさ、ショッピングしたいんだけど、どうかな。洋服、選んでくれない?」

話はデートに関するものに移っていった。せっかく彼氏になったのだから、ボディタッチを多めにしてサービスしてやる。耳を赤くしては、ユミに向かって可愛いと言ってくれる。ユミは満足だった。

ふと、教室の中に目を戻すと、アニマンが一人の女と話していた。ポニーテールの黒髪に、メガネをかけた地味な風貌だ。確か生徒会に入っている、武藤とかいう女のはずだ。ごわごわとした髪質に、そばかすの浮いた肌。ユミにとって武藤は、女として生きることを諦めた人間だった。

アニマンは楽しそうに武藤と話していた。ユミの前であんな笑顔を見せたことがあっただろうか。ユミはなぜだか、嫉妬に似た気持ちを抱いた。ユミのような美女の前では素っ気なく、地味なブスにいい顔をしてみせる。

彼氏との会話を半ば強引に終わらせ、ユミはアニマンの机に近づいた。どうやら、二人はマンガの話で盛り上がっているらしい。

「上崎さんに言っても分からないでしょう」

ユミが二人の会話の中に入ろうとすると、アニマンにそう告げられた。武藤は会話を邪魔されたように感じたのか、ユミのことを軽く睨んでいる。その眼差しの中には、軽蔑も含まれているように感じる。ユミが金髪のギャルだからだろうか。

こういう女は、外見よりも中身に気を遣うタイプだ。クラスにはもっとカッコいい男がいるのに、わざわざアニマンに話しかけることが、それを証明している。気の合う性格で、清潔な精神さえあれば他には何もいらない、などとほざく輩だ。外見も整えないで、中身ばかり求める傲慢さ。こいつは手順を飛ばしている、ズルい人間だ。

「それでね、さっきの話だけど。3巻でさ、敵のアンドロイドが――」

武藤はユミを完全に無視して、アニマンとの会話を再開する。

「おーい、ユミ。また昼飯ん時な」

ユミはまだ教室の外にいた彼氏に手を振り、自分の席で寝ながら1限を待った。楽しそうな二人の会話が、耳障りだった。

彼氏とのデートの待ち合わせは、学校からほど近いショッピングモールだった。ゴールデンウィークで混雑するため、都心に行くのは諦め、近場で済ませようということになったのだ。

ブティックをいくつか回り、昼にはパスタを食べ、おやつにはクレープを二人で分け合った。そしてまたブティックに入る。

試着室から出るたび、彼氏はユミのことを可愛いと言った。これなら着替えるのも苦ではない。

夏服が一足先に売りに出されていたため、ユミはミニ丈のジーンズに手を伸ばしてみた。履いてみると、体のラインが如実に表れてドキドキしたものだが、日々の努力の甲斐あって、鏡の中の自分に見惚れた。試着室から出ると尻を触られて不快になったが、これは彼氏の前で大胆な姿を見せた自分にも少なからず非があるように思えて我慢した。

夕方、ユミはアニマンの姿を見た。アニマンは有名な漫画雑誌のグッズショップにいた、武藤と二人で。

ずいぶんと仲の良いこと。ユミは彼氏を待たせて、ショップへと近づいていったが、ちょっかいをかけたくなってしまう自分がアホらしく、途中で踵を返した。

「あれ、お前が言うアニマンってやつだろ」

彼氏が言ったのでユミは頷いた。

「なんであんな根暗な奴とつるんでんだよ」

「別につるんでるわけじゃない。ただ、ユミはバカにされたような気分になるのよ、アニマンといると。ほら、ユミは美容に命をかけてるでしょう。なのにあいつ、ユミを見て何とも思わないらしいのよ。可愛い、の一言くらい欲しいわ」

