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母たちのこと

認知症になった二人の母、姑と実母を、介護させていただきました。
2年続けて、ふたりとも3月にあちらに逝かれました。

今日は母の日なのに、この世に母が居なくなってしまいましたので、介護させてもらったからこその思い出を書かせていただきます。


義母とは、30年以上同居だったので、実母よりも長く同居する事になりました。
そう考えたら不思議なご縁ですね。
なので、義母の昔話のほうが、実母よりもよく聞いていたような気がします。

義母は、12歳のころ、小学校の卒業の翌日から、東京に奉公に行ったのだそうです。
秋田生まれの義母ですから、当時の東京は、果てしなく遠いところだったことだと思います。
しかも、自分で奉公に行くと決めたのだそうです。

7人兄弟の真ん中っ子で、近所の女の子は売られていったりしていたそうで、売られるよりは、自分で奉公に行くと言ったのだそうです。
わたしにも娘がいるので、そういう時代だったにしても、わずか12歳で、親元から放して、増して都会に奉公にやるなんて、親も子も、どんな気持ちだったかと思うと、胸が痛くなります。

しかも義母は、初潮もみない前に奉公に行ったので、初めて生理になった時には、びっくりして寝込んだ、という話も、一緒に洗濯もの畳みながら話してくれたことがありました。

東京では子守りをしていたそうですが、その後、戦争中には、男性が居ないので、営団地下鉄で切符切りをしていたそうです。
車掌さんになるのが夢だったのよ、と言っていました。

義母が認知症になって、もうかなり進んだころ。
よく「ばかやろう!」って言われた事がありました。
自分でご飯食べれなくなっていた頃で、食事介助してる最中にも、「このばか!」と突然言って、スプーンを叩き落とす時などもあって。

その時には、ビックリしたし、腹も立ったけれど。

でも、もしかしたら、小さい頃に、奉公先で言われたりして悲しかった思いが、ず~っと溜まっていて、今出てきているのかも?と思いました。

そう思ったら、まぁ許せるというか。
その最中には、そうは思えないのだけれど、クールダウンする事が出来たのでした。

きっと、認知症になって、この世を卒業される魂にも、何かワケがあるのかもしれないな~と、思うのでした。


そして、義母をお見送りした数か月後に、今度は実母を自宅に引き取りました。

実母は、身体は動くけれど、認知症で要介護5でした。
動けるけれど、どう動いて良いかがわからなくなっているので、わからんちんの1歳児くらいな事をしでかしてくれたりするのです。
この時始めて寝たきりの介護の方が、楽だったと知りました。
寝たきりなら動かないので、居なくなったりしないし、ベッドからも落ちないし、ちょっと留守することは可能ですもの。

それでも実母は、話した事は全て忘れてしまうけれど、会話はそれなりに出来るのでした。
それで、今まで聞いた事のなかった、母の子どもの頃の話などを聞くことができました。

母は、父のいない母子家庭だったせいか、案外厳しく育てられたようで、それに昔の人の事もあって、ハグとかそういうスキンシップをしないで育ったようでした。
本人もずっと、「そういうベタベタするのはキライ!」って言ってたんです。

わたしは年子で姉になってたコトもあって、淋しい、もっと甘えたかった、という気持ちを大人になってもずっと引きずっていたのですよね。


ウチで母を引き取ってから、或る時、とつぜん、今まで聞いたことのないおばさんの話をし始めて。

京都のおばちゃんちに泊まりに行くのが、とても楽しみで嬉しかった、「よう来たな~」って抱きしめてくれたから。
って言うのですね。

キライって言ってたのにね?・・・と、思ったけれど、その時に、そうか、って気づいたわけです。

本当は、寂しかったのですね。

それから、なるべく、母を抱きしめてあげるようにしたんです。
そうしたら、と~っても喜ぶんですよ。
「嬉しい~!」って抱きしめ返してくれるんです。

それでね、なんとなく思ったことは。
母も義母も、認知症になってしまったけれど、それが必要だったのかもしれないな~ってコトでした。


どちらの母も、寂しい子ども時代を過ごし、たくさん我慢してきたのでしょうね。
認知症になって、やっと「本音」が言えるようになった、のかもしれません。

もしかしたら、人生が大きなパズルだとして、ピースを全部埋めないと卒業できなくて。
赤ちゃんの頃に「全部うけとめてもらう」みたいな経験の部分のピースが抜けていたりして。
いま、認知症になって赤ちゃんみたいになって、それでも全部「受け止めてもらう」経験を必要としてるのかもしれない?!って、思ったんですね。


それに、もしかしたら前世とか前々世とかで、逆の立場だったかもしれないじゃないですか。
今世では、私がお返しさせてもらって、プラマイゼロになるのかもしれません。

と、勝手に思えば。

誰を恨むことも、何故自分だけが?と思うことも、責めることも必要なくって、ただ、させてもらえてありがとう、と言えるのではないかな?と思ったわけです。


相手を変えることはできません。
増して、介護する相手は「出来なくなって」いるわけですし。

変えられるのは、「自分だけ」なので、如何に自分が苦しくなく、ありがたく楽しく介護できるか?という「自分の見方を変える」ことだけ。


ともあれ、介護させてもらっていたお陰で、そんなことを考えるようになりました。

すべてのコトは、必要、必然、ベスト!
母たちの最期のときを、一緒に過ごさせていただけて、有難いことだったなぁと、しみじみ思っております。

お母さん、わたしを産んでくださって、育ててくださって、本当にありがとう~!
義母さま~、夫を産んで育ててくださって、本当にありがとうございました~!
それから、子供たちに。
わたしを選んで、生れて来てくれて、お母さんにしてくれてありがとう!

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