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愛するってシンプル【エーリッヒ・フロム『愛するということ』】

こちらの本、話題になりましたよね。
わたしもようやく読み終えました。
読み終わった感想は
「巷でよく見かけるやつだったけどすごく納得した!」
「しくじりの原因が分かった!」
「愛するってやっぱりこれか!」
の3本です。
巷で見るようなメソッドなら本を読まなくても良くない?と思うかもしれませんが、それは違います。
確実に本を読んでよかったなと思います。
なぜなら、SNSやブログなどで同じ類の投稿を見ても「うん、そうらしいよね」って流してしまうからです。
一方この本は、さまざまな哲学や宗教観からじっくり説明してくれるので、めちゃくちゃ納得します。

「とは言っても、哲学とか宗教とか難しいんじゃない?」という方のために、恋愛しくじり芸人のわたしがスッキリ腹落ちした部分を厳選して紹介します。
巷でよく見るやつは、本当によく見るので省きます。

そもそもなぜこの本に興味を持ったのか

くり返しますが、わたしは恋愛しくじり芸人だと自負しています。
愛に対して苦手意識を持っていて、過去の恋人と別れてからは特に顕著になりました。
「わたしは彼のことを本当に好きだったのだろうか…
同様に彼もわたしのことを本当に好きだったのだろうか…」
などと哲学めいたことに思いを巡らすようにもなりました。
あふれ出る拗らせ感は、ツイートにも表れています。

愛への苦手意識①

彼と付き合っているとき、自分は彼のことをそんなに好きじゃないと悟られないように、彼のことが大好きな女の子を演じてしまった
たとえば彼に「君が好きだよ☆キラーン」と言われたとします。
わたしは心の中で「あっハイ(スン…)」となっているのに「え!わたしもぉ〜好き♡キャピ」と言ってしまう、みたいな現象です。

愛への苦手意識②

将来子どもを産んだら、我が子と自分は同じだと思ってしてしまいそう
子どもと自分は別の人間だと思えず、自分の価値観を押し付けてしまったり、子どもが自分の元から巣立っていったら、おそらく放心状態になり、最悪の場合は子どもの行動を縛ってしまうのではないかと、いまから震えています。

未来の彼や子どものためにも、どうにか苦手を克服したいところ…!
ということで、この本から愛というものを学ぼうと思いました。

愛への苦手意識の答え合わせ

愛への苦手意識①について

「彼と付き合っているとき、自分は彼のことをそんなに好きじゃないと悟られないように、彼のことが大好きな女の子を演じてしまった」というしくじりについては、本の中の『三.愛の対象 d自己愛』のパートから答えを見つけました。
このパートでは「自分を愛するって悪いこと?」というようなことが書かれています。
自分にベクトルが向いているということは、他人のことを考えられなさそうだし、自分のことばかり優先していて協調性がないように感じるかもしれません。
しかし著者は、「バーロー、そういう人間は自分を愛してなんかいねぇ。それは"利己主義"って言うんだよ」と述べています。
じゃあ利己主義って何なのよ?と思いますよね。
利己主義は、先ほど述べたように、自分勝手で協調性がないこと。そして実は、利己主義の人は自分のことも愛せていないのです。
著者は、「特定の人間を愛するには、人間そのものを愛していないとだめなんだー!」と言っています。
"人間"ということは当然自分も含まれますよね。
したがって、このような方程式が成り立つのです。

自分を含めた人間全員を愛することができなければ、特定の人間は愛せない。
人間全員を愛することができなければ、たとえ特定の人間が自分であっても、特定の人間は愛せない。

「もし利己主義な人が母親になったら、子どもを構いすぎてしまうだろう」と著者は考えます。
なぜなら、利己主義者は人を愛せないから。
つまり子どもを愛せないから。
それを必死に埋め合わせようとするから…。

わたしコレ!!!!!

と思わず叫びました。
本当は彼のことをそんなに好きじゃないけれど、そんなのヒドイ彼女だから、彼のことが大好きな女の子になろうとしてしまう。これは「彼を愛せない自分を認めず、ぽっかり空いている部分を愛で埋める代わりに泥団子で埋め、これが愛だよとごまかす行為」だったわけです。(辛辣)

愛への苦手意識②について

「将来子どもを産んだら、我が子と自分は同じだと思ってしてしまいそう」という恐れについては、本の中の『三.愛の対象b母性愛』のパートから気づきを得ました。
この恐れは、「支配欲」というキーワードで紐解けるようです。
ここで恐ろしい一文を。

所有欲の強い支配的な母は、幼い子によって支配欲を満たすのです…

本書の内容を怖い話っぽく言ってみました

こわいよヤメテ…
でもおそらく、わたしが恐れているのはこれです。

子どもが小さいころは、母に頼るしかない。一人では食べることも着替えることもできないから、子どもはずっと自分のそばにいてくれます。この子はわたしの子。わたしのモノ。わたしのバービーちゃんでありリカちゃん人形。
そして、「イタズラしたらお菓子買ってあげないよ!」「テストで100点取れなかったらゲーム禁止だよ!」と言って、子どもを自分の意のままに動かそうとする可能性が生まれるのです。

また、子どもが親元を離れるとき、愛情深い母親はそれを喜ぶことができ、所有欲の強い支配的な母はそれを喜ぶことができません。
著者は、巣立っていく子を愛するのは難しいことだと述べています。なぜなら、母性愛とはもともと一つだったものが離れるという形で発揮されるから。

きっと、子どもがまだ小さいうちから「巣立つの寂しい…いやだ…」と感じるのは自然なことだと思います。
いざ子どもが自分の道を歩き出すときに、精一杯背中を押してあげられるお母さんに成長したいなと思います。(いつかお母さんになったら、ね!)

結局愛するってなんなの?

著者は何度も「この本からはっきりとした答えは得られないよ〜」と述べています。
本の中でも愛についていろいろなことを話しているので、自分はどれに一番感銘を受けたのか、それを考えるといいと思います。
わたしは、愛することは「信じること」だという見解が刺さりました。
実をいうとわたしは、『ハウルの動く城』や『鬼滅の刃 無限列車編』からも同様の学びを得ているんですよね。
だからやはり、わたしにとっての「愛」は「信じ合う」ことなんだと思います。

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