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おばあちゃんの知恵袋♪

子育てしていたさなかには、なかなか気づかなかったことも、3人の子どもたちが成人し、約10年間、両親3人の介護も卒業してみると、いろいろと分かってきた事があります。
そして、娘が母になり、おばあちゃんにならせてもらって、初めて見えてきた事もあります。
そんな経験から、気づいた事を書いてみたいと思います。


その1・みんな違ってみんなイイ

私は、結婚と同時に夫の両親と同居でしたので、「当たり前」が色々と違って、ビックリした事が沢山ありました。

当たり前ってみんな違う

夫は土地持ちの一人っ子、私は、団地生まれ団地育ちの6人兄弟、長子の一人娘でした。
結婚してからわかりましたが、真逆の育ち方をしてきました。

それぞれが「違って当然」だと思っている事には、まぁ違うよね、と受け入れられるけれど、「当たり前」だと思っている事って、「相手が変!」だと思ってしまいます。

でも自分が何を「当たり前」だと思っているか?なんて、違う相手と出会わないと、気づかないじゃないですか。
なので、最初は、ええ~?!というビックリの連続でした。
まぁ、同居を経験された方には、同意していただけるのではないでしょうか。

親と同居ではなくても、パートナーとでも、同居して初めて「違い」に気づいたりしますよね。
雑巾の絞り方、洗濯の干し方、畳み方、しまい方、お風呂の入り方、どこで歯を磨くか?電気の消し方?洗濯物の出し方?・・・もうそれは数え上げたら、キリの無いほど。

そして、それって、実はよく考えたら「どうでもよいこと」「どっちでも良いこと」でもあるんですよね。
ただ、「気になって」しまうと、どうでもよいとわかっていても「気持ち悪い」事だったりして。

そして、何故か、「自分が正しい」と思ってしまいがちなんですよね。

だって、洗濯ものを、裏返して洗っても表にして洗っても、それぞれの言い分はあるし、良し悪しも、それぞれにある訳です。
でも、どちらかにこだわっていると、「何故アナタはこーゆー事をする?」となります。
その辺の一つ一つは小さな「違い」を「許せる」か「流せる」かどうかなのだけど、うっかりすると夫婦関係、人間関係まで、変わってきてしまうのではないでしょうか。

真逆でも大丈夫の気づき

夫と私は真逆の育ち方で、当たり前も真逆な部分が沢山ありました。
けれど夫はとても尊敬できる人でしたし、思いの外、マザコンでもありませんでした。

義母は、下の子を8か月で死産で亡くしていたので、本当に砂糖菓子のように愛でくるんで夫を育ててくださったようです。

子どもの頃、ピストルが好きだった夫は、100丁以上のピストルを持っていたそうです。
何しろ義母は、近所のおもちゃ屋さんの「当てくじ」の1等がピストルだったからと、息子のために、当てくじを全部買ったのだそうですから!
もっとも、全部買っても1等が入ってなかったそうですけど。

一方、わたしは弟が次々5人もいたので、子どもの頃から、誰に言われた訳でもなく「お姉さんだから我慢しないといけない」と思っていました。

なので、欲しいものも「欲しい」と言えないうちに、欲しいと思う前に、どうせ無理だと諦めるようになっていました。

そして、20歳過ぎまで「もっと愛されたかった」思いを引きずりました。

夫と義母を見ていて、お互いに「卒業」して親離れ子離れしたように見えました。
私の方が、親から離れられずにいたように思いました。

その時に、あぁ、どっちでも大丈夫なんだなぁと思ったのです。

自分の見方を変えること

子どもが生まれて、義母は孫をそれはそれは可愛がってくださり、洋服も、一度に何枚も沢山買ってくださって、私の買う余地がなかったりしました。
好きなお菓子も「箱買い」してくださるので、辟易した時もありました~。

けれど、子ども達からは「大好きなおじいちゃん、おばあちゃん」でいて欲しかったのです。
(ほんとは、私が祖父母と縁が薄かったので、自分が祖父母を欲しかったのかもしれません)

なので「自分の見方」を変えることにしました。
おじいちゃんおばあちゃんは、買ってくれる人、ママは買ってくれない人でいいや、と思いました。
「相手を変える」ことは、ほぼ不可能なので、こちら側の「見る方向」を変えるしかないですよね。

