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「理解する」とは?理解までのプロセスと4つの原因

おはこんばんちは。
あらいぐまたくまです。

本日は、
「理解する」について。

理解とは何か。

あらいぐまは、
他人に脳内OSについて話をしたり、
マーケティングを伝えたりしていますが、
人によって理解に差があることを
日々感じています。

その中で、
そもそも「理解できた」となる
タイミングがいつなのか?と、
疑問に思っている中で、
山本さんの記事を拝見しました。

両方とも素晴らしくわかりやすい。笑

ここにも記載されている、
DIKWピラミッドや
アリストテレスの4つ原因のについて触れながら、
「理解」の解像度を上げたいと思います。


「理解」までのプロセスと
各フェーズの意味について

理解するまでには、
様々なプロセスを辿ることになると
後述するピラミッドを見ると解釈できます。
そのプロセスには、

データ→情報→知識→理解→知恵
という5つのプロセスをたどっています。

それぞれの意味については、
わかっているようでわかっていない。
あらいぐま自身もそうでした。

このそれぞれの意味を知ることで、

それこそ、
理解について理解が深められる?
のではと思います。

DIKWピラミッドについて

データ

データは「離散的で、客観的な事実または観察であり、構造化も解析もされておらず、文脈と解釈の欠如により意味も価値もない」ものとしています。研究者の間では、データは「意味を成さない」情報というのが共通認識になっています。

例えば、健康診断で測定される身長や体重は、高さや重さを表しているものの、誰の値なのかが分からなければ、単なる数値にすぎません。この場合、身長や体重は、測定された単なる事実を表すデータにすぎないということになります。

山本さんの記事より引用

データと情報を一緒に解釈してしまいがちです。
データとは意味はなく、
ただ数字としての表記に過ぎませんね。

情報

情報は「5W1Hの質問に答えられ」、「描写を含み」、「意味を成す」ものと、AckoffやRowleyは説明しています。この他にも、「有用である」(Bellinger,2004)や「意思決定と行動に使える」(Liew, 2007)という説明もあります。古典的には、「意味や目的で方向づけられたデータ」(Wallance,2007)という定義もあります。いずれにしろ、何かしらの「意味を成している」データの集まりと考えることができるでしょう。

前述の健康診断の例で言えば、「鈴木くんは、身長が160cmで、体重が65kgである」と言われると、文脈が存在し、鈴木くんの体型を描写しているため、情報と考えて良いと思います。

山本さんの記事より引用

データと情報の違いは、意味の有無ですね。
数字の成す意味が加わるとそれは情報に変わります。

知識

一方、知識は、主観が入るため、一般的にはとらえどころのない概念と考えられ、大きくは3つに分類できます。

1つ目は、体系化・構造化された情報で、複数の情報と文脈や経験や価値観を関連付け・合成などで処理された知見です。

2つ目は、実践経験や学習によって得られたノウハウや、応用できる形になった手続きです。

3つ目は、個人が正しいと感じる信念構造で、価値観や哲学を伴って内面化された情報です。例えば「人間は考える葦である」というように命題として表現されることがあります。

例えば、「鈴木くんの体重65kgは、身長が160cmの人の平均体重58kgより重たい」という記述は、身長に対する平均体重という形で構造化されており、さらに平均体重と比較することで平均より重いか軽いかを判断するという手続きが行われているため、これは知識と考えることができます。

山本さんの記事より引用

データ=数字
情報=数字の意味
知識=情報の集合体と主観による解釈

情報が知識に変わる時とは、
情報のつながり×主観 といえそう。

コンサルタントとして仕事を始めた頃、
よく事実は何か?を問われました。

知識とは自身の主観も入ってしまい、
「それはお前の解釈だ」と言われましたね。

客観視の姿勢が大切な
コンサルやマーケの人は、
知識の前の情報を扱うスキルが必要です。

理解

知識を分析思考によって複数の情報に分解され、how-toの形で教育で伝えられるものとし、理解を統合思考によって複数の知識が論理づけられ、whyに対して解説できるものとしています。これは、他の知識の定義における客観性と主観性を分離し、手続き部分を知識とし、主観的な解釈の部分を理解として分けたと見ることができます。ここでは、Ackoffに従って、知識と理解を分離し、知識を体系化・構造化・手続き化を通して、人に教えることができるようになったもの、理解を知識を論理で結びつけ、人に論じることができるようになったものとします。

身長体重の例で言うと、「鈴木くんの体重65kgは、身長が160cmの人の平均体重58kgより重たく、BMI=25.4で生活習慣病リスクが高まるBMI=25より高いため、肥満である」は、身長体重の知識と生活習慣病の知識を結びつけ、論理立てているので、Acknoffの言う理解になります。

