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Birth 出産の記録

はじめに

2023年11月15日23時46分

息子が生まれた。

近いはずなのにどこか遠くに響き渡る産声を聞いた瞬間、私に溢れだしたのはとてつもない解放感と、あぁわたし、やったんだ…!という身体の底から込みあげてくる歓び。

あの日、あの瞬間のはちきれそうな胸の感覚は、きっと一生忘れないだろうと思う。


2024年5月15日
いよいよ息子のハーフバースディだ。

だんだんと産後の重たい身体も元に戻り、見違えるほど息子も大きくなって、今もこの文字を打つ隣で床を強烈にバンバンたたきながら次に遊ぶおもちゃににじり寄っている。

残したい残したいと思って、なかなか手がつかなかった出産の記録。
あの日感じた痛みの記憶もだんだんと薄れてきて、当時はもう普通分娩なんて絶対に無理!と思ったのに、今やもう一度やりたいと思っているのだから不思議だ。
誰一人きっと同じでないであろうお産体験。
まだ辛うじて思い起こせるあの日の痛みや喜び、ドタバタエピソードをハーフバースディの記念にライブ感満載な形で残してみたいと思う。



第1章 フライング陣痛編

意外に頑固な子宮口さん

予定日は11月12日だった。
奇しくも私の(私を?)溺愛している9つ下の従妹と同じ誕生日。
本人とまわりから「同じ日に生まれたらすごいね!超奇跡だね!」
と若干のドキドキウフフな期待プレッシャーを受けつつ、
私も正直、そうなったら面白いなぁと思っていたが、やはりそう上手くはいかず(笑)

予定日の3週間前から子宮口は1㎝開いていたにも関わらず、当日も触診の結果、変わらず1㎝。びくともしない子宮口。
あんなにぐりぐり指突っ込まれて確認されるのに…硬すぎやろ。
(ていうか、子宮口を確認する手段が、手袋した手を突っ込んで指でぐりぐりされるだなんて聞いてない。雑だし痛いなんて聞いてない。痛いのは陣痛からだと思ってたのに…)
このまま出産兆候なかったら1週間後に計画分娩になる旨のお話をされて、その場合の予約をしてすごすごと病院を退散した。

旦那が焼肉がお産にいいらしい。と尤もらしいことを言ってきて、いやそうだよね、精をつけた方がいいよねと、すでに体重+16kg(これは私的には予定の+4kgオーバー)だった私も乗っかり、そこから数日はお肉三昧。

妊婦生活も最後の方になると、いままではしっかり意識していた体重管理も
いやー、もうここまできたらあんま関係ないっしょ
的な気持ちになってきて、油断したら臨月にして初めてドバっと妊娠線が下腹・太もも・お尻に大量発生しました。

ものすごく。本当にものすごく凹んだので(見た目がかなりグロいし、一生消えないのか…と手段がないという事実に結構打ちひしがれました)、これから出産の方、どうぞ最後の一瞬まで気を抜かずにお過ごしください。

深夜に訪れた鈍い痛み

1日…2日…と過ぎていって、たまに下から突き上げるような、赤ちゃんが骨盤に頭を捻りながらメキメキ音立てて押し当ててくるような痛みもピタリとやみ、ちょっと血が出るおしるしもなく、「ああこれはもう、来週ですね(遠い目)」という気持ちになっていた私。

3日目の11月14日。
もはや気が大きくなった私は、旦那が以前から欲しがっていたオフィス用椅子をドライブがてら旦那と一緒に実家から1時間ちょっとかかる店まで見に行くことに。

いろいろ物色して良いもの買えて、帰りに味噌ラーメン食べて、ちょっと運動して、夜またお肉食べて、お風呂にゆっくり浸かって、アイス食べて、(里帰りだったので)母と録画していた韓ドラを見て22時ごろに就寝。

すると、深夜0時ごろから突如ギンギンに目が冴えはじめる。

あr…お腹が痛い…気がする。。。
いやこれ痛いな!