当時自宅で開催していた「母親教室」に来てくださった先生に「同居してると社会性が身に付くのよ」と言われたことがありました。
その時はよく意味がわかりませんでした。

けれど、子ども達が育ってきて、色々な先生や人に出会ったり、社会に出て理不尽な事を言う人に出会ったりした時に。
ああ、家庭の中で「いろいろな考えの人」がいるって、ありがたい事だった、と気づいたのです。

何でも買ってくれる人、ダメと言う人、薬を飲めという人、飲まなくていいという人、全部あってOK!
家の中から、社会性が身に付くって、こういう事か!と思いました。

なので、娘が嫁ぐときには、「当たり前って、家によって人によって、違うものだよ」という事を、よく話しました。
なかなか、出くわしてみないと、自分の「当たり前」に気づきませんが、それでも、なんか「生理的に許せない」事って、相手との「当たり前が違う」時だったりするんですよね。

そして、たぶん、ほとんどのパートナーは「違う」部分も互いに必要なので、引き合うのではないでしょうか。

五感はみんな違う

五感に感じるものすべてが、実は人によって「同じ」に感じている訳ではありません。
私が見てる「赤」が、あなたの見てる「赤」とまったく同じ色だという証明は、そもそも出来ませんよね。

かつて息子は、中学の時に授業についていけていない事が判明して、県の青少年相談センターで検査をうけたら、発達障害のグレーゾーンだと言われました。
でも、私もそうだったかもしれない?とも思いました。
そして夫も娘も、コミュ障だと、娘も言うので、それなら「普通」って何?ってことになりそうです。

息子は「味」や「匂い」に敏感で、どうしても「食べれない」ものなどがありました。
はじめは、「何とか食べさせなきゃいけない」と思っていましたが、吐いてしまうので、無理なのだとわかりました。

このような事が、だんだんわかってきて、やっと「感覚」って、実は皆それぞれ違うのではないかと思うようになったわけです。
夫がどうしても魚を受け付けられない事も、理解できるようになりました。

そして、それなりに理解できるようになると、「許せる」ようになるんですね。

実は私は10年程前に、インフルエンザに罹った後で、「匂い」が変わってしまいました。
匂いが無くなった訳ではなくて、ちゃんと普通に戻ることもあるのに、カレーの匂いやパンを焼いた匂いとかが、”知らない匂い”になってしまったんです。
ちょうど、介護が始まった頃で、特に「臭いニオイ」アンモニア臭が、臭くなくて香ばしいニオイに変化していて、ありがたかったのですけれど。

なので、自分で勝手に「介護鼻」と名付けてラッキーとは思っていましたが、介護が終わっても、今のところ正常には戻っていないんです。
そして、先日乳酸菌系の飲み物の匂いが、全然知らない変な匂いに感じてしまって、飲めなくなってしまった事がありました。

この時に、息子や夫が「どうしても食べれないもの」がある事、を心から理解してあげれる事ができた訳です。
なかなか、自分の身に沁みないと、「違い」を理解してあげる事は、難しいかもしれません。
でも、「違うのだ」という事を知っておくのと、「当たり前」だとひとくくりにするのとでは、対応の仕方が変わってくるように思います。

金子みすずさんの詩のように、「みんな違って、みんないい」わけですよね。

なので、わたしの同居のコツは「いのちに別条が無いことは、どっちでもいい」でした。
そう思っていると、たいていのことは、ま、いいか!と思えるんですよ。

でも、介護のコツは「いのちに別条があっても、どっちでもいい」になりましたけどね★乱暴ではありますし、家族だからこそ言えることですけれどね。


こだわる事も大事ではありますが、そのコダワリを、相手に押し付けないこと、が大事なのかもしれません~。
それぞれが、自分の人生ですものね。

色々違うから、面白い。
そして、違うから、あゆみよる事もできて、それはまた嬉しいことではないでしょうか。

その2・コトバのかけ方

小さい子供も、たぶん認知症などのお年寄りも、そのままの「言葉」に反応することがよくあります。
もしかしたら、コトバになる以前の「雰囲気」や「態度」も感じ取っているのかもしれません。

別に怒っているわけじゃないのに、「怒ってる」と言われた事って、ありませんか?

