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私は今が一番幸せ。母からもらった一番の遺産(ママン別居日記105)

いつの時代も、己に正直に生きられた人の勝ち。

今は、私の若い頃より更に自由なはずなのに、未だにその恩恵を受けられていない人もいる。(かつての私がそうでした。私の若い頃も、昔とは比べものにならないくらい自由だったのに、不自由だったな、と。)


自ら枠を嵌めている。
自らブレーキを踏んでいる。
勝手に面倒臭い思考をしている。

等々、理由は様々だろう。


そもそも、若いとは不自由なものだ。

私は若い頃に戻りたいとは思わない。

まして、子ども時代なんて。あんな不自由な時代は、まっぴら御免だ。


穏やかに自由でいられる今が、私は一番幸せ。



私の母は、よく勉強していた。
戦後、家庭の事情で高卒だったけど、一日中勉強していて幸せそうだった。お金もかからないし(笑)。

この幸せを見つけられた人は最強だなと思う。

母からもらった一番の遺産は、【勉強する楽しさを見せてもらったこと】だと思う。


567療養中も私は幸せだった。(3月24日に空けております。)
10日間もただひたすら家に籠っていられた。ずっと書いていられたし、創作できた。
私の内向型100%は本領発揮。


世間では75%の人が外交型とか。
そして、世間は外交型向きの人に合わせて作られているとか。

外交型の人は、人といると回復する?

信じられない。
表向き?嘘言ってるんじゃないの?

人といるとリラックスして体力が回復していくなんて!?
人と会うことでどんどん元気になるなんて!?


あり得ない



内向型の人は、外に出て人に会うだけでエネルギーを使う。
充電式のバッテリーのように、蓄えられたエネルギーがどんどん減っていく感じ。

一人の時間は、絶対に必要なのだ。


外交型の人は、人と話したり、外で活動したり、人や活動に囲まれて働くのが好きで、人や外界と接していない時に孤独や疲労を感じるらしい。


よくわからない。というか、


全然わからない。



一般的な好人物像に当てはまるという。社交的で明るく、話題が豊富。

(確かに私は、いつも聞き役だったわ。)


母は、“一度会ったら忘れない”という人だった。万人に一度で覚えられる。

それは、3人の子どものうち、私だけに受け継がれた。内向型なのに、目立ってしまう(泣)。

だから、自分も錯覚してずっと生きてきた。でも、人が多く集う場所は、本来は苦手だ。保護者会とかも苦手だ。でも、頑張ってきたんだな、と思う。子育て中も自分の部屋は無かった。でも、基本、アルバイト以外の時は、家で一人でいられたから、今思えばありがたかった。今も、家を出て、一人で暮らさせてもらっている。ありがたいことだ。

全てがありがたい。恵まれている。幸せだ。
私は、今が一番幸せだ。一人でも。孤独でも。
一番無理がない。一番自分らしい。
今思うと、母のことを社交的な人に感じていたけど、本来は違ったんじゃないかな、とわかり始めたところだ。


子育ては楽しかった。
このnoteにも書いたことがあったか(?)、私は母になるために生まれてきたと思っている。私を絶望の淵から救ってくれたのは双子だった。その後に生まれた次女。3人の子ども達は、私の一番の宝だ。
それは、変わらない。

それでも、末の次女は、4月から大学生。
自分の時間が増えた今、「幸せ」だ。


子育ても幸せだった。
思えば、全てが幸せだったな(笑)。

でも、本当の(何が本当かしら?あれもこれも本当だと思うけど(笑))「本来、在ると楽な自分」、「やりたいことができる幸せ」があるから、「今が良いな」と心から思える。


「今」が一番幸せなら、ずっと幸せだ。だって、未来は「今」の積み重ねが作るものだし、毎日、「今」の積み重ねの連続だから。


だから私は、「今」が一番幸せ、をずっと続けていきたいな。



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