「ふぅん」

「やだ、勘違いしないでよ。ユミはアニマンのことなんかちっとも好きじゃないわ。タイプじゃないし。でも、なんだか悔しいじゃない。たぶん、意地になってるのよ」

「そういうとこ、ユミらしいな。ユミは可愛いよ。俺なら何回でも言ってやる。ほら、そろそろ行くぞ。座り疲れちまった」

その時、ユミは武藤と視線が合ったような気がした。そして武藤は微笑んだ。決して友好的な笑みではない。見くびられている、ユミは直感的にそう思った。

むかむかした気持ちのまま外に出ると、すでに日が落ちていた。彼氏と手を繋ぎながら、帰路につく。彼氏の空いた手が、ユミの胸に伸びてきた時、ユミは思わず叫んでいた。

「ちょっと、なにすんのよ」

「いいじゃねぇか。俺たち付き合ってるんだぞ」

ユミが手を振り払っても、彼氏は手を伸ばしてくる。ユミは誰とでも付き合うが、誰にでも体を触らせるわけではない。気安く体を触らせることは、ユミの価値を下げることにつながる。自分がそう考えるのは、もしかしたら、ユミの中に、初恋の相手への憧憬がまだ残っているからなのかもしれない。とにかく、そこにあったから触った、というような理由で触れてくる男は御免だ。

「信じらんない」

ユミはそう吐き捨て、駆け足で家へと帰ったのだった。

彼氏はそれからも、ことあるごとに、ユミの体に触れようとした。付き合ってしばらく経つからいいだろう、ユミはただ恥ずかしがっているだけだろう、と彼氏は考えているのかもしれなかったが、ユミの中でもう彼氏に脈はなかった。可愛い、と言ってくれる回数もめっきりと減っている。そんな男は、ユミには必要ない。男の列ができているのだから、こんな彼氏は弾かれて当然だった。

空き教室で別れを告げると、男はバカみたいに泣いた。もう一度考え直してくれ、ドラマのようなセリフに笑いそうになってしまう。あんたとやり直すくらいなら、ユミは新しい男を作る。そして新鮮な、可愛い、をたくさん言ってもらうのだ。

男があまりにも往生際が悪いものだから、ユミは耐えかねて、その頬を本気で張ってしまった。

「もう諦めて。カッコ悪いよ」

男はもう可能性が残されていないことを理解したのか、こっくりと頷いた。

手の痺れを感じながら、ユミは教室を出た。よく見ると、ネイルの一部にヒビが入っていた。最悪。まだ欠け落ちてはいないため、補修すればくっつくかもしれない。ユミはすぐさま、保健室にテープを貰いに行った。

保健室のおばさんに、なんだそんなことで来たのか、という視線を浴びせられたが、ユミにとってはネイルの一つでも大問題である。細かいところにまで美意識が行き届かないから、あんたは今、よぼよぼのババアになっているのだと言ってやりたい気分だった。