重たい生理痛のような痛みからはじまり(ずずずーん、ズキズキ、ギューみたいなお腹の中が捻られるような痛み)、そのギューっと締め付けられる捻られるような痛みがだんだん規則的になってくる。

えーこれ陣痛かな…陣痛初めてだしな…生理痛重い時くらいなんだよな…
正直どんな感じが陣痛って言っていいのかよくわかんないんだよな…と初産婦あるあるの?を抱えたまま、とりあえずninaru アプリで陣痛間隔を図っていくと、1回あたり1~2分の痛みが、みるみる10分間隔に。

間隔が狭まっているのでとりあえず隣に寝ている旦那を召喚。
そして里帰りだったのでそのまま2階にいる母を召喚。

私と同じく出産初経験で心配そうにオロオロしている旦那と、「うーん、どうかなー。あなた自力で立ててるし、喋れてるし、まだ陣痛じゃないかもよ。とりあえず行ってみようか」という非常に頼もしい出産経験者母に連れられ、午前2時半に分娩予定の大学病院の緊急外来へ。

さて、ここからスムーズに生まれてくれるのか!?

「まだ陣痛じゃないですね」 「あ、ハイ。すいません汗」

極度の緊張からか、移動中も院内でもやたら饒舌な私。

「いやー、本当に生理痛めちゃくちゃ重い時みたいな感じなんだよね。痛くないわけではない。でも我慢できるなー。人によって陣痛軽い人もいるっていうからなー」

と、ひたすら大丈夫な自分を実況し、未知の体験への入り口に備える。

病院で看護師さんに言われた第一声が
「大丈夫ですか?歩けます?車いす用意するので乗ってください」
だったので、

その時点で、
…え…全然歩けるんだけど…。なんなら多分青信号点滅してたら頑張れば小走りできるんだけど…。これもしかしてやっぱり本陣痛じゃないやつ…
とうっすら不安になり始める私。

診察室に通され、まずはリクライニングチェアに座った状態でモニターをつけられ、身動きをとらずに20分ほど陣痛間隔をチェック。その後診察台でまたもや触診ぐりぐり。

結論。

「うーん。子宮口3cmくらいでまだカチカチですね。前駆陣痛かもだし、とりあえずいったん帰宅かな」

「あ、ハイ。すいません。ありがとうございます」

ということで、診察室からの帰りは車いすを没収され、真っ暗な院内を1人てくてく歩いて外来受付まで戻ることに。


と、歩いてたらおよよ。

急に痛み強くなってきたぞ。あれ、確かに歩くのってちょっとしんどいかも。あらベンチあるわ。ちょっとベンチで休もう。おかしいなー陣痛だと思ったんだけどなーまだまだなのかなー

と非常灯だけが煌々と光る暗闇の院内で怖さを紛らわすためにもセルフ対話をし続ける。

行きと比べて3倍くらいの時間を要しながら旦那と母の待つ待合室に辿り着き、「一旦帰宅だってー」と普通の声で言いつつも、ちょっと痛みで声が震えはじめる。

だがしかし今さっきお医者さんに「まだです」って言われたわけで、その直後から来ることある?さすがに違うよね。と自分の中で納得し、痛いことは口に出さず会計を済ませ、車を待つ間イタイイタイ。

私の呼吸がやや粗くなっていることに気が付いた母が
「wwww。これ、もしかして今来はじめてるのかもしれないけどとりあえず帰っていろいろ準備しよう」とテキパキ。

帰路は往路とは違って大変静かな私なのでした。


第2章 本陣痛編

変化していく痛みの種類

午前4時前。
とりあえずは一旦帰宅したものの、どうもやはり深夜に陣痛を感じた時より痛い。全然痛い。

とりあえずひと眠りしなさい。眠れなくなるから。

とアドバイスをいただき、横になるものの全然寝れん。

最初の痛さは、軽めのチクチク・ドクドク
そこから、ずずずずーん・ギューッ・グリグリ と重い生理痛のようになり
それが段々、ガンガンガンガンドガがガガガが みたいになり
ぐるぎゅryryryryryyryるるr みたいな
「え?腹の中工事してる?」
といった感じの腰までドリルでやられそうな痛みになっていく。

おもしろい。おもしろいぞ陣痛。変化が多様だぞ。

そろそろ喋れなくなってきた

病院に行く前に母が言っていた、
「だんだん喋るのも辛くなるから」
という言葉の意味が午前8時くらいにわかりはじめる。
確かに痛みがある間は痛くて喋れないし、痛みが引くときも、これが本当に全く痛くない正常な状態があるからこそ、次の痛みがいつくるかの怖さを助長する。

