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甘くないたい焼き

先日、30年ぶりにたい焼きを食べました。人形町で飲んだ帰り、たい焼き屋に偶然通りかかり、パートナーが「半分こしよう」と言って並んだのです。熱々の鯛焼きを手にした瞬間、小学生の頃に食べた甘くないたい焼きの記憶がよみがえりました。そのたい焼きはボソボソとした皮に、ほんの少ししか餡子が入っていないものでした。

小学生当時、母は身体の不自由な祖母のリハビリに週に二回付き添っていました。その日は、学校が終わった後で祖母の家に行き、母を待っていたのです。祖母の家ではおやつの時間が設けられていましたが、人見知りな私にとっては、それがむしろ苦痛でした。祖母は身体が不自由で言葉も話せなかったので、世話は母の兄のお嫁さんがしてくれていました。

祖母は言葉で愛情を表すことはできませんでしたが、その静かな存在が私にとって大きな支えでした。今思えば、小学生の頃に食べたたい焼きの味よりも、家族の愛と温かさが真に大切な「味」だったのかもしれません。

大人になってからも、何故かたい焼きに手を出さなかったのです。振り返れば、小学生だった頃から30年以上、たい焼きを食べていませんでした。

しかし、先日、友人と人形町で飲んだ後に食べたたい焼きはとても甘くて美味しかった。そのとき気付いたのは、美味しさは時と場所によって変わるけれど、家族の愛と感謝は永遠の味だということでした。

帰りの電車で涙があふれました。亡くなった祖母を何となく思い出していたのかもしれません。大人になった今、体が不自由ながらも私とコミュニケーションをとりたかった祖母の気持ちがよく理解できます。電車を降りて、ホームの隅でこっそりと泣きました。落ち着いた後、スマホにこの文章を打ち込んでいます。

人生で出会う美味しいものも多いですが、その背後にある愛や思い出が、最も大切な「美味しさ」であることを、このたい焼きが教えてくれました。時が流れても、一番の味は愛と絆です。そして、美味しいものは過去の記憶を呼び起こしてくれる力があります。

半分分けてあげたいと思う相手がパートナーだとしたら、あの小学生の時の気まずいおやつ時間はきっと、ひとりでおやつを食べていたからなんでしょうね。あのとき半分残して祖母にあげていたら、半分残して母と食べていたら。

今、私はあの甘くないたい焼きが食べたくなっています。
一口かじってもあんこのところまで届かない、あの甘くないたい焼きを、今のパートナに「半分こしよう」って言いたい。

#私のパートナー

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