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いつか平気になるための記録|日記本「ホールケーキを切り分けて」「それからはここから」販…

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いつか平気になるための記録|日記本「ホールケーキを切り分けて」「それからはここから」販売中 ▷ https://aramashi412.booth.pm|ブログやポートフォリオ、他SNSのリンク集 ▷ http://lit.link/aramashi

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星野源「うちで踊ろう(大晦日)」に寄せて。音楽で世界は変えられない、けれど

星野源が好きご多分にもれず星野源が好き。彼の歌や言葉やパフォーマンスを見聞きするたび、星野源はやっぱりずるい、自分も早く星野源になりたい、と思う。そんな人も少なくないんじゃないだろうか。私はそのひとりだ。 彼の楽曲はストリーミング配信に対応しているし、彼の文章は主たるエッセイ本として既に4冊出版されていて、うち3冊は文庫化までされている。とっつきやすいそれらに触れるだけでも、彼の人となりはよくわかる。そこまで手を伸ばさなくても、公式SNS や様々なインタビュー記事、各種媒体

    • 【お知らせ】日記本の再販とイベント参加

      在庫切れしていた日記本の再販を開始しました。再販にあたって表記を一部変更し、前書きを足しています。お求めの方はboothからご注文ください。 また、2023/11/11(土)の文学フリマ東京37に出店します。加えて、2023/12/10(日)の第4回 日記祭に委託販売で参加します。 新刊も鋭意制作中ですので、よければお越しください。

      • どうせ死ぬのにどうして働くのか

        どうせ死ぬのにどうして働くのかわからないです。震えた声がイヤホンを伝って耳に届く。話しにくかったらカメラ切ってもいいよ。そう言うと、目を潤ませた彼女はこくんと頭を下げ、暗転した画面にはアイコンだけがぼうと浮かんだ。ぽつぽつとこぼされる告白めいた言葉を受け取りながら、見えない姿にかつての自分をつい重ねた。 * 人と人とは真にわかりあえないし、世界はあまりに絶望に満ちている。他者を信じ求め愛するほど、幸福を願うその相手にこそ自分がもたらす罪の側面に目が向いて、私などいない方が

        • 二十九、三十

           来月で30歳になる。節目を前にして働き方や生き方に悩むことが増えている。そんな最近の記録を残す。 友人Yと社会の話  仕事はもういいかなと思って。辞めちゃったんだよね。大丈夫なのかな。30にもなるのに。  知人の制作ユニットが開くオープンスタジオに足を運んだ。印刷団地の一角にある廃工場には、木が材料になるまでの工程とそこに横たわる問題についての、取材や実験を通して得た気づきがまとめられている。  社会的な事柄こそ誰もに身近な物事だから、特別な話としてではなく雑談のひと

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          7本

        記事

          このまぶしい世界で

           あなたの瞳に映る世界は、きっと他人のそれよりまぶしい。 *  そう言われたことを時折思い出す。ロマンチックな響きを含んでいるが実際のところは眼球それ自体を指しての会話だった。黒目が薄いほど視界は明るいのだという話をして、じゃあ、と返された次第。  真偽のほどはさておき、仮にそうであれば何かと説明がつくことも多く、また表現の心地よさも相まって、大事にしている言葉のひとつが冒頭の一文だ。目を細めるのも惜しいほど、世界がきらめいてたまらない瞬間が、たしかにこの世にはある。

          このまぶしい世界で

          【おしらせ】個展をやります

          こんにちは。あらましです。このたび、個展を開くこととなりました。 写真と言葉の展示に加え、昨年末に出した冊子の販売もおこないます。ゆったりとしたカフェギャラリーですので、どうぞお気軽にお越しください。レモネードとバナナブレッドで、のんびりするのがおすすめです。 あらまし 個展「いつか平気になる」 日程:2022.10.4(火)-9(日)10:00-18:00 場所:River Coffee & Gallery 東京都文京区西片2-21-6 紅谷ビル1F 南北線『東大前駅

          【おしらせ】個展をやります

          【おしらせ】本を出しました

          大学3年の冬から社会人6年目の秋までに書いた文章をまとめました。日記・エッセイの他に短歌・写真も少しだけ含まれます。 大幅に加筆・修正を施しているので、ブログやSNSでご覧になった方も楽しめるかと思います。就活、仕事、創作、人間関係のいずれかに悩んだことがある人に、ぜひ手に取っていただきたいです。 ホールケーキを切り分けて https://aramashi412.booth.pm/items/3516077

          【おしらせ】本を出しました

          まぜこぜの「そんなもん」な自分を書くこと

          ここしばらくでたくさんの人と知り合うようになった。関わりたいです、と手を挙げたら、ぜひ、と引き込んでもらえた。まさにあれよあれよという感じ。 会ってみたい。話してみたい。なかよくなりたい。もっと知りたい。そう密かに思っていた人たちと距離が縮まっていること、数ヶ月前の自分に言ってもきっと信じられないだろう。うれしい誤算だ。思いのほか展開が早くって。 ただ、もどかしさも覚えている。なんせ話したい人が多すぎる。知りたい相手が多すぎる。それなのにこんなご時勢だ。顔を突き合わせて長

