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自分の純化

自分の純化が始まってきた気がするので、書き残しておきます。
これはわたしに特化したわたし専用のものだと思っていますが、個人の考えとしてなにか参考になる部分があったら嬉しいです。

心の声を聞いてみた

5月31日。
「明日から6月。自分のやりたいことにどんどん挑戦する1ヶ月にするぞ!」
そう決意したにも関わらず、体調を崩してしまいました。

いつもなら振り切って進んでしまうのですが、なんとなく心が「違うよ〜」と発信していたのでしょうか。心の声と向き合うことにしました。
思えば3月末ごろに退職して、ようやく立ち止まることができた気がします。

先日『愛するということ』という本を読み、"いまここ"に集中することの大切さを知りました。
同時に、自分は"いまここ"に集中するのがとても苦手だと分かりました。
最近はお風呂に入っていてもご飯を食べていても、ずっと脳内で会話をしていました。
トークテーマは、この先のキャリアをどう構築していくか、それに付随する不安、前職の嫌な思い出など。

『愛するということ』に書いてあったとおり、脳内を空にして、ただ呼吸に集中するという方法で"いまここ"に意識を向けてみましたが、最初はやはりうまくできませんでした。
それでも何度か試してみると、だんだん"いまここ"に集中できるようになっていきました。

そのうち、心が感じていることかな?という言葉が浮かぶようになり、いままで自分を縛ってきたものが解けていくような気持ちになりました。

そこから、
・本当は焦っていたこと
・本当は仕事をバリバリやりたいわけではないこと
・本当はもう戦いたくないこと
が見えてきました。

ここまででもかなり、思考に囚われていたなと感じたのですが、「これ以上は無理!こわい!」と思うことが何度かありました。心の声をこれ以上聞くのはこわい、ということみたいです。
もしかしたら相当いままでの生き方を変えないといかんのかなと。
いまはそれを知ることができただけでも十分な気がします。

時間は未来からやってくる

ある日の日記にこんなことを書いていました。
『誰かの言葉にモヤモヤしてイライラしてずっと引きずって、じゃあ何がどうなれば幸せなんだろう?どうしたらスッキリするんだろう?本人に言いたいわけでもないのに、何がしたいんだろう?全てにおいて、何がしたいんだわたしは。』
前職のことや昔の恋人のことを何度も何度もこすって。
でも人間は良くも悪くも忘れる生き物で。どんどん忘れていく。言われたこともされたことも一生忘れないって強く思ったのに、忘れていく。あっけない。
忘れないように心をヤスリで削っている自分がいることにもなんとなく気づいていました。

ですが、Instagramの投稿で気になるものを見つけました。
それは、昔と現代の時間に対する概念の違いについて。昔は時間が未来から流れてくると思われていたが、現代では積み重ねた過去から時間がやってくると考えられているというものです。
(同じような投稿は見つけたのですが、わたしがハッとした元の投稿は見つからず…)

まるごと自分に当てはまるのではないかと思いました。
学生のころは、ふいに出会うワクワクに乗って前に進んでいたのに、いつのまにか過去を振り返ることでしかいまを見つめられなくなっている自分がいました。
もちろん過去の経験が自分を作る要素になるのも分かりますが、わたしの場合は元々そんなに自分の足跡をたどる人間じゃありませんでした。
この気づきはプラスに働き、「過去は背中を押してくれても、そこに答えはないのかも」と思うようになりました。

昔といまと、変わらないことも変わったこともある

前はひたすら、自分がワクワクすることに熱中して、あっという間に過ぎていく毎日に心地よさを感じていました。
でも今は、時間のひとりじめをしてみたいと思っています。
早朝にモーニングを食べに出かけたり、あてもなく散歩して外の空気を吸ったり。
一人旅行もしたいし、お気に入りの本を置くことや、パンを手作りすることなど、自分にはできないって思っていたことをひたすらやりたい。
テストや単位に縛られることなく、もっといろんなことを学んでみたい。砂浜で貝殻を集めるみたいに。
そして海を輝かせる朝日と沈んでいく夕日をじっくり見届けながら、もっとこの世を味わい尽くしてみたいのです。

まだまだ書ききれていないこともありますが、だいぶ核心に近づいた気がするので今回はこのへんで。

おわります。

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