私は学術論文が好きだ

初心を忘れ去らないことは大切だ、初心に助けられることがある、初心に縛られることがある。
今は初心に助けてもらいたい気持ちなので、「私は学術論文が好きだ」というテーマで自分のために文章を書いてみる。

大学院で論文が書きたいと私が突然言い始めた時、私の周りにはいろんな声があった。「いつも理論だてで自分を落ち着かせるあなたらしい」「急にどうした?チームが基盤のことや、スピーディに検証できることが好きかと思っていたのに」

どの言葉にも あなたは私の何を知っている?と困惑もあれば、一理ある、との感情もある。私自身も偶然にも論文が好きになった、と感じている。はて、なぜ私は論文が好きなのか

・好きなものは好きである そこに言葉にできる理由だけではない

・日本にいて、世界の知恵と自分の思考をつなげている感覚を、英語の論文を読んでいる時が最も味わえた。世界が広い、と思えることは面白い。

・誰かが何かに問題意識を持つ理由がきっちり紹介されている。自分の問題意識の発端は原体験のような生々しいものや激情ではなく、学んだ結果であっていいと思わせてくれる。

・そもそも何かに疑問を持つことや、社会のある側面に問題意識を持つことを肯定してくれている。あまり意識したことがなかったがこの点も大好きだ。

・加えて、著者ごとに論文が追える仕組みによって、同じ著者が多様な問題意識を短期間の間に同時進行で更新している様を垣間見れる。例えその問題がどれだけ重要であっても、他に浮気していい、それが社会のためになっているというマインドが美しい。

・誰が、誰と利害関係を持って書いたのかが出来るだけはっきり記されている。これに慣れると他のものが読みにくいために相対的に論文が好きになる。

・文章が、パキパキとしている(ことが私の分野では多い。)母国語でない言語なのにリズムを感じられる。自分の性格にこれがしっくりきている。

・論拠を示すという習慣が引用文化を育て、よって芋づる式に容易に私の生まれる前の文章にたどり着く。魅力的だ。

・芋づる文化は、何かについて調べたい、と思った時とても便利だ。いろんな角度の情報を集めようとしなくても入ってくる可能性が高い。フィルターバブルが弱いように感じる。そうして、私の思考を豊かにしていく気がする。

・誇大に描けないので、factとfindingに忠実で、謙虚に聞こえる。そしてそのような謙虚なものいいにある熱意こそsexyなのだと教えてくれた。 


やっぱり私は論文が好きだ。研究の意義とか科学の価値とか色々モチベーションはあるけれど、そもそも好きなのだ。

好きだと思える論文を少なくともいくつかは書きたい。論文なんてまじめ腐ってつまらないでしょ?と言われた時に、目を輝かせて自分の好きなものを語れる人でありたい。

今は初心に助けてもらいたい気持ちだったから、これで終わり。



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