コンプレックスについての個人的見解。

劣等感は程度の差こそあれ、割とみんなが持っているものなのではないだろうか。

どんなところにコンプレックスがあるのかは色々ある。容姿、性格、成績、環境。完璧なスペックの持ち主なんているわけがないのだから当たり前である。

みんな無いものねだりである。自分が持っているものの大きさやありがたさに気付いてないだけで、決して卑下したり自己評価を下げる必要は一切ない。

それでも、なぜコンプレックスを抱えてしまうのか。







知り合いに東大コンプレックスがいる。

もう出会ってから1年が経つが、相当キテる人である。

自分が卒業した大学のネームバリューだけじゃ満足できず、いったんは就職したものの退職し、東大を第一志望に見据え受験勉強を開始。

しかしそうそう簡単に合格するはずもなく数年が経ち、気づけば三十路手前。


現在では受験勉強をやめ就職活動に勤しんでいるらしいのだが、それでも心の中ではどうも消化不全らしくしばしばTwitterに「東大に行きたかった」とこぼしている。

挙句の果てには東大生を煽るネタツイートに空気を読まずにマジレスする始末。私たちから見れば重症患者であるわけだが、本人はいたって真面目である。


彼の根底には何があるのだろうか。


彼の原動力は「優越感」なのだろう。

日本一の大学に入ること。

それこそが目指していたものなのであって、学習意欲云々ではなかった、と先日彼がぼやいていた。



優越感というのは確かに悪い気はしない。

しかしその優越感には劣等感が必ずまとわりつく。紙一重だから。


誰かに対して優越感を持つのであれば必然的に別の誰かに対して劣等感を抱えることにつながってしまう。

階級とか、序列って、そういうことなのではないだろうか。



コンプレックスを持ちたくないのであれば、「他人と自分を比較しないこと」。そもそも土台も環境も違う人を同じはかりでは比べられない。

「他人に優越感を抱かないこと」。あなたが見下しているその人はあなたよりすごい力を秘めているかもしれない。知らないだけ、見て見ぬふりをしているだけ。

「自分に自信をもつこと」。自己評価が低くても誰も得しない。



他人から見た自分と、自分で知覚している自分は一致しなくて当たり前。だからこそ社会は成立しているし自我に深みが出てくる。

そういうものなんじゃないかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?