山本さんの記事より引用

一言でいうなら「論じられる」こと。
つまり、その因果や構造を自分なりに解釈し、
なぜそうなるのか?に回答できることですね。

知恵

知恵は、理解を評価したもの(Ackoff,1989)や、行動の理由となるもの(Zeleny,2005)、あるいは善悪・正誤・倫理などの判断を伴うものなどと定義されています。これらを合わせると、正しさを評価・判断し、行動に移せる直前の知見と考えることができます。

身長体重の例では、「鈴木くんの体重65kgは、身長が160cmの人の平均体重58kgより重たく、BMI=25.4で生活習慣病リスクが高まるBMI=25より高く肥満であり、将来の疾病予防のためにダイエットしなければならない」は、前提として肥満=悪という信念による評価がなされており、ダイエットしなければならないと判断が伴っているため、知恵と考えることができます。

山本さんの記事より引用

自分の価値観や解釈を、知識に反映させて、
意思決定できる、もしくはテーマに対して、
意思決定できることを言うみたいですね。

自分特有の知恵を絞り出す際に、
その人の価値観や、解釈の仕方が味としてでるので、
ここに脳内OSや自分のバックグラウンドが活用できそう。


とまぁ、みてみると面白いですよね。
理解とはつまり論じることができるといえそう。

理解したととは何か?

上記では、理解とは論じることができると、
結論がだせますが、どうしたら理解したと言えるか?
につては不明確です。

ここで山本さんは、
理解した のロジック、つまり因果に着目して、
理解した を定義つけしたアリストテレスさんから
引用していました。以下に記載します。

理解したをアリストテレスが解く

アリストテレスは、理解した の定義を、
原因はこれだ!と認識していること と言ってます。

さらに、その原因は4種類に分かれると。

・4つとも原因を認識している
・4つのうち1つの原因を認識している

上記の時、人は「理解した」と言えると。

事実の認識と構造(事実と原因)の認識は、
全く別物ですね。

以下、
理解よりさらに上位概念である、
知恵についてもアリストテレスは論じてます。
引用しておきます。

知恵があると認識する分類

(1)可能な限り全ての物事を認識している
(2)人間には容易に知れないような物事を知る能力がある
(3)いっそう多く正確である
(4)いっそうよく物事の原因を教えられる
(5)効果に関わらず、知る自体が望ましいこといっそう多く知っている
(6)王者的な学をいっそう多く知っている

山本さんの記事より引用

知恵の特徴

(1)普遍的である
(2)普遍的な物事は、感覚から最も遠く、最も困難である
(3)より少ない原理から出発している
(4)第一の諸原因を理論的に説明できる
(5)最も可認識的なもの(第一の原因)を対象とする
(6)物事が何を目的としてなされるべきかを知っている

山本さんの記事より引用

これらをみてみると、
あらいぐまの解釈は、

・全体像の理解できてる
・アカデミックである(抽象度が高い)
・多角的である
・正確である
・上位概念を認識できてる

がポイントかなと感じます。

人が理解できなくて苦しむ、
最初のフェーズは全体像がわからない
にあると思ってます。

これは自分がそうだからですね。

結局、点の情報を繋げる行為こそ、
難しいと思います。
点の情報をつなげるには、
因果関係の理解、情報の抽象化、
MECEに抜け漏れがないみたいなところ。

あらいぐまが感じてたことと
すごく似てるなと思いました。


以下は、
原因の種類について記載しておきます。

質料因

これは、アリストテレス以前の哲学者の多くが考えていた原因で、素材や構成要素のことです。アリストテレス以前の哲学者たちは、火(ヘラクレイトス等)や水(タレス)、空気(アナクシメネスなど)、土(エンペドクレス)、数(ピタゴラス一派)などを生成も消滅もしない構成要素と考え、これを原因と考えていました。

引用省略

たしかに、例えばスマートフォンをパーツに分解して、基板やバッテリーやカメラといった構成要素を見て「こういう構成部品でできているんだなぁ」と納得することは、人によってはありそうです。

山本さんの記事より引用

構成要素で分解する感じですね。
アイデア爆量産でも説明している、
視点アスロンに似ているところがあります。
分解力ともいえそうです。

始動因

質料因は静的な原因であり、素材が存在するだけでは物事になり得ないことは、アリストテレス以前の哲学者も気付いており、素材が別のものに転化する原因も必要だと考える哲学者もいたそうです。

引用省略

たしかに、例えば、カレーライスの材料(スパイス、野菜、肉、米)が存在するだけでは、カレーライスはできません。材料をカレーライスにしようとする人(始動因)が調理するという行為(作用因)も原因と考えられます。