          まぜこぜの「そんなもん」な自分を書くこと

          何度だって運命に出会いたい

          洋服選びがたいへんで楽しい、という話をする。 手持ちの洋服ぜんぶ一軍にしたいお気に入りの服を身に纏うと、その日一日、がんばってやろうじゃない、と気合いが入る。こんなに素敵な格好をしているならなんだってできる、と自信も湧いてくる。だから手持ちのすべてを一軍にすることを目下の目標としていて、着々とその道を進んでいる。 しかしふと気がつくと、これは少し違うな、今日の気分じゃないや、といつも選択肢から外れるものが生まれてくる。好み自体がちょっとずつ変わってきているのだ。おやおや、

          何度だって運命に出会いたい

          感覚を溶かす

          イヤホンを外して出歩くことが増えた。部屋でかけるスピーカーの音量も小さめで、むしろ窓を開けて風の音をBGMにすることも多くなった。向かいの大通りを走る車の存在が、ぶうん、と遠く聞こえるエンジン音からうかがえる。 ぱらぱらざわざわと物音がしつつも全体としては静かな空間。そんな場所に身を置いていると、自然と呼吸が楽になる。穏やかな雑踏の中に混ざり込めている感覚にほっとする。私は私としてたしかに存在しつつも、そんな存在に気を留めることなく様々な出来事が淡々と生まれては消え、起きて

          感覚を溶かす

          心中するかに見える晴天(短歌)

          手を繋ぎ歩く2人が皆今から、心中するかに見える晴天 好きだとか愛してるだとか聞くたびに、世界の彩度が落ちていく 飲み込んだ言葉を吐くため酒を飲む。こんな大人になる気はなかった

          心中するかに見える晴天(短歌)

          憧れは春一番

          好きな人がいた。文章を書く人だった。
 日記とも詩ともとれる、結論や主張が明確にあるわけではない散文は、しかしつむじ風のように私の胸をかき乱した。会ったこともなく、本名も素性も知らない彼女の言葉に、ひと目で引き込まれた。SNSの更新通知を目にすることが、毎日の楽しみになった。
 彼女の言葉から何かを得たかというと、それは気づきでも学びでも知見でも知識でもない。意味でも心得でも希望でも納得でもない。ただ、脳がしびれて心が震えて舌がもつれるような、そんな衝撃だった。誰にも、何

          憧れは春一番

          東京はつめたくてやさしい

          東京は好きだ。誰も自分のことなんか見ていない感じが心地よくて。 就職を機に上京した。地元に戻りたい、という欲はほとんどない。 地方都市とはいえ人の賑わう中心街は一箇所に集中しており、買い物や遊び、飲みのためには大抵の人がこぞってそこに集まる。だから容易く知り合いに会ってしまえる。会いたいかどうかに関わらず。 実際、数年前に帰省したとき中学時代の同級生にばったり出くわして、なんとも言えない空気になった。あっちがどう思ったかは知らないが、少なくともこちらはいい気持ちにならな

          東京はつめたくてやさしい

          所詮かけがえのあるもの

          いなくなりたくなることがある。ふっと突然。それこそ煙のように。 希死念慮、いわゆる自殺願望とは少し異なる。この世とおさらばしたいわけではなく、ただ自分の存在価値を喪失でもって確かめたい。そんな衝動に駆られる瞬間があって、ぽかりと白い息を吐く。 あなたがいなくても生きていけるナンバーワンよりオンリーワン。誰もがかけがえのない存在。そういった教えをまるきり嘘だとは思わない。だけどどこかで信じきれずにいる。 人はひとりでは生きていけない、のだろう。一方で、特定の誰かがいなけれ

          所詮かけがえのあるもの

          祖母の四十九日を迎えて。あるいは生と死の曖昧さについて

          祖母が亡くなった。四十九日も終わった。 彼女が帰らぬ人となったことが、日に日に自分の中で明確になってきている。 それと同時に、自分もいずれそうなるのだという、生きることの曖昧さを、以前より感じるようになった。 * 祖母の容体が急に悪くなった。いつどうなるかもわからない。そう家族から聞いて数日ののち、私は山と海に近い病院の入り口に立っていた。 新幹線とローカル線を乗り継いで数時間。会わないで後悔することだけは、したくなかった。 小さく弱々しい、しわとあざだらけの姿で

          祖母の四十九日を迎えて。あるいは生と死の曖昧さについて

          何者にもなれなくても

          雪が降っている。ここは駅前のカフェ。十字路の角に建つチェーン店のソファに座りながら、坂口恭平の本を読んでいる。 牛乳瓶が見えるカフェガラス張りの壁から見える外に、まばらに人が歩いているのが見える。誰も彼もがマスクをし、肩を強張らせながらそそくさと足を動かしている。 寒い。朝方ラジオをつけたら、大寒波だとニュースキャスターが原稿を読み上げていた。ヒートテックにタートルネックを着込み、膝にはさっきまで首に巻いていたストールをかけて、それでも足先が冷える。マグカップに口をつける

          何者にもなれなくても