同居している祖父母も夜が明けて次第に降りてきて、手で握りしめられる細長い形になったおにぎりやバナナ、グレープフルーツゼリーを口に運ばれるなど、家族総出で応援される事態に。

時折ふっと陣痛間隔の間に意識が遠のき、眠れる感じがあったのも10時くらいまで。
10時以降はかなり本格的にずっと体内工事中の痛み。
ふーっ ふーっ と息を吐き、力を逃がし、深い呼吸をするように意識する。

その間、ずっと旦那や誰かしらが腰をさすり、手のツボを押してくれ、痛みのない時間は力んで凝り固まった肩や腕を揉んでくれる。

なんと心強く、精神的な支えになったことか。
(このありがたみを数時間後にさらに強く感じることになる)

このあたりになると、もはや自分でアプリの画面を見ながら感覚を測るのが億劫になってきて旦那に携帯を預けて私はひたすら自分の体と向き合うことに。

痛くなってきた痛くなってきたあ!!


いざ、リベンジ!

正午過ぎ。

陣痛時間も1分くらいで陣痛間隔も5分くらいになり、そろそろもう一度病院に行こうと母。

正直10時間前に行ったばかりなので、おしるしも破水もないのにもう行くのか。と心の声。
そして何より、今回お世話になるのは大学病院なので家族の誰も、分娩室はもちろん陣痛室、入院患者用エリアにすら入れないので、孤独な戦いが待っていることを知っている私としては、この陣痛の合間に肩揉んでもらえて、痛いところ押してもらえて、欲しいもの口に入れてもらえる神実家を離れるのはなるべく!可能な限り!ギリギリでありたい!と強めに思っていたが、大事があってはいけないし、初めてのことで自分ことすらよくわかっていないので、素直に行くことに。

即入院!孤独な戦いの始まり

いつもは大混雑な大学病院なのだが、今回ばかりは恐らく優先的に案内される感じなのだろうか。着くや否やあっという間に診察となり、診察台へ。

「うん。3㎝くらいだけど、入り口もうビラビラだね(柔らかいねの意)。すぐ開いていくと思うから今すぐ入院しましょう」

ということで、即入院に。

あっという間に車いすが再登場し、(おかえり、取り上げられた車いす)
入院患者用のフロアに通され、母や旦那も「え、ああ、え?」と言っている間に事が進み、病院到着30分後にはドタバタと別れて、私は陣痛室に。


そこからとうとう、長い(?)孤独な戦いがはじまったのでした。


第3章 陣痛室での戦い編

孤独すぎる陣痛室

陣痛室のイメージ的には、もっと人が痛くて唸ってるとか、助産師さんがあちこち行ったり来たり慌ただしくしているイメージだったのだが、
とにかく静か。
恐らく私以外にもう一方いらっしゃったのだが、計画分娩の方だったのだろうか。麻酔しているっぽくて落ち着いた穏やかな助産師さんとの応対が聞こえてくる。すぐいなくなっちゃったし。

モニターをつけてもらい、赤ちゃんの状態を測るピッピッという電子音だけが響き、カーテンに仕切られたベッドの上、ひとり。

さみしい。さみしすぎる。心細すぎる。

入室後30分でもう家に帰りたい。

痛みが来ても、
フーーーーーーーーーッ シャーーーーーーーッ と威嚇する猫のように体を丸めながら息を吐き、ベッドの手すりにしがみついて耐えるしかない。

さみしい。さみしすぎる。

一体いつまでここにいるんだろう。
助産師さん次いつ来てくれるんだろう。
来てくれても擦ってくれたりするわけじゃないしな。
触診したり血採ったりするだけだしな。
あーおうちかえって肩揉んでもらいたいなーーーーーー

と思っていると痛みが来て、フーーーーーっとしてたらまた引いて、おうち帰りたいよーと思って痛みが来て…の繰り返し。

意外と水を飲む気にならず、持ってきたC1000のビタミンレモンのゼリー飲料を時折流し込み、テニスボールを腰に押し当てて耐え忍ぶ。

そんな時間が夜まで続いたのでした。

イカつい入院食

18時前ごろ。

軽快な音でカーテンが開き、現れたのはにこやかな助産師さん。

「志賀さん、夕食持ってきました。食べられるようだったら体力勝負なので召し上がってくださいね」

と言って置いて行ってくれたもの。


ハンバーグ定食


いや無理無理無理!
絶対今じゃないって!献立決まっているからしょうがないし、お気持ちは本当にありがたいけど、絶対今はハンバーグじゃないって!!