「――アニマンとはさ、最近どうなってんの?」

保健室を出たところにある教室から、その声は聞こえてきた。教室にかけられている札を見ると、生徒会室、とあった。

「んーまあ順調順調。あのギャルにも結構効いてるみたいだし」

武藤の声だ。ギャルとはユミのことだろうか。ユミは生徒会室の扉に耳を近づけた。

「あのユミって女、マジでムカつくもんね」

「本当にそう」

「なんか、いっぱい男子と付き合って、みんな別れてるんでしょう? やばいよね」

「うん、やばいよ。尻軽女ってあいつのことよ。辞書の説明欄に名前載せた方がいいんじゃないかしら」

「やだウケる」

「アニマンには悪いけど、あいつの悔しそうな顔を見るために利用させてもらったわ。アニマンがあいつには見向きもしないのに、あたしとばっか喋ってる状況? もう最高よ」

「ムトゥーはさ、アニマンのこと本気じゃないの?」

「まさか、あんなジメジメした男子のどこがいいのよ。確かに話は合うけど、あくまでも私はあのバカ女の吠え面が見たいのよ。ちょっと顔が可愛いからって、調子に乗って」

ユミは我慢がならず、生徒会室の扉を殴るように押し開けた。

「ちょっと顔が可愛いですって、この綺麗な顔のどこが『ちょっと』なのよ! この髪の毛ボサボサそばかす女!」

ユミはひと息で言い放つと、中にいた武藤と、名を知らない女一人が驚愕の表情を浮かべた。

「あんたユミの吠え面が見たいって言ったわよね! 良かったわね見れて! ほら、これがあんたの望んでた面よ! 吠えても可愛いでしょう!」

二人は中腰になりながら、そそくさと生徒会室から出ていこうとした。名を知らない女は逃がしたが、武藤はそうはさせなかった。胸倉を掴んで壁に押しつけてやった。

「……なんなのよ」

「さんざん人の悪口言って、なんなのよ、じゃねーよ」

ユミは男の前では媚びるが、女の前では気を抜かない。ユミは男から可愛いと言われたいのだ。同性のそれでは何の意味もない。だから女に容赦などする必要はない。

「あなた、嫌いなのよ。いつも自分が一番だと思ってるんでしょう」

「ユミが一番で何が悪いの。だっていないじゃない、ユミよりも可愛い人」

「見てくれだけ良くて、何になるって言うの」

「あんた、ユミに嫉妬しているんでしょう」

「そんなわけないわ」

「見た目が良かったら、みんなが可愛いって言ってくれる。ユミは可愛いって言われたいの。せっかく女の子に生まれたんだから。それのどこがいけないわけ」

「中身がスッカスカじゃない」

「どの口が言ってるの。アニマンを自分の嫉妬を解消するための道具にして、陰口言って。たしかにユミも中身が良いかと言われれば分からないわ、でもね、あんたの方がユミよりズルくて、卑怯で、スッカスカよ」

「私のどこが卑怯だって言うのよ」

「何もかもが卑怯だわ。あんた、自分が綺麗になろうと努力したことあんの? 毎日ストレッチと筋トレして、半身浴してパックして、美容室行くためにバイトして、あんたそれやったわけ? 何の努力もせずに、綺麗になること勝手に諦めて、目に見えない内面の美しさを崇拝する、そんなのはズル以外の何物でもないわ。あんたは女とは呼べない。認めない。あんたがクサクサしてる間に、ユミは何百回、何千回、何万回でも可愛いって言ってもらうの。あんたに何を言われようが、それが現実。土俵が違い過ぎて、ユミはあんたのことを、可哀想だとも思えない。誰にも羨ましがられず、被害者面して死んでいくのよ、あんたみたいな人間は」

武藤はさすがにこたえたのか、言葉を失っている様子だった。

「いいわ、もう行って」

ユミは武藤にそう告げた。武藤は涙目になっていた。だが、ここで謝るようなユミではない。口に出して後悔するようなことは何も言っていない。

「あなた、アニマンのことが好きなの」

去り際、武藤が扉の前で言った。

「そんなんじゃないわ」

「じゃあ、どうしてアニマンにこだわるの」

「アニマンがユミのことを可愛いって言わないからよ。照れもしない」

「それ、好きって言うんじゃないのかしら」

「違うわ」

「そう? 私がまたアニマンに近づいたら、あなた怒るでしょう」

「それはあんたがアニマンを利用していたからよ。ユミへの当てつけで」

「じゃあ、普通に仲良くなる分には良いわけね」

「あんた、アニマンみたいなジメジメした男は嫌いだって。ちゃんと聞いてたわ」

「やっぱり好きなのね。まあいいわ、もうアニマンには近づかない」

ユミがなにかを反論する間も与えず、武藤は生徒会室から出ていった。

武藤があのままユミの返答を待っていたとして、ユミはなにか決定的な反論ができただろうか。

アニマンは超越している。ユミが物心をついてから出会った男の中で、明らかに特異な存在である。

ユミに対して羨望の目を向けることも、欲情する様子もない。誰に対してもフラットに、ありのままのアニマンを発揮している。そんなアニマンに自分の美貌をぶつけることを、面白く感じ始めているのも事実だった。不意にアニマンが照れてくれるのではないか、大胆に露出した脚に視線を滑らせるのではないか、そういう期待は確かにある。

