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梅干しの刺激

僕は昔、塩分の好きな子どもだった。
どれくらい好きだったかというと、夏休みの自由研究で食塩の溶解度を調べ、その実験結果の食塩水をあとでちびちび飲むのが好きだったほどだ。僕はそのせいで腎臓病になりかけ、しばらく塩分制限食にされていたことを覚えている。おそらく、塩をなめたときの刺激が好きだったのだと思う。

塩分が好きだったのは、やはり家庭の影響が大きいと思うのだが、実家では自家製の梅干しを漬けていて、ある甕は普通の赤梅、ある甕は若い青梅、そしてある甕は焼酎梅と、いくつかの種類があった。よくは覚えていないが、何らかのイベントでは子どもにも焼酎梅がふるまわれ、子ども心にそれを楽しみにしていた。ただ、深夜にこっそりと台所にある甕の蓋を空け、それをつまんでは食べていたのだけれど。

そんなわけで、食卓にはよく梅干しが並んでいた。また、風邪をひいたときには、火で炙った梅干しにお湯を注いだものを飲まされた。効き目はよくわからないけれど、それはそれで体が温まり、回復も早かったように思う。
それほどに家族はみんな梅干しが好きだったし、家庭になくてはならないものだった。

今では梅干しを食べる機会は少なくなったが、梅干しは相変わらず好きだ。麺類に入れたり、調味料として使ったり、もちろんそのまま漬物としても食べられる万能の食材だと思う。
そういうわけだから、もちろん梅茶も好きで、昔はよく飲んでいた。ただ、習慣的に飲んでいたわけではなかったため、しばらくすると梅茶の素が湿気で固くなり、たいていは半分も飲みきらないうちに捨てることになっていた。

そのときも、スーパーで梅茶の素のパックを見かけ、懐かしさのあまり衝動的に買ってしまった。買ってはみたものの、やはりどう保存するかで悩むことになった。たまたまコーヒー用のシュガーポットが空いていたので、それに素を入れてみる。シュガーポットに茶色の粉が入っているのは妙な感じがしたが、入れてみるとちょうどよくすべてが収まり、スプーンですくって飲むのにも具合がいい。我ながらにこれはいい機転だったと思う。
それからは、梅茶を頻繁に飲むようになり、梅茶の素を料理にも使うようになった。あるとき、梅茶の素を煮物に入れてみると、思いのほか甘く、まろやかに仕上がった。これは万能と思い、炒め物などにも使うようになった。

そんなこんなで梅干しが改めて生活の一部になった。
ただ、「これがないと困る」という食材ではない。今では「刺激がほしいから食べる」ということはないし、「風邪をひいたから食べる」ということも少なくなった。ちょっとした刺激がほしいときは、辛い物を食べたり、お酒を飲んだりすることのほうが多いし、風邪をひいたときは、市販の風邪薬を飲むほうが、よほど効果があるだろう。そして、僕はそれを知ってしまっている。

季節や体調によって食べるものが変わるのは、文化や家庭によるところが大きい。文化ごとの考え方や、家庭ごとのストーリーなどに応じて、我々は選択権なく、食べる物を決められている。
それはそれで大事なことだと思う。
しかし我々は、自分自身の成長や社会の発展に伴って、さまざまなものに触れ、多くの選択肢の中から必要なものを選べるようになってきた。それゆえ、刺激がほしいときや風邪をひいたときなどに、わざわざ昔の習慣に従って食材を選ぶ必要はない。もっと適切で効果的な食材はほかにもある。

ただそれでも、長年から慣れ親しんだ料理や味には、ある一定の効果というか役割というものがあるように思える。それらの料理や味には記憶が含まれていて、「夕食の前まで梅干しの種を口に入れていて叱られたな」とか、「高校受験の前にひどい風邪をひいたときによく食べたな」とか、同じ食材を食べるたびに思い出すことがあり、おのずと気分も落ち着いてくる。

僕にとって梅干しは、刺激を求めるための食材ではなくなったけれど、昔から慣れ親しんだ味により、気分を落ち着かせ、生活のリズムを立て直すペースメーカーのような力をもっているのかもしれない。自分を初心に帰らせ、ほっと息をつかせる何かに変わったのだと思う。

そうして今日も梅茶で一息つく。
そういえば、実家から梅干しが送られてきたのを忘れていた。これは久々の自家製の梅干しだ。何かの料理に加えるか、そのまま食べるか、自分の気分に合わせて使ってみよう。

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