「コトバ」って、音声で発声する言葉だけではなくて、思っている事も、そして態度や表情も、「コトバ」なのですね。

私は三人目の子が2歳くらいの頃に、上の子供たちに別に小言を言ったわけでもないのに末っ子に「ママ、もっと可愛い声でお話しして?!」と、言われてしまった事があります。

上の子たちを怒っていたわけでもないのですが、いつの間にか、キビシイ声を出していたようで、ビックリして、反省した事があります。

注意する時のコトバがけ

「落とさないで」、「こぼさないで」、「投げないで」って小さい子どもなどに、つい言ってしまう言葉ですが、みとごに、反応されてしまう事がよくありました。
幼児期の子供って、素直なので『ことばそのもの』にちゃんと反応するのではないかと思うのです。

ウチの長男くんが1~2歳のころは、かなり活発なヤンチャさんでした。
石を持てば投げたりするので、ついつい「投げちゃダメ」と言ってしまうんですね。
でも、そうすると投げるんです。

で、あれ?言葉に反応してるのかな?と気づいてですね、「そーっと置いてね」と言うように変えたのです。
彼は「石」というモノを研究していただけで、投げたら危ないというのは、大人の考えだったんですよね。
そして、そのようなコトバ掛けをすると、ちゃんと息子もそ~っと置いてくれるのですね。

日常的に、つい経験豊富な大人は、先を見越して自分の「経験」を押し付けようとしていた事に気づいた出来事でした。

プラスなコトバがけ

ついつい、心配するあまりに平坦な道を通らせたい、または、失敗された時の尻ぬぐいを避けたいので、「やめて~」という言葉かけをしてしまいがちなのではないでしょうか。

例えば、雨に濡れて帰って来たときに、つい「風邪ひくよ」と言ったりしないでしょうか?
ゲームばかりやってるときに「目が悪くなるよ」と言ってないでしょうか?


でも、なぜ、マイナスを予想させるコトバ掛けをしなくちゃいけないのでしょう~?
濡れて帰ったら、着替えさせたり、お風呂に入れてあげればよいだけなのに。
強いね、元気だね、と言ってあげても問題ないですよね。

濡れる=風邪、に結び付けるイメージを潜在意識に刷り込むと、潜在意識のパワーが発揮されてしまうらしい・・・と、ある時に気づきました。

もしかしたら、大人になって雨の中でも仕事をしないといけないこともあります。
画面を見続ける仕事をするようになるかもしれません。


そんなときに、子供のころに刷り込まれた「濡れたら風邪をひく」とか「目が悪くなる」とかって意識は、邪魔になるだけかもしれませんよね。
コトバには生み出す力があるのですから。

それで、なるべくコトバ掛けを変えるように、努力しました。
それでも、ついつい、言ってしまう言葉も沢山ありますが・・・。

それこそ、自分の潜在意識に刷り込まれたコトバが、同じような状況になった時に、自動的に出てきてしまうものですね。


でも、おかげさまで、ほら熱が出るよ、とかほら風邪ひくよ、という”病気を予想させるコトバ”はかけられずに育ったので、そのようなコトバ掛けを自分もせずに済みました。

介護も同じかも

3人の両親を介護して、お見送りさせていただきました。
母二人は認知症でした。
よく子供に帰ると言いますが、やはり否定の言葉掛けがNGでした。

子どもには、注意したら直せるかも?という希望もありますが、老人相手に注意のコトバは否定になってしまいます。

そもそも、今まで出来た人が「出来なく」なっているわけなので、注意されたって直せないわけです。
そして、色々な事が出来なくなっても、大人なのでプライドは忘れていません。

うっかりマイナスなコトバ掛けをしてしまうと、急に人格が変わって怒りだしたりする事があるのが認知症なのです。

注意出来ることって、ありがたい事だったのだと思った記憶があります。
なので、「全部肯定する」という訓練をさせてもらいました。

人生には、そんな時期が必要なのかもしれないな?とも思いました。


赤ちゃん時代って、ほとんど「全肯定」ですが、もしかして、その時期に肯定してもらえなかった残り?が、人生の最後に必要になってくるのかも・・?
なんて、考えたりしました。

