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ひとりじゃないモノヅクリの楽しみを知りました。

【モノヅクリでゆるやかに繋がる。】(その2)

モノヅクリはひとりでやるもの という考え方が変わる最初のきっかけは、
娘とのお家遊びでした。

娘も私と同じで、何でも自分で!というタイプでしたので、
黙々とするのが1人から2人に増えただけではありましたが、ある意味初めて知った、
モノヅクリの良さがありました。

そしてその時には知る由もなかったのですが、娘との体験が、その後の私の目指す居場所ヅクリの、
輪郭でもあり核にもなっていきます。


ただ受け入れる。ホメる。

このことにかなり衝撃と感動を受けました。

親からホメられたことのない昭和生まれって、わりとけっこういると思うのですが、
私の親も、私にダメ出しすることはあっても、ホメるようなことは一切ありませんでした。
それでいて些細な事でもホメられている妹と、そうしている大人達に対して不満が募り、
親にホメられたい・ホメられなければ!という価値観ばかりが大きくなっていました。

なかなかこじらせてますね(;´Д`)

そういうこともあって、そもそも1人で作りたいという気持ちに拍車がかかり、
その上あえて誰かに見せようという気も起きなくなっていったんでしょうね(;´д`)
そしてそれが私のモノヅクリの普通だったのです。

なので、娘が何より先に私の作ったものに対して
「いいね!そんなこと思いつくなんてスゴイね!よし!マネしてやってみよー!」
と言った時に、本当にビックリしたのです。

あぁ、この子は、自分が親(私)にホメられたいなんていう小さなことに、全くこだわっていないんだ…って。

それどころか、親の私をホメてくれるんだな…って。

2007年 小1の娘と一緒に。
トイレットペーパーの芯で作った人形。

その時間を共有している。

作り終わった後に感想を言い合ったり、どうやって作ったのか聞き合ったり、時には途中で教わったり、
全てコミュニケーションですよね。

でも、私と娘のように、無言でひたすら作っているその時間も、コミュニケーションなのだと感じました。

同じ空間で同じ時間を共有するというコミュニケーション。

息遣いや手の動きを感じたり、そこににいるんだな、ここにいていいんだな という安心感。

そうなると、じゃあモノヅクリしててもしてなくても関係ないじゃない
という話にもなってしまうかもしれませんが、
それについては、また別の投稿で書かせていただきますね。

2008年 小2の娘と一緒に。
小さな天使ちゃん。
後ろ姿。
2011年 小5の娘と一緒に。
お教室を辞めることになったフラのお友達へ。

天使ちゃんと、ネコちゃんは、こちら↓の本に出ていたのを、アレンジしています。

PHP研究所
『フェルトの小物とマスコット』
著:いしかわまりこ



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