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東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 🌸

菅原道真公は、全国に数多く存在している天満宮に「学問の神様」として祀られ「受験の合格祈願の神様」としても有難い存在ですが、神様になられるまでには辛い出来事がありました。

彼が生きていた平安時代

菅原道真は貴族、学者、そして政治家でもあり、やがて朝廷の最高職とも言われる右大臣に就任し、権力のトップの座に立ちます。それを快く思はなかった左大臣・藤原時平に無実の罪を着せられ、大宰府(九州の越前国)に送られる事になります。

左遷される時、彼は自宅の大切にしていた梅の木の前で「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」と和歌を詠み京都に別れを告げ、失意の中、2年後に大宰府で亡くなります。

生前に道真公は遺言で「遺骸を牛車にのせて、牛の赴くところにとどめよ」とありましたので、牛車を引いて行った牛が動かなくなった四堂という場所にご遺体は埋葬されました。

死後、道真公を謀った、藤原時平は39歳で突然死。宮廷内で落雷が発生して複数の貴族が命を落し、左遷した醍醐天皇とその皇太子が病で立て続けに亡くなった事により、一連の出来事は、菅原道真の怨霊による祟りであると畏れられるようになります。

やがて道真公の墓所に「怨霊」を鎮める為にお寺が建ち、長い時をかけて現在の太宰府天満宮になりました。


「天満宮」には道真公が好きであった梅と牛が今でもお側にいるのです。

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