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私と料理。

ワーホリから帰ってまもなく2ヶ月が経つ。
今しかできないことを、と言っていろんなことに手を出したが、最後までやり抜いたのは料理。

私と料理の付き合いは短く、ちゃんと料理をするようになったのはちょうど一年前くらい。親がどうしても私に料理をしてほしくなかったのか、私が手伝わさせてくれることは冷凍食品を解凍するか、冷凍ちゃんぽんを火にかける程度だった。

私は小さいころから料理に興味があり、小学校低学年の頃に一度授業をサボって図書室でレシピ本を読んでいたことがある。自分の感覚としては中休みの延長でしかなく、そのあとどうやって引き戻されたのか、怒られたのか全然覚えていないが、そんなことをしてしまった、ということだけは覚えている。

それから約25年、ちょうど一年前に何度も親に頼み込んで期間限定で一人暮らしをし、好きなだけ料理をした。しかし、1ヶ月×2という微妙な期間、私がそこまでたくさん食べる人ではないということも相まって、大した基礎すら身につかなかった。

その後家に戻り、家の夕食担当になった。私がうるさいくらいに料理しましたアピールをするものだからようやく許す気になったのかもしれない。それからおよそ4ヶ月の自炊期間の後、ワーホリでオーストラリアに旅立った。

ワーホリ先では共有キッチンがある上、光熱費が家賃に含まれていたため、自炊には困らなかった。キッチン担当ではなかったものの飲食店で働いていたため、ときに残り物で生活することもあったが、ほぼ毎日料理をした。本当に楽しかった。たくさん失敗したけど、食べるのは自分。たくさん実験できた。

ただ、海外では制約も多い。まず、食材が手に入らない。日本の食材が売っていないのもそうだし、日本では安く買えるものが高くで売っていたりする。地方に住んでいたため、都市部に出て冷凍された豆腐や野菜を購入することもできず、買える範囲のものでやり過ごしていた。
そして環境の制約。オーストラリアにはどこの家庭にもある(と思われる)オーブンがない。せっかくオーストラリアにいるのだからと、現地のレシピ雑誌を開くと、半分以上はオーブンを使った料理。オーブンが使えないだけでかなりの制約になる。ちなみに正しくいうとオーブンはビルトインタイプのものがあったものの、大量のGがいるとのことで誰も開けなかった。
今思うと、オーブンの中に限らずGはかなり多かった。しかも室内で育った証拠と言われる茶色いやつ。そして2匹のネズミ。私はコンロの後ろか床を走っているのしか見たことないが、夜になるとあちこち歩きまわっているからフライパン等を置くなら蓋をしておけと言われていたくらいだ。

そんな状況から日本に帰ってきたものだから、今まで満たされなかった分の料理欲が爆発した。気づけば和食ばかり作っている。

ここにきてようやく、料理の基礎のようなものがつかめるようになってきた気がする。普通の人であれば誰でも知っているようなことを今になって学んだ。簡単なものしか作れないし、レシピを見ずに料理するなんてことはまだできない、誰かのレシピを見て、ここまでであればアレンジしても良いだろう、という勘所くらいはつかめるようになってきた。

オーストラリアにいた頃、一緒に共有キッチンを使っていた人と、We are home chef!と言いながら料理をしていた。自炊する人たちは皆シェフである。仕事が始まったら今のようには料理することはできないが、できる範囲の所で楽しみながらやっていきたい。

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