と、そもそも体を起こしてご飯を食べる行為が不可能な痛みの中、心の中で盛大に突っ込む。

あーなんか痛くて目がチカチカしてきた。
もう何時間たったんだろうか。
痛みがどんどん下に降りてきている気がする。

腰のあたりと生理痛の時にいたくなる下腹がメインの痛み箇所だったのに、だんだん肛門近くになってきている気がする。

そのころには、それまで誰かに聞かれる恥ずかしさから必死に耐えていた声も抑えられなくなり

ぅあああああああ”、 イタイイタイ痛いよ”ーーーー、  ぐわあああああ
と怪獣のように叫びはじめたのでした。
(これ、1人でやっているのがシュール)


激しくなる痛み

結局一口も食べられなかったイカつい入院食後。

消灯しますねと、19時ごろに電気を消されてからはさらに孤独。
さらに痛い。さらに恥ずかしげもなく一人でベッドの上で叫ぶ。
(本当にうるさかったと思う。穴があったら今からでも入りたい)

痛すぎて失神しそうだけどしない。
痛くない束の間の呼吸の時間に、痛みじゃ人って死なないんだなーということを呆然と思いながら、ドラマで観た拷問される人が「もう殺してくれ!!!」というセリフにこれほどまで共感できる日が来るとは思わなかった。やめてくれじゃなくて、殺してくれなんだよな、もう。

次々に無痛分娩にしなよと勧めてくれた家族、友人、同僚、先輩たちの顔が浮かぶ…。
今となっては後悔しかない。
なぜ私は普通がいいと思ってしまったのか。
いけると思ってしまったのか。
昔からそれこそ病院がない時代から赤ちゃんは生まれてきていたわけで、自然に産むことは当然に出来ることと思っていた。
今以上に医療が発達してない時はそれこそもっと命がけだったんだということを忘れてた。

早く赤ちゃんに会いたい!
でも体が持たないかも!無理かも!
早く会いたい!早く出てきて!がんばれがんばれ!

とお腹のお子に心の中で声をかけ、ふんばる。

よく聞く体験談で

これから生まれてくる我が子が頑張ってくれていると思うと愛おしすぎて。痛くても一緒に頑張ろうって思えました。

みたいなのがあるけれど、あれはファンタジーじゃないですかね。
正直私は子どもに意識と愛を向けられたのは2割未満。
思い出したように、この子も頑張ってる、この子も頑張ってる。と労う気持ちを持ちつつも、恥ずかしながら8割は自分に襲い掛かる未知の痛みとのタイマンで、マジ無理!死ぬかも!もうダメだ!誰かいっそ腹切ってくれ!!!と思っちゃってました。正直。



襲い掛かる新たな刺客 

※リアルな状況を記録するため、ここから下品な表現も含まれます。申し訳ありません。苦手な方は読み飛ばしてください。

激しくなる痛みはどんどんどんどん下に降りてゆき、とうとう肛門まで。
腰にあったテニスボールは肛門にグリグリとめり込まんばかりに押しつけていないと最早子どもが出そう。

お腹の中を工事されているようなドガがガガガ、kギューーーーーーン、といった痛みから変化し、
大怪物がお尻の穴から首の後ろまで激しい勢いで突き抜けてくるような。
ギュルルルルルるウルr といったあまりにも酷くお腹を壊しているのに5駅くらい飛ばす快速に乗ってしまって、もうダメだ社会人としておしまいだ、逃げ場のない電車の中で私はきっと致してしまうに違いない。
といったような激しい下痢の30倍くらい痛いのがお尻の穴から下腹付近を中心に襲ってくる。手はずっとベッドの柵を壊れんばかりに握って引っ張らないと耐えられないし、足は自然と痙攣してしまう。


これは、う〇こ!!!う〇こがどうしてもしたい!!!今すぐに!!!


