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幸せを生きている

先日、初めて「コーチング」を経験させて頂いた。

コーチは、私の話に耳を傾け、伴走者になってくれた。

「あなたは退職によって今後の経済的なことが気になっているようだけど、今、あなたが本当に大切にしたいのは、実はそこじゃなくて、何かの(誰かの)お役に立ちたい、という気持ちなのかもしれないですね」

というコメントを頂いた時、「あぁ、そうなのか・・・」と何故か納得した。

自分が本当に望んでいるものは何なのか。

「私が家族を守るんだ」という強い意志と「これが幸せなんだ」と心から信じていた日々。

このまま定年まで働き続けて、孫の面倒を見ながら、みんなで笑いあう。

そんな将来を描いていたんじゃなかったっけ?

でも、

何故かわからないけれど、

今こうして淡々と過ぎている日常もまた真実である。

「私は幸せなんです。あれもあって、これもあって、毎日が充実していて。先行きの不安なんて微塵もない」

充実して忙しい毎日を創り出すのも、淡々とした時間を過ごすのも、全て自分次第。

つまり・・・

一見「不幸」な状態に見える状況も、

かわいそうだな、と思われる状態も、

あの時ああしていればよかったんじゃないか、
という後悔も、

お金があっても、
お金がなくても、

家があっても、
家がなくても、

一人でも、
一人じゃなくても、

苦しくても、
苦しくなくても、

目的があっても、
目的がなくても、

こんなんでいいのか、と思っても、
思わなくても、

たぶんこの世で味わう全てが、人生に必要なもので、

一人ひとり異なる宿題なんだ、と。

みんな宿題の内容は違うから、正解も一人ひとり違うんだよね。

隣の人の答えをカンニングしても、そこに正解はないんだよね。

正解は自分しか知らないんだから。

しかも、これが正解だと思っていたら、ある日それは間違いだったりして。

まさか。

そんなことある?

自分で間違いを見つけて、自分でまた新たな正解を探すしかない。

そんなことある?

間違いだと気づいた時、それでもこれが正解なんだ、と言い切れることを試されていただけかもしれない。

でも自分は間違いを正解だとは言い切れなかったよ。

noteを始めた頃は、まだ知らなかった真実。

でも、心のどこかで知りたがっていた。

知ろうとしていた。

一人にひとつずつの「幸せ」という名の正解を。

新しいものを欲しがる、手に入れる。

地位や名声によって得られる対価。

何があれば満たされる?

心豊かに生きられる?

それは自分の心の拠り所をどこに置くのか?という、ただそれだけのことだったのかもしれない。

どこにいても、誰といても、何をしていても。

幸せは生まれた時から、心の中にあるもの。

形を変えながら、自分に一生寄り添ってくれるもの。

今日もありがとうございます。

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