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伝統は「守るべき?」「変えるべき?」

はじめに

みなさんはじめまして、株式会社あっぱれの加藤です。

2018年から6年間、オマツリジャパンという全国の祭りを支援する会社で、日本全国400件以上の祭りや無形文化に関わってきました。
今年3月に株式会社あっぱれにジョインし、noteの記事を書くことになり、最初のテーマは何がいいだろうと考えた時、タイトルのテーマを思いつきました。
伝統を変えるべきか、という議論が起こる場面は具体的に、
・これまで日にち固定だった開催日を土日に変えるべきか
・人員不足の祭りで地域外の人間を担い手として受け入れるべきか
・伝統的な山車に新たな意匠を取り入れるべきか
など、変えないと継続できない場面から、より盛り上げるために変えたいという前向きな場面まで様々です。
祭りや伝統文化に関わる人であればよく耳にするこのテーマについて今回は考えてみたいと思います。

伝統という言葉の語源、意味

そもそも「伝統」という言葉はどのような意味を持っているのでしょうか。
いくつかの辞書で調べてみると、下記のような説明が出てきます。

古くからの、しきたり・様式・傾向・思想・血筋など、有形無形の系統をうけ伝えること。また、うけついだ系統。

伝統という言葉は、「伝える」「統(す)べる」という二つの意味を持つ漢字の組み合わせでできていますが、血統や学統など、系図に示すことができるようなものを「伝える」という意味であることがわかります。

伝統を「伝える?」「守る?」

先ほどの説明から、伝統という言葉は、「伝える」という意味を持つことがわかります。
一方で、伝統を「守る」という表現も私たちにとっては身近にあります。
「伝える」と「守る」という言葉を比べると、「守る」ほうが今ある状態を変えてはいけないニュアンスが強く含まれる印象があります。
国の重要文化財の指定や保護について定める文化財保護法は1949年の法隆寺金堂壁画の消失を契機として制定された法律ですが、「保存」「保護」という表現が多く使用されています。
法律の中では、有形文化財と無形文化財の取り扱いについてそれぞれ書かれています。建物など有形の文化財は、今ある状態を保存・保護することが伝えることにつながりますが、踊りなど無形の文化財でも果たして同じことが言えるのでしょうか。

無形文化は変化しながら伝えられてきた

日本国内には、数百年の歴史を持つ祭りなどの無形文化が数多く伝えられていますが、その多くは時代に合わせて変化をしながら今まで伝えられてきました。
青森ねぶた祭は、奈良時代に中国から伝わった「七夕祭」と古来から津軽にあった習俗が一体化して生まれたと言われており、ねぶたの大きさも小型の地域ねぶたから観光客の増加などに合わせて徐々に大型化されてきた歴史があります。

400年の歴史を持つ阿波踊りといえば、両手を上に上げて交互に出す踊りが印象的ですが、この踊りの形ができたのは戦後になってから、桟敷席の出現で「参加する踊りから見せる踊りへ」変化したことがきっかけです。

島根県西部に古くから伝わる石見神楽は、もともと神職による神事でしたが、明治政府から神職による演舞が禁止されたことを契機に土地の人々に受け継がれ、お囃子や衣装も変化していきました。特に1970年の大阪万博への出演は、石見神楽を「うちわで楽しむ」神楽から「人に見せる」神楽へと変化させる大きなきっかけになったと言われています。

このように、無形文化は時代に合わせて変化しながら現在まで伝えられてきた事実があり、伝えること=変えない、ということではないとこが言えると思います。むしろ、時代に合わせてどのように変化してきたのかという部分にこそ無形文化の本質があるのでは、とも思います。

おわりに

簡単ではありますがここまで、伝統は守るべきか変えるべきかというテーマについて、言葉の意味や無形文化辿ってきた歴史を中心にお話ししてきました。
今までの話をまとめると、
・伝統は「伝える」ことが大きな意味を持つ
・無形文化は変化しながら現在まで伝えられてきた
・文化財の「保護」「保存」という表現が、「変えてはいけない」というイメージを強くしてきたのでは?
ということが言えるのではと思います。
伝統を守るか、変えるかの2択ではなく、守る(伝える)ために変える、という選択肢もあるのだと思います。
私も無形文化を扱う仕事をする者として、「伝える」「守る」「保護する」「保存する」などの言葉を混同することなく正しく使い分け、文化と真摯に向き合っていきたいと思います。
みなさんは伝統は守るべきか、変えるべきか、どう考えますか?

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