どうしようもない便意で、私は狂ったようにナースコールを鳴らしまくる。


「どうしましたー?」
「(息も絶え絶え)すいません、あの、お手洗いに行きたくて」
「あ、お小水用の管くっつけますか?」
「いえ、あの。大きい方です」

きっとよくある話なんでしょうね。助産師さん、ニコッと笑って。

「今志賀さんが思っているものは、便意ではなくて赤ちゃんなので我慢してくださいね。いきんじゃだめですよ。産道傷ついちゃいますからね」

それじゃ、また何かあったらコール鳴らしてくださーい

そう言って帰っていった。


解せぬ。
絶対にこれはう〇こ。どう考えてもう〇こ。
もし違ったとしてもトライしてみないと違うんだって納得できない!

10分くらい我慢して、やっぱり耐えられずもう一度ナースコール。
今度は違うお姉さん。

「はーい、どうしましたー?」
「あの、、、、便意がやっぱり止まらなくて。試してみたいんですけど」
「うーん、今は一番ダメな時期なんですよね。大変だと思うけど、もうちょっと頑張ってください。テニスボール、下に押し当てるといいですよ。また何か痛みに変化あったりしたら呼んでくださいね」


・・・・・・・・・・・

そんなこともう何時間も前からやっとんじゃ!!!!!!!
無理!絶対う〇こ!でる!ここで出すよ!?もうそんなことも気にしない感じになってるよ!?別にいいのよ私は、ここでしたって何も失うものはないのよ!!!

という言葉を飲み込み。また少し耐えてみる。


10分後。やっぱり無理だ。またナースコール。
もはやどんどん痛みは強くなっているので言い方もオブラートに包めない。

「どうしまし・・・」
「う〇こです!!!!う〇こしたいです!!!!これ絶対う〇こだと思うんです!!!!」
「wwww。ごめんなさい、ほんと、そう思いますよね。でも大体そうじゃないの。力抜いて。リラックスして。そうそう上手上手。今は本当にダメですよ。産道傷ついたら本当に大変だからね。いきんじゃだめだからね、力逃してね」



うわああああああああああああああ
話が通じねええええええええええええ
誰か話の通じるやつはいないのかああああああ
頼むだれか!わたしに!う〇こをさせてくれええええええええ!!!!!!!!!!

未曾有の事態に取り乱しながらもどうしたらトイレに行かせてもらえるのかを考え続ける。そうだ、「だと思うんです」とか言うからいけなかったんだ。断定しないといけなかったんだ。言い切ろう。次こそは言い切ろう。

3分後。

「はーい」
「う〇こです!う〇こします!」
「苦笑。よし、ちょっとテニスボール押し当てる場所確認しますねー」

結局させてもらえず。
なぜだ。なぜこんなに排泄に行くことが難しいのか。こんなにも希望が通らないのか。もう痛すぎて認知機能と思考機能が壊滅的に低下している。

その時には私はう〇このことしか考えられなくなっていた。
う〇こう〇こう〇こう〇こう〇こ。。。。。。。。。
ナースコールナースコールナースコールナースコール。。。。。

3分後。

シャーーーーッ(カーテンの音)
「違いまーす」

カーテンを開けるや否やこちらが言葉を発する前に先手を打たれた。どうしようなすすべがない。泣くしかない。

どんなに痛くても泣かなかったのに、ここにきてべそをかいて懇願した。

「お願いします、ほんと、なるべくいきまないようにするんで。挑戦だけ。挑戦だけさせてください」

助産師さんも根負けして、歩行補助しながらお手洗いまで連れてきてくれた。


助産師さんの言う通り、う〇こではなく、お子だった。


朝って何時から朝ですか!?(怒)

夕食以降は正確に時間を見る余裕もないので多分21時ごろ。なのだが、そのころになるとう〇こ騒動もあり、私の中ではもうイライラが最高潮に達していた。(イライラするのはお子に良くないとかそういうのはもう何も考えられなかった)

2,3時間おきに触診に来る助産師さん、お医者さんに最初はしおらしく振舞っていたものの、もうこの辺りになると
「いつ??いつ出てきてくれるの??いつ解放されるの??」
と意識も朦朧として、原始的な感情しか自分に残らなくなってくる。

