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自己紹介ノート

始めに

初めましてポーカー専業のありと申します。
記事を2本書いた所で、自分がTwitterなどでポーカー関係の発信を一切していなく、どんな人間なのかという事を多少知ってもらえればと思い自己紹介としてこのノートを書こうと思います。

名前などhendonmobで出ているので特に隠していません。
本名:吉成有立
生年月日:1998年11月30日(25歳)
専業を始めたのは2022年なので2年目になります。

キャッシュ専業でトーナメントはほとんどプレイしていません。
日本にいる時に誘われたりしたらJOPTとかちょろっと出たりはしています。
そもそもゲーム自体がかなり好きでやりこむタイプではあります。

僕のゲーム遍歴

FPSとポーカーしかやっていないのですが、過去やっていたゲームのランクを箇条書きで出します。
Counter-Strike: Global Offensive : Global Elite
APEX Legends : プレデター(プロチーム所属)
オーバーウォッチ : マスターかグランドマスター(忘れた) 
PUBG: BATTLEGROUNDS : 日本サーバーTPPスクアッド最高勝率96.6%日本27位
レーティング確か40位くらい
スマブラ:キャラの半分くらいVIP
FPS触れた事がある人であれば強くね?とは思ってくれると思います(知らんけど)

ポーカーとの出会い

ポーカーとの出会いは大学1年の頃(多分2016年)です。
4月に友人と大学のロビーで雑談をしていたら後ろから「君たちポーカー興味ない?」と声をかけられたのがきっかけです。
僕は当時プロゲーマーと会社経営をしており、時間がなさ過ぎて興味なかったのですが、友人がノリノリでラーメンを奢るからついてきてくれとの事でついて行った所僕の方が初日から大ハマりしてしまい今は専業にまでなっています。

その当時アキバギルドなどで毎日16時から学生ポーカーリーグというものが開催されており、700円でターボトナメをプレイできるという学生にとって死ぬほどありがたいトナメが平日毎日あり、ほぼ毎日参加していました。
さらに学生ポーカーリーグは700円でプレイできるだけでなく、30回くらい参加するとギルドマイルが2万マイル40回参加で3万マイルキャッシュバックされるなど至れり尽くせりでしたね。
確か上位5%は夜のデイリートナメに無料招待されたりしていたのでそこでさらにマイルやマルチチケット(1万円分の無料トナメ権)をゲットして売ったりのような事をしていました。

ここで出会った先輩方が東工大や理科大など頭の良い人達が多くて毎日「このスポットこういう理由でこういうプレイをしたんですけどどうですか?」みたいな感じで死ぬほどハンドレビューしてもらってました。
当時座学するという概念がなかったですし、先輩方の数学的にポーカーを考え座学するという姿勢だったり考えは非常に影響を受けました。
僕自身当時からポーカーに対する熱量は非常にあったのですが、先輩方から見て足りてない部分は相当あったと思います。
多分専業やるまでになって驚いている人は本当に多いと思います。

オンライン

あんまり記憶はないのですが、サークルでポーカーにハマってプレイをしていく中で上達したいという思いが強くなりました。
そこで先輩へ相談したところPokerStarsの存在を教えてもらいオンラインの世界へ行くことになります。

始めは学生ポーカーリーグでトナメをプレイしていた事もあり、1.5ドルSit&Goをずっとプレイしていました。
Sitは相当安定して勝てていてその後Zoomに移行し、BRが少なくなればZoomをやめSitでBRを戻すという事を一生やっていました。

2019年のコロナが訪れるまではオンラインをプレイしており、25Zoom50Zoomをメインにプレイしていました。

モチベが高いときはターン以降いったハンドはすべてソルバーにかけてプレイ検証をしていました。
当時GTOよりSnowieが主流だったと思うのですが当時からGTOに触れていたのはリリアンさんのノートの影響が強いです。

初海外

初海外は19になった瞬間韓国のウォーカーヒルのポーカールームにプレイをしに行きました。

レートなどあんまり覚えていないのですが、2-5でバイインが当時キャップが無かった?か100万円ほどだったので30万円(600BB)ほどでバイインしていました。
卓を観察していると8BBオープンなどが普通で100BBじゃポーカー出来ないなって思ったのが理由です。

