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日々の生活を充実させる

だんだん雑記帳みたいになってきた。
記事を書いては、後から読み返そうと思いつつ寝かせたままにし、そのまま忘れさられたりする。思い出した頃にはこんなこと投稿しても仕方ないと思ってお蔵入り。今日も新たに記事を書き直している。下手に寝かせない方が良いのかもしれない。

2月上旬にワーホリから帰国し、その一ヶ月は就職活動に捧げた。4月から入社が決まったため、3月は急にやることがなくなった。というか、就職活動も5社しか出さず、全てが最終面接までいったわけでもないので、2月も全体としては暇を持て余していた。早く就職先を決めたかったので、「明日朝面接します」と言われても良いようにできるだけ予定を入れなかった。

本当は2月からアルバイトをやりたかった。ずっと夢見てたパン屋さんか、ワーホリに行っていたときに少し経験したバリスタかをやってみたかった。でも、就職活動の影響で直前にシフトの変更をお願いする可能性は十分にあったし、短期でもないのに2ヶ月で辞めるというのも気が引ける。一通り業務を覚えた所で辞めるのは雇う側も雇われる側も忍びない。

暇があると人間は余計なことを考える、と言う。私も例に漏れずよくわからないことを延々と考えていた。ネガティブ思考に陥り、何のために生きるかわからない。ただ、こういった思考のプロセスは何か自分の本質的なところにアプローチしている気もしていた。何か自分が乗り越えないといけない何かについて考えている時期のような気がして、何か他の予定を入れて忙しくすることは自分が本来やるべきことから目を逸らしているだけではないかと感じていた。

だが、実際自分が何を解決しようとしているのかは全くわからない。時間だけが過ぎていった。

そんな時、私が帰国したと知った吹奏楽仲間がアンサンブルの練習に誘ってくれた。コロナ前の話になるが、私は平日はITの仕事をしていたものの、金曜日の夜から日曜日にかけてはいくつかの吹奏楽団の練習に行っていた。その当時ご一緒した方が、「その日の練習に欠席する人がいるから、代奏でよければ一緒に吹かない?」と声をかけてくださった。

久しぶりのアンサンブルは最高の時間だった。事前に譜読みのためにカラオケで数回練習したものの、コンディションは最悪、楽器を吹くための筋力も失われている。それでも、音楽が持つ独特の感覚が心地よく、あっという間の2時間だった。

ー*ー

自分が乗り越えなければならないことを探す作業から目を逸らし、音楽に勤しむ。初めは、なかなか良い印象が持てなかった。しかし、いざ音に触れるとそんな気持ちは消え去った。目の前の快楽に流されているだけと言われればそれまでだが、丸一日自分と向き合う作業をするよりずっと良い。

ー*ー

それから、私はコロナ前や渡航前の生活を少しずつ取り戻し始めた。ヨガや料理教室を再開したり、家でパン作りをしたり。ずっと休団している吹奏楽団も再開するつもりで調整している。
こう考えると、私は好きなものばかりに囲まれてきた。今、毎日とても幸せだ。自分が生きる意味とか、自分が何をすべきなのかとか、答えのない問いはたくさんあるけど、何も材料がないまま考えることはできない。自分が好きなこと、という材料を通して、何かそれらしい答えを見つけられたらそれでいいんじゃないか、と感じている。

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