3㎝で入院したはずの子宮口は、18時くらいに5cmくらいになったところで、それからなかなか進まず、多分21時くらいの時の触診でも5cmのままだった。


「うーん、まだ5cmくらいだから、結構かかるかもしれないですね。明日の朝、様子見てまだそうだったら促進剤打つ準備しましょうか」


おいおいおい、明日の朝だと!?
すかさず私は突っ込んでしまった。
「朝って何時からが朝ですか?」

死活問題である。
朝が6時を指すのか、8時を指すのか、はたまた10時までは朝に入るのか。
デッドラインはちゃんと決めてほしい。こちらもいつまで耐えるのかわかればかなり精神的に助かる。朝は、いつからが、朝なのか!!!!

「本当は、自然に赤ちゃんのペースで出てこられるのが一番いいからねえ。なるべく早くに朝また確認しましょうね。今夜、大変だけどお母さん頑張って!!!」

今考えればまあまあ喧嘩を売るような発言だったにも関わらず優しくねぎらってくれて、なんていい先生だ。でも当時の私は欲しい答えがもらえずに絶望。まじかーーーーーーーーー私も自然なタイミングで産みたい気持ちは山々だけど、促進剤打って早くこの痛みから解放されるなら正直今すぐ打ってほしいよーーーーーーーー(泣)



突如開いた子宮口

朝までか、そうか頑張るしかないのか、もう今日は君とは会えないのか。

そんな気持ちになって、もう一度自分を奮い立たせていた22時ごろ。
今までは基本1人で来てくれていた助産師さんが、ついさっきが触診だったのに急に3人でご登場。

「志賀さん、もう一度触診しますね」
と触診してもらったら、なんと一気に8cmくらいまで子宮口が開いたらしい。

「いけるかも!今晩中にいけるかもよ!あと少し頑張ってくださいね!」

俄然、一気に頑張れる私。
相変わらずう〇この気配を感じつつ、これは子どもなんだ、子どもなんだ、と言い聞かせて、フーッフーッと呼吸をし続ける。もはや無。マインドフルネス。あれ、痛いのちょっと引いてきた。
と思ったら急に破水。このタイミング。


23時頃。
お医者さん登場。触診。

「子宮口、9㎝超えてきてますね。今すぐ分娩台行きましょう」

待ってました。いざ分娩台へ。


第4章 ファンタスティック出産編

急に全てがスムーズな分娩準備

陣痛室のすぐ隣にある分娩室に入った時間は23時20分くらい。
足取りも急に軽く、これまでの痛みも麻痺したのかと思うほどすぅーーーっとひいていき、分娩台に乗る。

いよいよだと思うと、本当にびっくりするほど急に痛みがなくなり、まるで短距離走の前のスタートラインでクラウチングスタートポジションをとっているような気分に。

助産師「今日中は難しいかもしれないけど、もう間もなく赤ちゃんに会えますからね!がんばって!」

産科医「それじゃあ、はじめますね。大きく息を吸って次の陣痛の波が来たらぐっと踏ん張っていきんでください」

解放、そして爽快感

まってました!!!!いいんですね!!!とうとう、いきんでいいんですね!!!!(歓喜)

今まで押し殺していたエネルギーが圧縮されてパワーに代わっていくのがわかる。世界が透明になっていって、大きな川の流れの中でスライダーしているような感覚。

陣痛の波が来て、気持ちの赴くまま大きくいきんだ。

メリメリメリ!と身体の奥で音がして、自分の骨盤がひらいていくのが分かる。赤ちゃんの頭が私の骨盤に触れているのが分かる。
自分の中で起きていることが、自分の体を透かして見ているかのように手に取るように分かった。

ふーーーん、ふーーーーーん、ふうぅぅぅぅぅーーーーーーん!

と3回ほどいきんだところで、頭が降りてきているのが分かった。

「すごい!赤ちゃんの頭、もう見えてきています!」

思いがけず1セット目のいきみで頭が出現して興奮している助産師さん。

わかる!わかります!なんだこれ、分娩超気持ちいいぞ!