3泊で大体30万円ほど買ったのかな?そこから専業を意識するようにはなりますが、ラスベガスのカジノが21からだったりまだそこまで本格的に考えてはいませんでした。

コロナ禍

2019の11月が僕の誕生日で21歳になるタイミングでした。
会社を本気でやるか専業をチャレンジするか迷っていたのですが、会社がイベント関連だった事もありどちらも潰れてしまいました。

ここら辺は本当にやる事がなく、お金もあったので一生APEXしていましたね。
APEXもプレデター行くくらいにはやりこんでいたり、プロチームに一瞬所属するくらいにはやりこんでいました笑
仲のいいシーシャ屋に行くかAPEXするか2択で2.3年生きてました。

コロナで相当狂わされたなーとは今でも思ってます。

専業として 初めてのオーストラリア

2022年コロナも少し落ち着いて来て海外にも行けるようになって来たころ、お金もちょうど無くなってきてぼちぼち仕事をしていたのですが、あまりに社会に適合できず「よしポーカーしよう!」と思い仕事をやめました。

丁度やめたタイミングで2022年のWPTオーストラリアがあったのでそこに1か月行くことにしました。

キャッシュも出来るだろうと高を括って行ったのですが、全然キャッシュが出来ず当初キャッシュ7トナメ3くらいでやろうとしていた所、想像以上にトナメにでる羽目になってしまいました。
ただ運よく1.2個目のバウンティートナメで確か全体3位くらいでDay2に進出でき、最終5位と上振れ余裕を持って毎日をプレイする事が出来ました。

そして最後のイベントFinaleでもFT8位と上振れ、キャッシュも勝ちかなりの勝ちでWPTオーストラリアは終わりました。

この遠征で福山9HighオーナーのTasukuさんと出会い、今でも本当に仲良くして頂いているのでこのオーストラリアは本当に人生のターニングポイントになっています。

ただこの遠征の最後コロナになってしまい2週間帰国できずホテル代で30万円ほど下振れたのでしんどさは相当でした。

小話

2回目の遠征で韓国に行ったときに今でも仲のいい専業のまるちゃんと出会いました。
APT期間のキャッシュで隣の席に座っており、卓が全員日本人だった事もあり日本語OKテーブルだったので割と雑談をしてたところ
「ホテルどこ泊まってる?」といった事を僕が聞いたら返って来た返答が「空港のチムチルバン*に泊まろうとしたらコロナで閉鎖になってて、空港のベンチで寝ていた。韓国の空港は24時間じゃないから深夜暖房が切られて朝起きたら寒すぎて足の感覚がなかった。カジノの無料のコーヒー飲んだら暖かくて涙が出た」と言われ2ベットの部屋に1人で泊まっていた僕は
「ベット余ってるから泊まる?」と言ってそこから今現在までも仲良くしています。
アメリカにESTAで入国すると次入国するまでに時間を空けないといけないので大体みんな期間被るんですよねw

本格的に専業として

オーストラリアでかなり自信をつけられ、本格的に専業としてやっていく覚悟を決めました。
第2回遠征は韓国第3回遠征はフィリピンに行きました。
韓国までは相当調子が良くまさに無双状態だったのですが、フィリピンで1か月通してKKのプリフロオールインを13連敗するというのを1日の終わりに食らいまくり(AAは1回だけ)3回遠征で経費込み130万負けという大敗でした。

そこからはメインの戦場をラスベガスに移し上振れ下振れを食らいながらも専業としてプレイし続けています。

プレイスタイル

初めてベガスに行ったときからGTOにそったプレイをしているのに、思ったように快勝出来ない日々が続きました。
原因は完全に50zoomまで勝ってる俺が負けるわけないだろ、といった驕りでした。
そこから学び、自分だけが正しいと思いこんだプレイをしていたも意味がない、相手がセオリーから外れているのが明らかなのであればそこに対してマックスバリューを取りに行こう。

何も考えてないなら癖とか出るはずだからテルを見つけに行こうといった思考になり、テルノートで書いてあるような内容を意識するようになりました。

今後時間やモチベがあればJOPTで使えるエクスプロイト術だったりテルノート第2弾など書くかもしれないのでチェックよろしくお願いします。


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