"Fake Estate" by Gordon Matta-Clark / ゴードン・マッタ=クラーク「偽りの不動産」、など

ゴードン・マッタ=クラークについて書こうかと思っただけでうっすら2日くらい悩んだまま、時が過ぎた。

物を書くのはー、面倒だなあ。はー、正直すぎる気持ちを書いてしまった。面倒というか、マッタ=クラークがビッグな存在過ぎる。話が長くなりすぎそうで、気が引ける。と、つい日常的な雑事を先回ししたりしていたけれども、去年観た美術展のなかでも、これは観てよかったと心から思ったゴードン・マッタ=クラーク展なのだ、書かないとね…と取りかかった。だいぶ感想としては遅いのですがw

(↑*文頭に貼っつけたブログはパリで開催されたアナーキテクトというタイトルのゴードン・マッタ-クラークの展示についての記事。作品画像などの参考に良いかと思う。)

で、去年の秋、東京国立近代美術館のゴードン・マッタ=クラーク展である。これがアジア初の大回顧展とのこと。長らく、名前と作品のひとつふたつだけは聞き知っていたものの、実際に展示など見たことはこれまでになかった。最終日、滑り込みで行き観れてとにかく良かった。広々した会場にぎゅうぎゅうではないけれども結構な人が来ており、盛況と言った雰囲気だったのも、良かった。力の入った展示で、本当に観てよかったなあと心から思った。そう、繰り返し書きたい程に。

現在、東京国立近代美術館のサイトだと展示の様子の画像があまり観れないので、写真も十分な美術手帖の特集記事を貼る(上記)。(*ちなみに近代美術館のリンクしたページの開催概要のタブからプレスリリースをダウンロードできてお得です。)

書いていて改めて思ったのは、彼の名字はマッタ=クラークなのだ。って見ればわかるけれども、名字がダブル。*「父親は建築家で画家のロベルト・マッタで母親は画家のアナ・クラーク。」と芸術家一家の出身を反映しているのだろう(*下記リンク記事より。見やすくてしゃれたページで読みやすい。ゴードン・マッタ=クラークって誰と思って知りたいとき、読むのに良いように思う。)

というわけで大回顧展について自分で一から書くには内容ありすぎ感だったので、いろんな記事を切り貼りして来たが、

去年の国立近代美術館の展示を観た全体の感想としては、街・建築・空間に興味がある人にはきっとすごく面白かったことだろう。

作っていてアイデアが次々出てきて、もっともっととやり続け、短い生涯(35歳で没!)に一人であれもこれもやっちまったー、という印象。

そのアイデアも、「筋金入り」という言葉が似合う、一貫した興味が底に流れているように感じた。そのためか、それぞれの作品はいちいちパワフルで、力強い磁力がある。こちらにも制作活動の活気や興奮が伝わってきて、展示を見ながら思わずわあ、と思った。

ハイレッドセンターの活動も連想させ…そう思うとなにかその時代の懐かしさもあるといえば、あるが、それだから古いとは感じないし、視覚的に独特で面白い。(ソーシャリーエンゲージドアートがどうしたとかいった…)いろんな切り口や意味を読み込めるにしても、彫刻的に、造形的に、ちょっと見たことない眺めを作り出したということに、やっぱり驚きがあるだろう。アート作品のヴィジュアル・インパクトは大事である。(それだけでもだめだけど。)しかも、決して簡単にできることはしていない。廃屋を真っ二つにするだけでも大変そうだし、壁に穴をあけるのだって大変な肉体労働である。やっていて崩れ落ちたりしないよう考えているんだろうし。

そんなマッタ=クラークの口癖は「君ならもっといいものを作れるよ(同主題・切り口で)」だったそうで、うーん、いったい何を見つめて生きていたんだろう、このアーティストは、と思いを馳せてしまうような、余裕&愛の感じられる一言だ。ご両親にそう言われて育ってきたのかなあ。いやまあどうなんだか、そこはわからないけど。

さて表題にした作品、リアリティー・プロパティー:フェイク・エステイトについてちょっと説明を書きたい。これは、もともとニューヨーク市が納税義務を怠った持ち主から没収した、半端な切れ端のような土地を35ドルで売りに出していたところ、そのいくつかをゴードン・マッタ=クラークが購入。それらの土地を写真に撮るなど記録していったものを作品とした。

いかにも現代アート作品で見かける、あるアイデアに基づいたプロジェクトの記録として、写真やら図面やら事務的書類やらを額縁に入れ残す、っていうアレといえばそうだ。だがそのほとんどの土地が建物を建てられる広さも無く、時に立ち入ることもできなそうな隙間空間、そういった役に立たないにせよ、ニューヨークの土地にこれまた半端な価格がつき、実際購入できる、ということ自体が楽しそうである。現実そのものが既に詩的だ。これは直接関わって記録に残す甲斐があったろう。そのコンセプトが、聞いてもさっぱりぴんと来ないし聞いたそばから忘れていくストーリー…などではなく、素直に心引かれるものがある。

美術館会場ではどういった形の、どの程度のスケールの土地なのかわかるような展示がされていてそれもよかった。マッタ=クラークの作品はほぼ全部興味深く、なにもこれだけ特別扱いしたいわけでもないんだけど、なんといっても、笑えた。

他にも、たとえば木に対するこだわりのドローイングや、ツリー・ダンスというパフォーマンスの作品も印象深かった。

廃業したレストランを再利用した、フードと名づけたプロジェクトも、アーティストたちが食事を作り(アーティストなどに)提供する、それを3年も続けたそうだが、こちらも興味深い。残された映像では、大量の食糧を大胆に料理していっているなと物見高い気持ちになった。まだまだあれもこれもと書ききれない。

とにかくそうやって観ていくと彼の作品はどれもとても直接的であり、実際やっちゃいました、という抜けや活気がある。そしてそれらは決して観念にのみ偏っていなくて、やったらこうだったという、行動して掘り当てた現実の情報が豊かに感じられるし、また、ただこういうことをしたら驚くだろうというような種類の(しばしば見るものを弾いてしまう)意図からでもなく、もっと表現者の深い感情や欲求、イメージなどに繋がりのある行動と思える。それが素直に受け取れる所以なのかどうか。

一度にはとても書ききれないし、もっと調べるなどして深めていきたい作家である。

もしも何事かお役に立てましたら、ぜひサポートをお願いします☆