助産師1「いきむのすっごく上手!次、もう一回いきみますよー」
助産師2「志賀さん、もしかして今日中に産まれちゃうかも!」

ぃやったーーーぁ!
楽しくなってきてしまって、ようやくいきめるのが本当に嬉しくて、そして何よりもやっとエネルギーを開放出来る快感にハイテンションの私。

そしてまた波が来る。

ふぅうううーーーーーーーん、ふんーーーーーーーーー、ふぅーーーーーーーーうんんn!!

骨盤辺りにコリコリ、ヌルんとした感覚があり、あ。今赤ちゃん回転したなとわかる。
1回目とは違ってメリメリメリ!ではなくグゥウウウウンと骨盤が広がっていく感覚があり、子どもの肩がヌルっと出てきたのが分かった!右向き!

助産師1「赤ちゃんの肩、出てきました!」
産科医 「次の波できっと最後です。はい、ふーっと休んでー」

少し呼吸を整え、最後の波を待つ。
股の間でなにか中途半端にブランとしている感覚がある。

最後の波が来た。

う”うううぅぅーーーーーーーーーーーーーん!!!!
と3セット目いきみはじめたら、ヌルヌルスルン!
擬音語が実際に聴こえてきそうなヌルヌル感でなにかが出てきて、直後、股の間に感じるひんやりした風。



nふんぎゃぁぁぁぁぁあああああ



時刻は23時46分。
大きな産声をあげた息子。


「おめでとうございます!元気な男の子です!」


これまで吸い込んだことがないくらいの、爽やかで美味しい透き通っていくような酸素が身体中を駆け巡る感じがした。


ようこそ、息子くん。

ちょっと最後お腹の中で苦しかったらしく、羊水内で胎便してしまって緑のう〇ちまみれで登場した息子くん。

歯医者さんのコォォーーーーーーっというような音を出す吸引機で飲み込んじゃった羊水とちょびっとう〇ちをあっという間に助産師さんが吸い出してくれ。パパパッときれいになって枕元にやってきた息子くん。

産声あげたのはさっきだというのに、穏やかな笑っているかのような顔でもうすやすやと寝息をたてていた。


神様から預かる小さな命

ちいさなちいさな可愛い命。

特定の神を信仰しているわけではないけれど、子どもを見た瞬間、直感的に感じた神のような存在。
神様がこの子を私たちのもとに遣わしてくれたんだ。この子を神様から私はこれから預かるんだ。というような感覚。

私の息子だ!!!
というよりも、
息子が来た!!!やっと来た!!という感じ。

このあとは色々と会陰裂傷の縫合とかあったけれど、胸がいっぱいで嬉しくて嬉しくて、ただただこの先の楽しい未来の妄想だけが頭の中を駆け巡っていたのでした。


あとがき 

0と1/2歳の誕生日おめでとう。

そんなこんなで、待望の第1子が私たちのもとに来てくれてから、
今日、11月15日が生後半年のハーフバースディ。

改めて、私たちのところに来てくれてありがとう。
毎日元気に育ってくれてありがとう。
この先どうなろうと、もう一生分の幸せをあなたはくれました。
ハーフバースディ、おめでとう。




ーと、私はこんな感じの出産体験でした。
陣痛は辛かったけれど、分娩は面白かったし気持ちがよかった。
分娩だけなら何回でもやりたい。
陣痛は…もう1回くらいは普通分娩でもいけそうな気がする(そしてきっとまた後悔する笑)
ただ、出来るなら次は陣痛室も分娩室も誰かと一緒に入れるところがいいですね。絶対に心強い。それはそれでまた違うストレスがある(頓珍漢なことされて逆にむかつく)という話もよく聞くけれど…。
でもやっぱり、本当だったら旦那にも、あの生まれる瞬間のなんとも表現しがたい貴重な経験をさせてあげたかったなあと思うのです。

お産は十人十色。誰一人同じお産はない。というのは本当にその通りだなと思いましたし、命がけで生まれてくる命。循環。母の偉大さ。を身に染みて感じる体験でもありました。
全国のお母さん全員に感謝してまわりたい。
本当に命を育んで産むって、すごいことだ。

また、入院編や名づけ編、新生児編も残しておきたいなと思います。

ひとまず、出産編はこのへんで。

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