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世界を変える言葉

「トシちゃん、よく来てくれたねえ。ありがとう」

 毎年おばあちゃんの家に遊びに行くと、おばあちゃんはいつもこう言ってぼくを迎えてくれた。それだけでなく、ぼくがおばあちゃんと一緒に何かをするたびにおばあちゃんは「ありがとう」と口にする。それを聞いたお父さんとお母さんが、おばあちゃんから見えないところで眉をひそめているのをぼくは知っていた。

 小さい頃はその「ありがとう」はおばあちゃんのただの口癖だと思っていたけど、少し大きくなった頃、それはただの口癖だけでなく、何らかの意味のある言葉なのではないかと思うようになってきた。

 そして、ぼくがそう感じるようになってきた辺りから、お父さんとお母さんは、ぼくをおばあちゃんの家に連れて行くことをやめた。


 高校を卒業した年の春休み、ぼくはおばあちゃんの家に遊びに行くことにした。何年振りだろう。お父さんやお母さんに言うと何となく空気が悪くなるような気がしたので、黙ってひとり。ごく普通の平日にふらりと行くことに。
 おばあちゃんの家までは電車を乗り継いで2時間くらい。夜には帰ってくるつもりなので、ただ「行ってきます」とだけ言ってぼくは家を出た。

 電車の中はいつも通り、不機嫌そうな顔をした大人とイライラした空気を隠そうともしない若者と呼ばれる年代の人達、それに教師や大人たちがどれだけ愚かで物事の本質がわかっていないかなどと口々に吐き出す学生たちで溢れかえっている。
 ぼくもヘッドフォンを装着すると、目的地に到着するまで周りの人間と同調しながら不機嫌そうな態度で窓の外を眺めていた。


「おばあちゃん、遊びに来たよ」
 そう玄関で声をかけると、奥の部屋からパタパタと急いでこちらに向かってくる足音が聞こえる。

「あらあらトシちゃん!大きくなって!!よく来てくれたねぇ。ありがとう」
 ぼくの記憶の中にあるおばあちゃんと同じことを言うおばあちゃんを見て、なんだかわからないけど胸の奥がさわっとしたような感じがした。
「急にどうしたの?さ、上がって!お茶入れるから。ね」

 おばあちゃんに促されるまま、ぼくはおばあちゃんちに上がると居間のソファーに腰掛ける。きょろきょろと周りを見回すと、ぼくの知っているおばあちゃんの家と全く同じで、なんだかよくわからないけど不思議な感じがした。

「それにしても、急にどうしたの?お父さんもお母さんも元気?トシちゃんが遊びに来るのはもう何年ぶりかしらねぇ。おばあちゃん嬉しいわ。ホントにありがとね」
 お茶を乗せたお盆を手に持ったおばあちゃんが、そう言いながら居間に入ってきた。

「いや、何となくね。春から大学生になるっていう報告もしたいと思ったし」
 ぼくはテーブルに置かれたお茶に手を伸ばすと、一口すすった。そんなぼくの顔をまじまじと見ながら、おばあちゃんはニコニコとしている。どうしておばあちゃんはいつもこんなにニコニコしているのだろう。お父さんもお母さんも家の中ではたまに笑うことはあるけど、こんなにニコニコとずっと笑っていることは無い。

「ねえ、おばあちゃん?」
「なぁに?」
「ずっと気になってたんだけど『ありがとう』っておばあちゃんの口癖?」
 一瞬びっくりしたような顔をしたあと、おばあちゃんは少し困ったような笑顔を顔に浮かべてお茶の入った湯飲みを口に運ぶ。

「そうねぇ、口癖 といえば口癖かもしれないねえ」
 そう言った後、遠くを見るような目をしながら言葉を続ける。

「トシちゃんが産まれるずっと前までは『ありがとう』って言うのは当たり前の言葉だったのよね。プレゼントをもらったら『ありがとう』。困った時に手を貸して貰ったら『ありがとう』。そんなふうに、誰かに何かをしてもらった時に使う『感謝の言葉』って言ってもトシちゃんにはピンとこないかしら?」

 おばあちゃんの言葉を頭の中で繰り返してみるけど、おばあちゃんの言うようにピンとは来ない。

「そうよねえ。トシちゃんが産まれる前にはもう今みたいな世の中だったもんねえ」
 寂しそうな顔をしながら、今度はおばあちゃんは困ったような笑顔をぼくに向けた。


 おばあちゃんの話によると、ほんのちょっと昔は「お互い様」という考え方が一般的だったみたいで、それどころか「譲り合い」なんていう今では考えられないような言葉が世の中にはあったらしい。

 不機嫌が利益をもたらす今の社会では、大きな声でクレームを言ったもん勝ち、気分が悪いと大声で言ったもん勝ち。現実社会でもネットワークの世界でも、少しでも自分の気に障るような言葉を見つけたら全体の文脈なんてお構いなしに「傷つきました!」だの「人でなし!」だの声高々に叫ぶのが当たり前の時代。

 不機嫌な空気を醸し出していれば、絡まれることも面倒ごとに巻き込まれることもないし、先に不機嫌になった方がその場を制したように思われる。不機嫌が支配する世界。それが今の時代。


 でも、ぼくも含め、そんな時代に嫌気がさしてウンザリしている人も多いはず。ウンザリしているからこそ、イライラするし、言われっぱなしだと負けた気になるので言い返す。そして終わらない連鎖の中で不満だけが大きく成長し続ける。

 おばあちゃんの昔の話を聞いて、うらやましいな。とぼくは思った。

 イライラしているよりも、ニコニコしている方が気持ちよく生活できるに違いない。不満を口にするより、感謝の言葉を口に出来た方がいいに決まってる。
 
 今まで教えてもらったことも考えたことも無かったこともない気持ちがむくむくとぼくの中で大きくなってきた。

 外が夕焼け色に染まり、ぼくは家に帰らなくてはいけない時間になってしまった。
「おばあちゃん、また来るね」
 玄関を出て振り返り、そう声をかけるとおばあちゃんはいつも通り
「来てくれてありがとうね。気を付けて帰るんだよ」
 と手を振りながら、にっこり笑ってそう言った。

 おばあちゃんの話の中にあったように、みんながそれぞれ感謝の気持ちをもっと伝え合うようになれば、世の中はもっといい方向に進むに違いない。


 そう思ったぼくは「ありがとう」を広めるために様々な活動を始めることにした。

 SNSを通じて「ありがとう」にまつわるさまざまな体験談を発信し、どれだけ素晴らしいものであるかを広めるだけでなく、「ありがとうの会」という団体を設立し、ありがとうにまつわる資格の発行も始めた。自己啓発セミナーにも盛り込んだし、情報教材にも入れ込んだ。
 社会に出る前に身に着ける方が身体に定着することもわかっているので、もちろん幼児教育にも力を入れた。


 その活動が実を結び、5年も経つ頃には街には「ありがとう」の声がどこにいても耳に入るようになった。

「今、私、あなたにこれしてあげたよね?ありがとうは?!」
「ありがとうって言わないなんて信じられない!どういう教育を受けてきたのかしら?!」


 感謝の言葉が溢れれば、あたたかい世界に変わるはずだったのに。


 どうしてぼくが想像していたような優しい世界にはならなかったのだろう。


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