見出し画像

[高次脳機能障害]ころせ!ひとおもいにころせ!と叫ぶ

事故から39日目【床屋さんと、リハビリセンター】

2009-04-16 18:29:35


つらかったリハセン初診の日

17年前の本当につらかった日の記録。
この日は念願のリハセンの初診の予約日。しかし前日に無残な髪型になった父。院内の床屋へつれていく。しかし行列。母に順番待ちをしてもらい渡しは車椅子を押しながら建物の外へ出た。少しでも気を紛らわせるために、しかし 感情障害も意識障害もひどい無論待つことなどできない。体を支えることもできないため車椅子から崩れ落ちそうになるにも関わらず。罵声はとぶし、手を伸ばして花壇の柵かわりのロープを車椅子から落ちそうになるにもかかわらずぶんぶん引っ張る。意識混濁状態なのに力だけはある。これが本当に困る…。

床屋でまる坊主

「あらら、大事なところをやってしまったわね。」
床屋に入るなり中年のおかみさんに言われた。目つきも悪く暴言も酷い父。若いスタッフには迷惑そうな顔をされる。生まれや育ちのせいではない。交通事故のせいである。嫌な顔をされてもしかたがない。とにかくスタッフに迷惑がかからぬよう、とことん付き添った。父の問題行動で人様に迷惑がかからぬように細心の注意をはらった。でも私も人間だ。やはり悲しくなった。隣の空いている席を勧めてもらえたときは本当にありがたく涙をこらえたのを覚えている。

総合リハビリセンターへ

リハセンの予約は午後。リフトタクシーで向かう。受付の手続きがまた手間がかかって疲れる。簡単なテストを受けたが、リハセンに入所はかなわず精神病院へと言われる。強い薬漬けの父。リハビリ病院のレベルではないのは今だからわかるが、当時は藁にもすがる思いだった。

手続きや検査までの待ち時間、父は何度か叫んでいた。「ころせ!ひとおもいにころせ!!!」リハビリセンターなので、救急病院よりは珍しくないのだろう。二度見三度見される回数が少なかった。しかし、こちらは大わらわだ。なだめ、すかし、神経がすり減っていく。好きなドリンクを飲ませたり、「これ、やってみようか」と間違い探しを一緒に探したり、昔の懐かしい写真をみせたりして気を紛らわせる努力をした。こうした努力は今も続いている。事故直後よりは安定し暴言もなくなったが、待つことだけはもともと苦手だった父だけに今も苦労している。

日課の日めくりカレンダー作り

同じ日なのに、出かけ前の日記は穏やかだ。
オリジナルの日めくりカレンダーを毎朝つくって印刷して病室のベッドの真ん前に貼っていた。この日の写真は愛犬(黒ラブ)と妹の2ショット。背景にはサクラのイラストを散りばめて季節感がわかるようにしてある。少しでも脳に刺激をあたえて軸索が戻るようにと隔離病棟へ転院するその日まで毎日続けた。


当時のmixiより