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「言語化が上手い」とは



世の中にはとっても言語化が上手い人がいて
情景が目に浮かぶ文章だったり
思わず納得してしまうような小話だったり
おもしろい着眼点で語る飲み会のネタも


羨ましくなってしまうような
素敵な感性を持っている人が、
そのような特性を持つに至った所以
または
何を持って「言語化が上手い」というのか
“語彙力”とはまた違う表現のしなやかさ


今回はそんなようなお話です




生まれた時から言語化が上手い人なんているのでしょうか

私なりの答えはノーです


だって
自分も昔は言い表せない感情がたくさんあったし、
言い表せていないことにすら気づいていないことばかりだったように思います


振り返ってみても、
あの時の自分がどう感じてたか
節目の時何を思っていたのか
ぼんやりとは分かるけど
よく思い出せないんです


多分それは、
単純に時が経ったからだけではなく
「言語化していなかったから」



やっぱり色だけじゃなく、
輪郭をつけることも重要なんだと思うんですね


自分が言語化が上手いとは全く思っていないんだけど
昔よりは、多少は、
言葉にすることが好きになったような気がします


私は
自分には言語化が必要だと気づく
という体験を経て
日常的に言葉として残す行為を大切にするようになった結果
今こうしてnoteに取り組んでいるわけです。


そう思うと、noteとの付き合いも結構長くて
大学生活はこのページを読むと大体のことが記されていますね


心理学が好きで、院に進んで、
ずっと同じアルバイトをしていて、
彼氏が1回変わったということが分かります
知人が見たら、大体の人はピンと来るんじゃないかな



えっと、話が逸れてしまったけど

つまりですね言いたいことは


言語化が上手いとは
何かを尋ねられた時に上手く表せる言葉がパッと出てくるというわけではなくて

“もともとそういうことをよく考えている”
ということなんだと思うんです
少なくとも私にとっては。


ただ単に、経験値が高いだけなんです


小難しいことを、ちまちまと寝ずに考えた結果出来上がるのが私のような人間です



そういうことを繰り返すと、
物事に境界線をひくのがとっても上手くなります


幼い頃耳にタコができるほど聞いた
「よそはよそ、うちはうち」が
本当の意味で体現できるようになる気がします

人の感情が必要以上に自分に入り込んでこなくなると言ったらいいのかな

ありのままの自分でいる自分を、
自ら肯定することが出来るようになるんです


(でも最近はね、
そうやって線引きを繰り返すうちに
他人に対して諦めちゃう癖がついちゃったり
物事から一歩引いちゃってアツくなれなかったりすることにも気づいてきました
これはまたいつかの機会に書きますね)



だからね、
私のこの面倒くさい部分が
言語化する習慣をつけることで
自分の中での対話として機能していて

それに気付けてとってもよかったなぁ

というお話です



ありがたいことに、
こういう話に付き合ってくれる人が
私の周りには結構いてくれちゃってね。

とっても満足。嬉しい。感謝。



そういう人たちに恩返ししつつ、

もっと貪欲に、
言語化する力を諦めないでいたいなと思うのです



まったく、
人生100年時代とは言うけど、
やらなきゃいけない事が多すぎて
時間が足りるか心配になっちゃうよね。

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