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しあわせ

あられです。
こんばんは。春の兆しが訪れながらもまだ雪が残る札幌にいます。

なぜ札幌にいるかと申しますと、持病の治療のために来ています。今日で術後5日目。ほとんど手術のダメージからは回復してきました。でもそれにしても若い頃は術後1日で遊び回っていたのに、体力も、病気も悪くなったのかなと思ったり思わなかったり。でもデータ上はかなり良い傾向ではあります。

今回は幸せについてのテーマです。

幸せに生きる
とはなんだろうか。
何をもって「幸せ」とするのだろうか。

今私は病院に居る。
9時半には電気が消されて、本すら読めない。

でも、同室のおばあちゃんはとっても優しくて可愛らしい人でいつもお菓子をくれる。

当たり部屋だ。

私はこれだけで結構幸せと思える。
誰も挨拶を交わさない大部屋なんていくらでもある。
カーテンを締め切って、みんな音を立てないように過ごしている。

息が詰まる。

そんな部屋よりちょっとおしゃべりなおばあちゃんと2人でおばあちゃんはカーテンほぼ全開で私も全部閉めることなく、丁度いい距離感で過ごせている。

だから病院生活でもここは幸せと思える。

病棟看護師について。
これはなかなか難しいが、6歳の頃から入院している病棟で21歳になっても、ちゃん呼びをしてくれるずっと見てくれてる看護師さんが何人もいる。

それは私にとって幸せだ。

でもこの幸せは私だけのものなんだと思う。


きっと多くの人は入院したというだけで(と言ったら失礼だが) 悲観にくれるのかもしれない。
早く帰りたい。
こんなところに長く居れるもんか!
と思う人も多いだろう。

その人たちが私の感じている幸せを共感するのは難しいと思う。


病気でよかったとは思わない。
病気なんてない方がいい。
痛みを感じることもなかっただろうし、歩けていただろう。

数十回に及ぶ手術も、熱を出して入院することもなかっただろう。

でも、もう仕方ないんだ。
病気を持って生まれてきたのは私だ。
胎内で体を作る上での少しのミスがあっただけだ。
おっちょこちょいな私なんだもん。

そう思ってある程度区切りをつけていかないと私はきっと病気に縛られて生きていくことになってしまうだろう。
進路選択や大学生活では、高校までの生活以上に病気に支配されている気がしてしまう。
自分のやりたいこと、学びたいことよりも病気のある身体のことを優先に考えなくてはいけない。
周りはそうしろとばかりに言ってくる。

何度も反発したが、結局、身体が十分整っていなければ、勉強も何も出来ないのが現実だ。

私の人生をトータルで見て、幸せかどうかは分からない。
やりたいことをやって、青春を十分に謳歌できている人を見るとなぜ私は出来ないんだ。と思ってしまうことも多々ある。

でも、病院を通じて知り合った仲間は大事な仲間だ。
病気の話を毎回するわけではない。学校でね、家でね、というフツーの大学生の会話だ。でも、病気の話もする。ここが最近腫れてきて気になってるんだ。ここが痛くてさ。なんでかなぁ🤔
なかなか病気のない友達には話しずらい、というか話しても反応しずらい内容だと思う。
でも、そこまで自分をさらけ出せる親友がいるのも私にとって幸せのひとつだ。

結局、全部幸せに生きることなんて無理だろうなと私は思う。
辛くて、生きるのがしんどくなってしまうほど沈んでしまう日もある。

だけど、日々の中で、病院生活の中で、なかなか上手くいかない学校生活の中で、家族の中で、
小さな幸せを感じていければ、感じることが出来れば、幸せをキャッチすることが出来れば、全部が不幸になることはないんじゃないかな〜とも思う。

でもそれがしんどい時もあるから、なんとも言えないけどね。
生きるので精一杯な時は幸せなんて探さなくていい。ただ生きることだけしていたらいいと思う。

以上。私の幸せの話でした。

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