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お金を受け取るためにお金というものを正しく認識しよう


はーい紫葉アリアです

私たちが生きていくために必要なものってなんでしょうか?
正直いっぱいありますが、その中でも”お金”というところにフォーカスして今回はお話ししていこうと思っています。




私たちが生きていくために必要なもの。
空気とか水とか食べ物とか、”動物学的に”必要なものもありますが、お金というものは”人間社会の中で生きていくために”必要なものです。


同じく地球で生活する動物たちはお金というものを必要としていません。
お金とは、人間が独自で生み出した仕組みだからです。




お金=幸せか?


私は普段、ウリアの診断結果に基づいたセッションをさせていただいています。セッションの目的は受けていただく人それぞれで、

・自分のことをもっとよく知りたい
・もっとうまく人生の舵を切っていきたい
・悩みを解決したい
・もっと自分が輝くためのヒントが欲しい
・今の自分がこのままでいいのか確認したい

などさまざまな理由があります。
しかしどんな理由であれ、「より幸せになるために自分というものを正しく認識したい」が根底にあると思います。




幸せの形というものは人それぞれ違います。
ウリアでもオーラが違うだけで「あぁこれって私にとってめちゃくちゃ幸せだ!」と思えるツボが全然違っていることがわかっています。

幸せの形は、自分がそう感じられるかどうか。
なので幸せになるためにお金は必ず必要か?というと必ずしもそうではありません。



お金はなくても幸せにはなれます。


お金の有無自体は幸せに直結していません。
そう言うと綺麗事に聞こえてしまいますね。笑


なので、
「ただし、”人間社会で生きていく”という前提が入るなら、お金があったほうが自分の望みを叶えやすいので自分の幸せにより早く近づいたり現実化するための可能性がより広がります。」
と言い直してみます。

直結はしていなけれども、自分の幸せに辿り着くためには「たくさんあった方が辿り着く方法の選択肢が増えるので辿り着きやすい」的なイメージですね。


また、ウリアのスキル的な観点から見ても、”お金”は地球生活ならではのモノなので、「お金ってどんなモノなのか、物質的な豊かさというものを体験してみたい!」と思って地球に来た人というのも一定数存在していることがわかっています。





なぜこのテーマを書こうと思ったか?


先ほど書いたように、セッションを受けてくださる方は各々内容は違えど「より自分が幸せになるため」という目的を持っていらっしゃるのですが、幸せになるために”もっとお金を手に入れたい!”という願いを持つ方がいます。(うん、私も欲しい)


その場合、お金を手に入れていただくためにどのスキルをどういった使い方をしていくのか、をセッションでお話しさせていただくのですが、その時私は必ずお金に対してどんな意識を持っているのかを知るための質問をしています。


皆さんはお金、好きですか?
またはそう聞かれた時にどう思いますか?
どう感じますか?
そしてそう聞かれた時にどのように答えますか?

「大好きです!」と答えますか?
好きだけど、一瞬迷いが生じますか?
大好きと言えなくて「そんなに」と答えてしまいますか?

一度、そう聞かれた時の自分の反応を感じてみてください。



ちなみに私は即答で「めっちゃ好きです」と答えますw


しかし、中には「お金が好き」だと言えない方がいらっしゃいます。
今の自分の金銭状況を改善したいと思っているにもかかわらず、お金を受け取ることにマイナスなイメージを持っているのです。
その方のセッションの時に、「お金に対してずれた認識を持っているな」と思ったので今回この記事を書かせていただきました。




お金って一体何者なのか


お金とはなんぞや、と考えたことはありますか?
世の中さまざまな見解はあるとは思いますが、私が採用させていただいているのは

「お金とは、愛や感謝のエネルギーを具現化したもの」

というものです。



ありがとうの気持ち。
相手に対する感謝。
相手への応援の気持ち。

それらを表現するためにお金というものは存在しています。



例としてお金そのものを贈る場面を想像してみましょう。
(基本的に「お金を包む」と表現するもの)

入学祝い、出産祝い、快気祝い、結婚祝いなどのおめでたいものから、香典やお見舞い金などのお悔やみ、励ます気持ちなど・・・さまざまなシーンがあります。

また、素晴らしいサービスに対して「心づけ」「チップ」という形で感謝の気持ちを表現することもあります。


このように、相手に何かを贈る際にあえて”お金”を贈る習慣になっているもの。その観点から見ると”愛や感謝、応援する気持ち”が含まれていることがわかります。




お金に対する歪んだ感覚


私はお金=愛だと思っているのですが、セッション中に「そういった感覚がない」という方に出会うことがあります。
また、「受け取ることが苦手」という意識を持った方にも出会うことがあります。