本当のところはわからないけれど、もしかしたらアルかもしれません。
そう思うと「否定」の言葉よりも、「肯定」の言葉って、とても大事かもしれませんよね。

どちらにしても、そのお陰でずいぶん鍛えられました。
そして、終わってみたら、とても良い経験でした。

きっと、それぞれの人に必要な経験として、色々な出来事があるのでしょうね。そう、思って過ごせば、たいていの出来事は「受け止める」事ができます。

受け止めると、前に進む知恵が出てくるので、コトバ掛けにも知恵が生まれるような気がします。


その3・卒業するということ

人生は、大きな学校みたいなもの、ではないでしょうか。

地球学校に生まれて、幼稚園レベル、小学校レベル、などなどを経験して過ごして成長しているとも言えるかな?と思いますけど。


わたしは、小学校の頃から、「何故生まれてきたのか?」を悩んで考える子どもでした。

周りの友達の両親や、小学校2年の時には、同級生も、突然亡くなったりするのを見てきたので。
何故、死んでしまうのに、何故大人にならなきゃいけない?何故勉強しなきゃいけない?何故、何のために自分は生まれたの?


色々な本も読みましたが、なかなかハッキリと、すっきりと答えは出ませんでした。
でも、だんだんわかってきた事がありました。
わたしなりの解釈ではありますけれどね。


地球に肉体という宇宙服を着て、生まれてきていて、自分の本体(たましい?)がその中身なのだ、ということ。
そしてきっと、何度も別の宇宙服で、地球か、違う天体か?に、生まれてきた事があるはずだという事。

まぁだから、最後の卒業といったら、この肉体から卒業という事になりますけれど。

でもその前に、ひとつひとつ、クリアして卒業していく必要があるのかな、と思うのでした。

必要だから、出てくる

何か問題が出て来るのは、その問題が必要なわけで。

意地悪をする相手だったり、ショックな出来事だったり、事件や事故だったり、大きいも小さいも、生きていると、色々出てくる事がありますよね。

ドラマの中には、かならず伏線ってあるじゃないですか。
次の「何か」が出てくるためのモノ。

「問題」って伏線みたいなモノだと、わたしは思っているのですよね。
それを、乗り越えた時には、違う景色が出てくるの。
でも、そんな事言ったって、イヤですけどね?問題山積なのは・・・。

それでも、自分のところに出てきた問題は、自分にしか解決できない問題だったりするわけで。
イヤでも、受け入れるしかないわけです。
この「受け入れる」という事が、一つの関門ではあると思うけれど。

受け入れないことには、次に進めない。

そして、受け入れて、何とかしようと思ったら、初めて、解決方法の糸口が、出てきたりするワケです。
ゲームでも、そうじゃないですか・・・進んでみないと、次の入り口は見つからないですもの。



大抵の問題は、「人」「人間関係」が絡むことが多いですよね。それからお金も、かな。
むしろ、人とお金が絡まない事は、あまり問題にならない?かも?

人、には自分自身も入れたら、他には問題になりようがないかもしれませんよね。



「自分」が「どう、受け止めるか?」次第とも言えるわけです。


女性はありがちかなと思いますが、子どもの頃でも「人間関係」で揉めたりしませんでしたか?

私は、小学校の頃から、仲間に入れてもらえないとか、何か意地悪される?みたいな事で悩む事がありました。

母に言うと、「大人になっても、同じような事で悩むのよ。でも、早いうちに解決して卒業してしまうと、もうその問題は、来ても問題じゃなくなるよ」と言われたのでした。
その時は、どうやって解決したのだったか?記憶には無いのですけど。

その後、もう少し大人になってから、どうなったら、その問題を卒業できるの?と、母に聞いた事があるのです。

その時の母の答えは、「問題に感謝できるようになれば卒業だよ」という事でした。

問題に感謝。つまり、イヤだった事に感謝。

なかなか、すぐには出来ない事ではあったけれど、考えてみたら、自分の中で、もう卒業したなという問題には、感謝できてるな~という事を発見しました。


そして、確かに「当時は問題だった」事に感謝できた後には、と~ってもびっくりするような「解決」があったり、次の展開になって行ったりしているのでした。

きっと、読んでくださる皆さまにも、心あたりがあるのではないでしょうか。


問題から逃げる、という時期があっても良いとは思います。
どうしても取り組めない時もありますよね。
一旦避難するのは、大事な事でもあります。

でも、「逃げる」と追って来るのもたしか。


友人などで、何度も離婚されてる方が、何故か何度結婚しても、同じ理由で離婚されたりしていたり。
お父さんが酒乱で、だからお酒飲まない人と結婚した筈だったのに、何故か旦那さんも酒乱になっていたり。