山本さんの記事より引用

行動行為による原因ですね。
質料因は、もの自体って感じでした。
ものを動かす何かを始動因といえそう。

形相因

形相因は一番理解が難しいです。形相因は、プラトンのイデアに対応する原因ですが、イデア論は徹底的に批判し、次のように定義されています。

引用の引用①
我々の主張では、そのうちの一つ(1)は、物事の実体でありなにであるか〔本質〕である。けだし、そのものがなにのゆえにそうあるかは結局それの〔なにであるかを言い表わす〕説明方式に帰せられ、そしてそのなにのゆえにと問い求められている当のなには窮極においてはそれの原因であり原理であるからである。
出典:アリストテレス「形而上学 上 (Japanese Edition)」(第一巻第三章)

引用の引用②
・本質なるものはただそれの説明方式がそれの定義であるものにのみ存するものである。(第七巻第四章)

・〔それの説明方式がそれの定義であるのは〕その説明方式が或る第一のものを説明している場合である。(第七巻第四章)

・第一というのにも多くの意味があるしかしそれにもかかわらず、そのすべての意味で実体は第一である。(第七巻第二章)

出典:アリストテレス「形而上学 上 (Japanese Edition)」

山本さんの記事より引用

難しすぎますね。
形相因とは「本質」みたいな解釈ができますが、
一言で言うなら、「概念の構築」
みたいなところかと思いました。

概念とは頭の中にあるイメージ。
このイメージの統合がなされることを、
形相因による理解した ということっぽい。

でも、
イメージの統合にゴールはないと思います。
複雑なものほど、いっときイメージ統合、
概念統合ができても、新しい情報により、
すぐにアップデートされる経験があるからです。

マーケティングも、
下流をマーケティングと言ってる方からすると、
上流の概念を知ったときに、
新たなマーケティング概念に昇華します。

目的因

始動因が開始の原因であったのに対し、目的因は終わりの原因です。アリストテレスは、次のように説明しています。

物が存在している目的(例えば「カレーライスは食べられるためにある」等)は、改めて説明されるほどのことでもなく、当然と感じる場合が多いです。

しかし、人の行動の場合は、行動目的(すなわち動機)を説明すると納得されることが多いと思います。例えば、「毎朝ジョギングすることにした」と友人に話すと、「なぜ?」とよく聞かれますが、このとき「ダイエットのために」と目的を言うと、友人は納得してくれると思います。ただし、本当の理由は別にあり、納得されやすい原因を述べただけという可能性もあり、目的因は正しさという点では注意が必要かも知れません。

山本さんの記事より引用

記載されている事例はわかりやすいですね。笑
確かに納得してしまいます。

これから見て思ったのは、
これも、どこまで構造を知りたいとおもうか?
の記載はないので、いまいち不十分と感じる人も多いはずです。

例えば、
ジョギングする→ダイエットのため
で納得する人もいるが、

あまりに細すぎる人がダイエットしたりする場合も
ある通り、その際には、
「なんでダイエットするん!笑」みたいなことが、
会話では起こりえます。その場合は納得してないことになるし。

言ってることはわかるけど、
原因かと言われるとわかりませんね。笑

4つの原因から感じること

理解した のパターンは4つあると言う意味では、
確かになるほどなと納得しました。

しかし、そこには粒度や具体と抽象という中で、
どの程度で納得するかはわからないとも感じます。

しかし、
とにかく具体に進むと、理解したにたどりつけそう。

という意味で、
自分の既知情報に新しい情報が入り、
その構造が再構築される、もしくは、
自分の既知情報内で網羅できる範囲では、
理解につながるのかなと感じます。

とりわけ、
全体像を説明できて、
かつ書く構成要素について次の階層くらいまで
説明ができたら、理解の部類にはいりそうです。
わからんけど。

あらいぐまが感じること

山本さんの記事を参考にさせてもらいました。
最高にわかりやすくて面白い。

理解までのプロセスと、
理解の構造について、
ここまでわかりやすい記事はなかなかありません。

しかし、
やはり理解する についても、
深ぼってしまうとどこまでも掘れてしまうので、
どこまでレイヤーを定めるか。
どこまでを理解と置くのか。

が大切だと思いました。
僕は教授でも研究者でもないので、
もっと掘るとニューロンの結びつきがどうとか、
そんな話になるのでしょうから。。。

自分の立場からして、
理解が難しいマーケティングや、
考えるを学ぶについては、
とても使えそうな知識でもありますので、

積極的にみなさんに伝えていきたいと思います。


🦝

最後までお読みいただきありがとうございました。
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