しかし、それが好きという感情につながるかと言うと、答えは否だった。

3日後、ユミは放課後の教室でアニマンに武藤の本性を教えた。最初は半信半疑の様子だったが、武藤が以前のようにアニマンに話しかけてこない様子を推し量ってか、最終的にユミの言うことを信じたようだった。

「せっかく話の合いそうな人だったのに」

アニマンはぽつりと呟いた。ユミは慰めのつもりで、アニマンの頭を撫でてやる。

「なに触ってるんですか上崎さん」

こいつマジで、本当に、全然、まったく、微塵も、照れねぇ。このユミが触ってあげているというのに。このユミが。

アニマンは立ち上がると、机の中の教科書をリュックの中にしまい始めた。思いのほか話が長くなったため、二人以外に、教室に残っている生徒はいない。

「おい、ユミよぉ。やっぱりその男とデキてたのか」

教室の外に、振ったばかりの元カレが立っていた。

「違うわよ」

「ユミはよく、俺を置いてその根暗のとこに行ってたもんなぁ。俺は遊びだったわけだ」

「だから違うって言ってるでしょう。ユミはあんたのことが嫌いになったから振ったの。ビンタまでしたのに、諦められないって言うんじゃないでしょうね」

元カレは教室の中につかつかと入ってきた。

「おい、お前。ユミとどういう関係なんだ」

元カレはアニマンの方を向いて言う。

「そうですね、お友達? だと思います」

その時、元カレはアニマンの目の前にあった机を蹴り飛ばした。

「ユミがただの友達の頭なんて撫でねぇよ」

「ちょっといい加減にしてよ本当に――」

気がつけば、元カレはアニマンの肩を掴んでいた。そして元カレの膝が、アニマンの腹に食い込んだ。呻き声とともに、アニマンが床に倒れる。口の開いたリュックも一緒に落ち、中身が散った。

「ちょっと!!」

ユミは元カレの体を押したが、逆に押し返された。ユミは床に尻餅をついた。

「なんで、なんで俺じゃダメなんだよ。教えてくれよ、なあ!」

背中を折り曲げて苦痛に耐えるアニマンに、元カレの蹴りが炸裂した。元カレは床に散らばった教科書や筆記用具にも八つ当たりをし、飛んできたペンがユミの額に当たった。

額を抑えながらわざと大きな悲鳴を上げ、助けを呼ぶ。すぐに何人かの生徒が廊下に現れた。その中に男子が4人いて本当に助かった。元カレはすぐに自由を奪われ、教室の床に頬を押しつけられていた。

ユミは苦悶に満ちた表情をしているアニマンに駆け寄った。

「アニマン! 大丈夫!?」

「え、ええ、なんとか」

アニマンはゆっくりと身を起こした。学ランについた埃を払ってやる。その時、ユミの目には、アニマンの左手のそばにある、小さな人形が映った。

それはフェルトでできた、パンダのキーホルダーだった。

まさしく、ユミが小学校を転校する際に、初恋の相手にあげたものだった。だって、なんの動物のキーホルダーを作ったかすらも思い出せなかったのだ。それが今、パンダだと分かった。自分の指を針で何度も刺しながら、徹夜で完成させた思い出までもが、蘇ってきた。