そんな話を、子どもの頃から見聞きして、「逃げても問題がもっと大きくなるだけ」と、見知っていました。

よく人からは「離婚しようと思わなかったの?」と聞かれることがあります。(過去の顛末こちら

それが、思わなかったんですよ~。

問題をひとつずつ、卒業するしか無い・・・と知っていたから、でしょうか~。

それに旦那様の事は「自分が選んだ」ので・・・逃げるわけにはいかない、と思ったし、何より彼がツライ時に逃げるのは、違うと思ったんです。
結局、逃げない選択が、ラッキーを呼んだのではないかな?と思っています。

受け入れがたい問題でも

わたしの人生には、結構大きな問題が沢山あったのですけれど。

自分の中で、いちばん受け容れ難かったのは、「ガンになっちゃった」事だったでしょうか。

「夢なら覚めてほしい」と思いました。それも、完治できるかわからない、としょっぱなに言われてしまったので・・・。


ところが、それを「なっちゃったものはしょうがないし」と、何とか受け入れて、そして、「明日のいのちがわからないのは、ガンだろうと、元気だろうと、実は皆同じ条件だった」と気づいて、「皆、実は生かされている命だった」と思い当たったときに、と~っても気が楽になった事を覚えています。

そんな風に、「捉え方」を変えられたおかげで、いろいろと気づかせていただきました。


自分が死んでしまうかも?と思った時、初めて、夫がいてくださる事、たとえ働けない夫でも、存在してくださる事がありがたかったと気づきました。

頼れる相手は、夫しかいなかったのです。

家族にも、ただ感謝しかありませんでした。

そしたら、ラッキーにもふたつ目の、別のガンが手術直前に見つかって、同時に手術してもらう事もできて。
手術後には、いろいろあった問題が、なぜか奇跡的に見事に解決していったのでした。



そんなこんなのお陰さまで、今では「ガンになったこと」には感謝しかありません。
お陰さまで、いま病気されてる人にも「大丈夫」と本心で言えるようになりました。

経験して乗り越えた事は、本当に強いです。
肉体は、何しろ全員が致死率100%ですからね、若くても年取っても、元気でも病気でも、明日の事は、実は全員わかりません。

それでも、生かされている命なんですもの。有難いばかりです。

そして、「何故生まれて、何故生かされているのか?」という問いも。
何で読んだか、覚えていないのですが、自分の中では納得したのでした。

何故生まれたか

”神様(大自然の力)は無限で、宇宙を作ったり、火山を噴火させたりする力がある。
でも、その無限の力のままでは、お茶は淹れられない、おしぼりは作れない。それでは、無限とは言えない・・・だから、人間として三次元の世界に生まれてきた。”

っていうような文章を、何かで読んだとき、わたし、あ、大自然の無限の表現のひとりとして、神様の力の出口として、人間が必要で、全員が産まれてきたのだ、と、納得しちゃったのです。

そして、何しろ「無限」の一人だから。

全員、どんな人も、無限を表現してる一人だから、「どの人も必要」で。
一人足りないと、神様の無限が一人足りなくなっちゃう!って気づいたのです。


そう、思ったときに、たとえ学校行けなくても、会社行けなくても、仕事無くても、関係ない。「その人が存在して生きていること」が大切~!って、本気で思ったわけなんです。

それに、「宇宙服」だからね、故障してたって、ほころびていたって、本体は、実は素晴らしいのよ。


っていうのが、わたしの人生観といえるでしょうか。

おかげさまで、何があっても「ありがたい~」と「ラッキー」を探せるようになりました。
いまは途中経過ですしね、途中経過に文句いってもはじまらないし。

生まれて来たからには、ハッピーいただき済みなんですよね、ホントは。
だって、全員が神様の無限の一人なんですもの。

ともあれ、今、問題に見える出来事があったとしても。それはハッピーの前触れ~。

受け容れて、やるべき事を粛々とやってるうちに、きっと解決方法が出てきますし、乗り越えた時には、違う景色が見えてくるはず。

ひとつひとつ、卒業して、嬉しく楽しく過ごしてみましょう。
卒業できた時には、感謝に変わるはずです~。


長い文章にお付き合いいただいて、ありがとうございました。
読んでくださったご縁に、感謝です。

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