特にこの「野心家」のスキルを持っている人は、自分の野心をコミットしなければなりません。基本的にこのスキルが求める野心とはお金や地位、権力に対するものです。

「お金欲しい!」
「権力欲しい!」
「圧倒的地位が欲しい!」

と声に出した方が良い才能なのです。


「え、それ性格悪いやつじゃね?」と思ったそこのアナタ。
それが歪みです。



なぜか私たち日本人には「お金をたくさん持っている奴は悪いやつ」という認識が自然と刷り込まれています。


例えば時代劇のワンシーン。
暗い部屋で悪代官と庄屋が密会をしていて、こっそり小判を渡し悪巧みが成立する。そして「お主も悪よのぅ」とニンマリしている。

漫画やドラマなどでも、裏金や賄賂、袖の下…など、薄暗いシーンが出てくることがあります。そして大体、悪いことをしたら罰を受ける!みたいな結末で痛い目を見ています。

また、嫌なやつ・イヤミなやつとして描かれるキャラクターには「お金持ち」というエッセンスがよく入っていたりします。



私はこの演出は、「洗脳」の一種だと思っています。
・お金に対する後ろめたさ
・お金持ちになると嫌なやつになってしまうかも
・お金持ちってことは悪いことをして成り上がったに違いない
そういう偏見を意識的に育てているのでは?としか思えないくらい。

実際にそういう人もいるからそういった描写があるとは思いますが、「悪いイメージがあまりにも先行している」ということに私は違和感を覚えます。



特に「清貧思想」の爪痕もすごい。
これって戦時中の時の意識から根付いているのでしょうか?
それとももっと前?
歴史についてはあまり詳しくないので省略します。

このページがわかりやすいなと思ったのでリンクを貼っておきますね。


別にお金持ちだろうと清く生きることはできるはず。
貧しくなければ清くない、みたいな概念が社会にあるな〜と感じているのは私だけでしょうか??


むしろ、私の手元にたくさんのお金があればめちゃくちゃ有意義な使い方をするのに、くらいに思ってる。


だってお金で命は買えないけれど、お金で命を助けることはできる。
持っていても邪魔ではないから、私はたくさんあるに越したことはないと思います。



セッションをしていて、野心家のスキルを持っている人に
「お金大好きと言えますか?」と聞いた時に
「それ、性格悪くないですか?」と聞き返されたことがありますが

それは自分の思い込み(お金=悪いもの)によるもので、大事なのは自分自身のお金の使い方だったり周りへの振る舞い方である、と私は考えます。

親からの教育によるものも強かったりするので、一度自分が「お金に対してどういう概念を持っているのか」を考えてみると良いかもしれません。




ちゃんと受け取ることが実は相手のためである


特に友達同士などの親しい間柄でお金の話は…という人も多くて。
副業でアクセサリーを作っていて、友達だからタダで提供させられたとか
似顔絵を得意としている人が「友達だからタダで描いて」と言われたとか
SNSなどを見ているとそういったことで悩んでいる人をよく見かけます。

また、セッションやリーディングをするとき、相手が友達だとその費用を請求しにくい…というのも。



冒頭でも言ったように、お金とはエネルギーなのです。
エネルギーは川の流れのように循環しなければなりません。停滞すれば沼のようによどんでしまいます。

自分が何かを提供すれば相手も何かを提供する、こうすることでエネルギーの循環が生まれ、バランスがとれているのです。
あげっぱなし、もらいっぱなしのままだとどんどんバランスはおかしくなっていきます。
(見えないけれどあると思って想像してみてください)



とあるチャネラーさんによると”霊界は等価交換の世界”であるとのこと。(信じるか信じないかはお任せします)

なので、目に見える世界でお金という対価を払わなかった場合、魂のパラメータを削って渡したり運気を削って渡したり、目に見えない世界の何かを対価として渡すことがあるらしい。

なるほど、そうやってバランスを取るということですね。



ただしこの場合、相手との関係性によるとは思います。
普段からお世話になっている、何か別の形で(プレゼントなど)を受け取った、などやりとりがあって、「そのお礼に無料でやるね」とかならバランスはとれるかなと。

あとは親切にされた時、「自分には返さなくて良いからいつか同じことを後輩など別の誰かにしてあげてほしい」というパターンでも良いらしい。


なるほど、そういうバランスの取り方もありなのね。
単なるキャッチボールだけではなく、流れを自分のところで止めないということが大事ということかな。



つまり、「タダで何かをやってあげる」「お金を受け取らない」ことが本当に相手のためなのか?ということです。
相手のことを思うなら、きちんと等価交換を成立させた方が良いのではないでしょうか。(少なくとも私はそう思う)
それが愛というものなのでは?とも思います。

(もしや「タダより高いものはない」という慣用句はそういった背景も含んでいるのでは?)



そんな考え方をしてみたら、お金が「愛や感謝のエネルギーを具現化したもの」であるという考え方はわりとしっくりくるのではないでしょうか。



この考え方はあくまでも私の考え方ですので、これとはまた違った見解や考え方を持っていても大丈夫です。

もちろん受け取れない気持ちや、お金持ちってやなやつみたいな感覚を持つことも非常にわかります。(私も過去そうだったからです)
でも、愛と感謝のエネルギーを循環させることをいう概念を採用したらなんだかそのモヤモヤは解消されました。


正しく認識しよう、というタイトルで書きましたが私の考えが正しいのでそれにならいましょう!という意味では決してなく、

”自分から出てきた考えなのか”
”周りや社会の概念に影響された考え方なのか”
今の自分の考えが自分にとって正しいかどうか?
という意味として書かせてもらってます。

自分にとってお金ってどんな存在なのか?振り返ってみるきっかけになればと思います。




自分取説ウリアの診断がまだの方はぜひ試してみてください。



また、セッションを希望される方はこちらから。


読んでいただきありがとうございました!

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