「ね、ねえ。なんでこれ、これ持ってるの」

「え?」

「こ、これよこれ」

「キーホルダー? なんでそんなこと聞くんです」

「いいから答えて」

「これは確か、小学生の時に貰ったんですよ。転校しちゃうとかなんとかで、女の子がくれたんだ」

「その子、どのくらい学校にいた?」

「どうしてそんなこと――」

「いいから!」

「え、えと……。短かった気が。一年くらいでいなくなっちゃったんじゃないかな」

「どんな子だった」

「どんな子……。すごくおどおどしてましたね。なんだか家庭が複雑らしくて、僕がクラスの輪に入れてあげて。それで、そのお礼なのかな? そんな感じでくれました」

「その子、可愛かった?」

「え、んー、それは覚えてませんね」

可愛いって言えよ! ユミはアニマンに抱きついていた。アニマンは、壊れそうなユミを支えてくれた、初恋の相手だった。

「ちょっ、ちょっと上崎さん!?」

「それ、ユミ! ユミだよ!」

ユミはアニマンの胸に頬をすり寄せた。

「言ってる意味がまったく……」

「だからユミなの! このキーホルダーはユミが作ったの! なんで、なんでいるのここに」

「あの子が、上崎さん?」

「アニマン、背高かったじゃん!」

「いや、それは、小学生の時の話ですからねぇ。僕は身長が止まるのが早かったですし」

「もっと元気で、スポーツ万能で爽やかな感じだったじゃん!」

「それは……。中学に上がってからアニメにはまったので、あんまり外には出なくなりましたね、はい……」

ユミはひとしきり頬をすり寄せた後、アニマンを見上げた。少しだけ顔が赤くなっていた。

「あ、やっと赤くなった」

アニマンは慌てたように、顔の前で手を振る。

「そ、そりゃあ、上崎さんがわけの分からないことをするからでしょう!」

ユミは両手を叩いて大笑いした。同時に、目の前にいるのが、あの時の男の子なのだと思うと、胸がキュッと締まり、少しだけこそばゆかった。

「この野郎ッ!!」

声のした方を見ると、元カレがこちらに向かって猛スピードで駆けてきていた。教室から外に出されようとしていた彼は、4人の男子生徒の制止を振り切ったらしい。

元カレの顔が、酔っ払ったユミの父のそれと重なった。

ユミは左脚に重心を移し、体の横から右脚を繰り出した。渾身の力で放った足の甲は、元カレの顔面を確かに歪ませた。元カレは床に沈んでいった。この時ばかりは、だらしのない父の存在がありがたかった。

「男の人をたぶらかすのも、ほどほどにした方がいいと思いますよ」

アニマンがぽつりと言ったのだった。

それからというもの、ユミはアニマンに猛アピールを始めた。

しかし、今のところ全敗である。アニマンは可愛いと言ってくれないどころか、あの事件以降、一度も顔を赤らめることがない。

一緒に帰ろうよと言っても、観たいアニメがある、マンガの新刊の発売日だと、いつもかわされていまい、ユミは不満だった。

その日は、梅雨が本格的に始まり、強い雨に見舞われていた。ユミが授業終わりに粘り強く交渉すると、アニマンは折れて、一緒に帰れることになったのだった。

ユミにとって、雨は好都合だった。相合傘をすれば、もっとアニマンに近づくことができる。

「あー今日傘忘れちゃったんだよねー」

ユミは昇降口で、アニマンにそう言った。

「え、登校時はめちゃくちゃ雨降ってましたよ。どうやって来たんです」

「え、えっと。それは、そうだな、あ! 車だよ車。そうそう、車で来たの」

「ふうん。上崎さんの家、車ないって言ってませんでしたっけ」

「え、えーっと」

「あるじゃないですか。上崎って書いたテープ貼ってありますよ、この傘」

アニマンは傘立てからユミの傘を抜き取ると、目の前に差し出したのだった。もっと嘘を練っておけばよかったと思いながら、ユミは泣く泣く傘を受け取った。

アニマンは傘を開き、校舎から外に出ようとしている。どうしてこんなにも、アニマンとの心の距離が縮まらないのだろう。

気がつくと、ユミは自身の傘を地面に叩きつけ、バキバキに折っていた。

「アニマーン、傘こわれたー」

「本当におかしな人だな」

ユミは笑みを浮かべ、アニマンの傘に飛び込んでいった。傘の持ち手の向こう、すぐそこに、アニマンの顔があった。

アニマンは、仕方がない、と呆れた様子で、歩き始めた。一緒に歩く、ただそれだけで、ユミは嬉しかった。

今は6月のはじめ。梅雨は、まだまだ続いてくれるだろう。

ユミは明日も明後日も、アニマンの傘に入る。

そして絶対に、可愛いって言わせてやる。

(完)

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