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目が見えなくとも姿形色が分かる

昨晩はひさしぶりに夜、家でひとりだった。穏やかなる孤独を心ゆくまで堪能した。

柿が安くなっていた。インターネットのひとが教えてくれたとおり、柿を焼いてみたら今までとはぜんぜんちがう食べものになりにけり。これはおいしい、じゅくじゅくしていたところがおいしかった。同じく安くなっていたスティルトンチーズをのっけてみたらあまりにおいしく、ムームー言いながらひとりでにこにこして食べた。あいにくワインがなかったが、しかし本麒麟やスーパードライではドライすぎるなと思い、この前箱根で買ってもらったビールを飲んだ。華やかで繊細だけれど芯がある、よく合っていた、ビールと柿。

ひととわいわい食べて飲む時間はもちろんたのしい。でもこうやって、食べものとか飲みものの味わいについてひとり考えをめぐらせる時間もたのしいな、と思えた。そう思えたことはよかった。

風呂に浸かりながら、崎山蒼志「そのままどこか」を聴いた。「そのまま」が「このまま」に聴こえる感じがあって、このひとの境目があいまいな歌い方がよいのかもしれぬ、と思った。

本日の朝はあまりにもコンタクトが入らなかった。3曲聴いたから12分くらいかかったと思う。10日ほど経ってもこれなら一生これじゃないか。10,000回だめでへとへとになっても10,001回目は何か変わるかもしれない〜のやつなのか。ちょっと涙が出た。

朝ごはん、卵黄だけの卵かけご飯に卵かけトリュフ醤油(きのくにや)、焼いた厚揚げ、を立ったまま食べた。なぜか時間が余ったので、レイモンド・カーヴァー「愛について語るときに我々の語ること」読了。

しごと、ゆるやかにすぎていく。今日は交通整理というよりは突然突っ込んできた車の事後処理(比喩)など。

ひる、お弁当をさっさと食べて、歯みがきお姉様方にたちに囲まれうんざりしながらリステリンし、奨学金の返済口座を変更すべく銀行へ。とても晴れていて気持ちがいい秋の昼だった。1曲だけ、HONNE「I Might ◑」

定時ちょいと過ぎに退勤。一番星が輝く夕焼けがあまりにも綺麗で、Yogee New Waves「Like Sixteen Candles」のジャケットを思い出すも聴き始めたのは「Climax Night」の方だった。冒頭の歌詞のよさ。今は電車の中でこれを書いていて、帰ったら図書館に行って本を返して借りてくるなどする、本日は休肝日。

Climax Night / Yogee New Waves

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