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24/3/12-24/3/16 手にした瞬間に無くなる喜び

2024/3/12
沈殿していた。認知行動心理学に関する本を読む。パンを焼いた、牛乳の分量をけっこう間違えたが軌道修正し事なきを得た。

2024/3/13
「あのこは貴族」の中で、「わたしたちって東京の養分だよね」という台詞が出てきてそれがずっと心に残っていて、わたしは自ら選んでやってきたにもかかわらず、ただただ「東京」というゲームから早く逃げたいのだった。にもかかわらず、というか、やってきたからこそか。「ここではないどこか」はきっと存在しないのだろう。でも、「ここではないどこか」を一生探し続けることははたして悪なのだろうか。

検索したら出てきたこの記事がとてもよかった。もうすこし東京とランデヴーする。
森茉莉のエッセイを初めて読む。まさに「耽美的」でうっとりするような文章と審美眼だった。江國香織にちかいものを感じる。ねむるまえ、「心は孤独な狩人」。

2024/3/14
ANAのセールを見かけ、目掛けてがんばれるように何か月か先の航空券を予約する。行ったことのない街に行く。いつかは1週間くらい湯治してみたい。街を歩いていてさいきんの口癖?が「大きな資本を感じる…」なんだけれど、旅館やホテル、商業施設、大きな資本を感じると途端につまらなさを感じてしまう。どこも同じような景色やサービスになってしまうからか。でもそこにはたしかに企業努力もあるのだった、それを否定したいわけでは決してなくって。自分の考えていることをよくよく反芻する日々。
ドアスラム傾向がとても強くて、いつもぎりぎりのひたひたをつまさきだちで歩いているような感覚。ぴしゃりと閉めたその先で周囲が大迷惑を被っていることを認識し強くうちのめされると、もっと自分を責めたくなる。何が正しくて何が正しくないかがわからなくなり、そんなの自分で決めたいとも思い、てんでばらばらになっていく。風呂に浸かろう。

2024/3/15
自分の中で大切にしておきたい誰にも伝えたくない感情や経験と、そうだったはずなのにひとにぺらぺらとしゃべってしまうそれらの分水嶺が知りたい。ちょっとよくないことがあって気が動転しそうだった、とても反省した。B&Bで川上未映子「春のこわいもの」を買ってfuzkue下北沢、2階ははじめて。1階のみちっとした感じもすきだし、2階の天井が高くすこんと抜けている感じもいいなあ。おすすめいただいていた漫画の「アンダーカレント」をようやく読むことができた。人をわかるってどういうことだろう。「春のこわいもの」、川上さんの文章は、ふわふわのわたあめに手を突っ込んでみたら針が紛れ込んでいて手が血だらけになった、みたいな感覚。

今日はずっと藤井風「満ちてゆく」、自分の人生の主役が自分であることを再確認させてくれるようなすばらしい楽曲だな、夏でも秋でも冬でもなく、いまこの、不安定でゆらいでいる春という季節になりゆくときにリリースされることも含めて。

2024/3/16
今日もパン捏ね職人。はじめての道を歩いてはじめてのスーパーまで散歩した、音楽は聴かなかった。花の匂いをつよく感じる。アボカドを買ったらやたら種が大きくて、チェだった。
「潔い」といわれることはうれしいものの、執着とか粘りってどうやったら持てる?執着とか粘りの先に得られる感情もあると思う。社会との関係性において、もううしなうものは何もないような気がする。

プライムで「市子」を観た。杉咲花さんの目に光が入るときと入らないときのスイッチの切り替えに、すっご…と思わず口に出してしまう。若葉竜也さんの演技、わざとらしさが感じられず、その点についてとても好ましいなといつも思う。ねむるまえ、キャンドルつけて「心は孤独な狩人」。


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