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すべりだい

10/11
月が綺麗だった、鋭利な三日月だった。今宵の月ははっきりしているな、と思ったがコンタクトをしていてわたしの視野がはっきりしているのだった。朝、なかなかコンタクトが入らず、半泣きになった、タイムアップにより立ったまま納豆ごはんをもぐもぐした。生活している。インターネットでうれしいことがあった、よい情報を得ることもできた。わたしもひとの日記を読んだりおすすめする本や音楽や映画を知ったりしたい。

10/12
巻き爪治療のためにそそくさと職場を出た。本が読みたかった。コメダ珈琲に入り、職場を出るまえにコーヒーを飲んできて、またコーヒーという気分にどうしてもなれず、豆乳オーレを注文して一口飲んで、豆乳×コーヒーが苦手だったことを思い出してげんなりした。

レイモンド・カーヴァー著・村上春樹訳「愛について語るときに我々が語ること」をひらく。前情報なしでタイトルに惹かれ、図書館で手にとった。勝手にロマンティックな愛を想像していたけれどそうではなく苦しい方というか愛するがゆえに、生まれてきてしまう負の現実、みたいな、そんなところだった。

いちばんはじめの「ダンスしないか?」がタイトル含め今のところ気に入っている。うまく語りきれない何かに、こう、ぐっとくる。小説は言葉をもってして語るためにあるものなのに、うまく語りきれない、というのがいい、伝わるでしょうか。

巻き爪はまだ時間がかかりそうだった。自分と違う生活圏内にいるひとと話すのは骨が折れる。お医者さんとくらいうまくかろやかに世間話できたらいいのにな。

へろへろ帰宅し、アマプラでゴダール「女は女である」を流しながら料理した。いつものことながら赤いカーディガンがほしくなった。手を動かしていたのであまり内容が頭に入ってくるような見方ではなかったけれどもそれはよい時間だった。生活している。

10/13
あのひとと一緒に帰った。電車を降りたときにどこからかガーリック臭がしていて、わたしはてっきり誰かの口内から発生したものと思っていたが店舗発生型ガーリックだとそのひとは言った。店舗発生型ガーリック、語呂も収まりもよい。テンポ・ハッセーガタ・ガーリック。

10/15
今年度に入って、これは明らかなる悪意だ、と感じることがすこしばかり増えた。他者の悪意にさらされることはしんどい。気にしないようにしていてもそれはちくちくしてくる。気にしないようにしようという自分にもなんか、(うまく語りきれない)。そこでわたしは、呪術廻戦というだいすきなマンガの中で、釘崎野薔薇というだいすきな登場人物が言っていただいすきなセリフを、おまじないのように心の中でとなえる。「私の人生の席っていうかそこに座ってない人間に私の心をどうこうされたくないのよね」

帰り道、人生の席に座っているひとと本屋さんで村上春樹特集のBRUTUSの下巻をいっしょに購入した。



すべりだい/椎名林檎
こだわっていると思われない様に右眼で滑り台を見送って記憶が薄れるのを待っている

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