雑記:建築コンペに思うこと

建築コンペで、きな臭い案件が続いているようです。

赤松さんのTwitterでのつぶやきに引用されている文書を読みましたが、市側が審査員に断りなく3社中の2社を失格としてしまったようです。しかも、設計コンペではなくデザインビルド(デザインビルドに関しては上記の赤松さんのPDFに詳説されています)のコンペです。JVの受注金額は相当な額であったことでしょう。
 私も現職が受注産業で、公共民間に関係なくコンペ・プロポそして入札に参加していることもあり、多少ですが事情にも理解がある上でお話しすると、明らかに「出来レース」な案件があることは承知しています。しかし、それは談合等のクロな行為によるものではなく、先行して営業をかけていたことによるアドバンテージであったり、または指名コンペであれば、ある程度実施側に目論みがあるのではないか、と参加者側も考えることはあります。
 そういった意味では、上記の件で選出された某事務所は非常に営業力が高いということを聞いたことがあります。もしかすると、自治体側に何らかの働きかけがあったのかもしれませんね(もちろんただの憶測です)。
 しかし、当たり前の話ですが市民にはそんな事情は関係ありません。こんなこと言ってはダメかもしれませんが、出来レースだったしても当事者は裏側を悟らせないように上手く立ち回るべきですし、出来ないならば検討のプロセスを詳らかにすべきです。


 もう一件、新福岡県立美術館のコンペでも、不透明な審査プロセスに参加者から不満が出ているようです。審査員側からのコメントが無い以上、憶測で語ることはできませんが、SUEPの末光さんがこちらもTwitterで話されていたように、コンペに参加するためにかかる費用は当然参加事業者の持ち出しですし、落選すればそれきりです。
 常々感じていることなのですが、コンペ・プロポにかかる労力に設計者の対価は見合っているのでしょうか。晴れて選定されたとしても、特に公共案件では設計料は大した金額にならないはずです。ましてこのような不透明なプロセスで行われてしまっては、ただ設計者を疲弊させるだけでは無いでしょうか。極端なことを言えば、参加者に参加料を支払うのであれば、ある程度恣意的に選定を行っても納得できるとも思います。


こう言った疑わしいコンペ案件は定期的に話題となりますが、コンペ・プロポの制度は従来までの特命制度から、選定の透明性確保や業者からの提案による質の向上、また行政と特定の業者との関係性が必要以上に深くならないために行われているはずです。果たしてこのように形だけで行われているコンペに意味はあるのでしょうか。また、このようなプロセスで本当に良い建築が生み出されるのでしょうか。疑問ばかりです。

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