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全休符から四分休符、ときどきフェルマータ

はじめに

幼稚園おてんば騒動ランキング!

1.オシロイバナのタネを鼻にツッコんで飛ばしてたら、
鼻の穴にいっぱい入れすぎて取れなくなっちゃった!どうしよう!
 
2.滑り台の手すりの角に、スカートが引っかかったまま滑っちゃった!
ビリビリビリ――!
あれ?今日のスカート、新品じゃなかったっけ?
 
3.今日は、真っ白なブラウスを着たお姫さまで登園。
やったあ!泥んこ遊びだー!ドボーーン!
 
  
小さい頃から頭の中身がこんな感じだった私は、いつしか「統合失調症」の人になり、ホルンと一緒に人生を歩んでいた。
 
そんな私のルーツを、ちょっとたどってみてもいい?
 
 
ジュースとおやつを持って、
いざ、出発!! 


第1章 病気になるまで

その①~暴れん坊小僧の誕生~

〈むしゃくしゃした気持ち〉
私は小さい時、気に入らないことがあると、すぐ大あばれする“暴れん坊小僧”だったらしい。
曽祖母から「紙を切らせなさい」と言われ、新聞紙をビリビリに引き裂いた。
宇須◯命丸を「星の数ほど飲ませなさい!」とも言われ、結構好きな味だったから喜んで飲んでた。
 
…この頃から薬を飲む習慣があったんだね。
  
 
〈2歳くらいの頃〉
私はイトー◯ーカドーで、マー◯ルチョコレートが欲しくてたまらなくて寝っ転がって泣きじゃくったような、ギャング的ヤツです。
そして買ってもらったマー〇ルチョコレートを思いっきり振って、フタがポーンと跳んで、チョコを床にばらまいた!

〈いい意味で頑固〉
凝り性で、やりたい、食べたい、できるようになりたいと思うと達成するまでやるのが幼い頃からの変なモットー。
幼稚園の頃、フーセンガムを膨らませられるようになりたいと思って、一日中練習してできるようになったり…、なんてエピソードもあります。
 
また人一倍、羨ましがり屋でもあります。
 
それは今も続いています。


その②~耐えて耐えきった小学校編~

勉強はまあまあ。友達もいたけれど、先生との相性はあんまり良くなかった。特に小学3・4生の担任とは最悪だった。
 
自分ともう一人の友達と、毎日毎日怒られていた。
ある時、図工の教科書を忘れてしまって、教科書を忘れること自体初めてだったのに、わざわざ席まで怒りにきてビンタされちゃったんだよ。
 
人前で泣きじゃくることは、小学生になってからはあまりなかったのに、あの時は泣いてしまったんだ。
 
 
学校なんてオバケに襲われちゃえばいいのにと、いつも思ってたよ。
 
 
5年生の時だけは夢のような日々!
女子とはなんとなく遊べなくなってきて、お昼休みに男子と一緒になってベーゴマで対戦していたんだよ。
 
その遊ぶための台を作ってくれた先生が、勉強以外のことも沢山教えてくれて、先生のことが大好きだったんだ。
 
先生は社会科見学でいろんなところに連れていってくれた。
それまで知らなかったんだけど、社会科見学の場所は先生が必死に申し込んでくれるんだね。
自動車工場に行った時は、工場の中に車のドアがズラッと並んでいて、機械が動く時は大きな音で音楽が流れたんだよ。びっくりした!
 
工場の敷地内の芝生の上でお弁当とおやつを食べた。食べているところを写真に撮られて恥ずかしかった!
 
ホ〇ダのエンジンは優れている!て言って、息子さんのレーシングカーを3階まで持ってきて見せてくれたりもしたよ。
どうやって運んだんだろう?
 
先生は休み時間にギターを弾いて歌ってくれたり、男子を集めて歌のレッスンもしてくれたんだ。
 
理科準備室に眠っていた天体望遠鏡で、「月」を見せてくれたこともあったなぁ。
クレーターがはっきり見えたのを覚えています。
月にはうさぎが住んでるって、小さい頃幼稚園の先生から聞いて信じてたけど、いなかったなぁ!
 
1学期に大きなバケツに田植えをして、夏休みに稲刈りもした。
作ったお米を食べたらよかったのに、自分で作ったお米をずっと見ていたくて、精米しないでずっと持ってた…あれ、どこいったろう?
 
先生は学校の敷地内にあるキウイの人工受粉も一人でやっていたんだよ。
実がなるのを楽しみにしていたのに、遊びに夢中で、最終的に実がなったのか見忘れた!なんてこった!!
 

そんな大好きな先生が、たった1年間で異動になってしまったんだ。
 
なんでだ!なんでだ!一緒に卒業したかったのに。
初めて学校が楽しいと思えた私の1年は、こうして終わってしまった。
 
 
6年生になると、女子の友達はわずかになってしまったんだよ。
でも、4年生から入った金管部には熱を注いだ。
トロンボーンがやりたい!って先生に提出したんだけど、与えられたのは「アルトホルン」。
運動会ではパレード、地区の大会では3年間優勝した。
 
4年生のある日、小学校の卒業生でオランダのオーケストラで活躍している方が、学校の体育館で「ホルン」を吹いてくれた。
ホルン演奏の後に、長ーいゴムホースと大きなじょうごで「ぞうさん」を吹いてくれたのがたまらなく面白かった。
本物のホルンは「なんてまろやかな音色なんだろう!!」と感動して、いつか「私もホルンを吹いてみたい!」と思いました。
 
それからというもの、楽器屋さんに行っては「ホルン」のカタログをもらってきて、家で眺めていました。
 
そして中学受験をして合格したら「ホルン」を買ってくれる、という約束で…、わーい!!
中学に行ったら新しい友だち、先生、部活、それに「ホルン」。
中学校生活が楽しみで楽しみで、たまりませんでした。 


その③~中学校生活 挫折を味わう中1編~

長かった髪を切ってショートにしたら、それがとっても気に入らず、ズンとした気持ちで入学式を迎えました。
 
入学したては友達が一人いました。
でも、私が落ちた第1志望校を蹴って来たコで、なんだか自慢げで嫌だったんだけど、席が近いから我慢して仲良くしていたんだ。
そのうち私の後ろの席のコがそのコと仲良くなって、私を避けるようになった。
 
 
私は勇気を出して聞いてみたんだ。
「なんで私のこと避けるの?」すると、
「言葉、かな。。」と言われたんだ。
 
 
数学が始まると、マイナスの世界が理解できず最初からつまずいちゃったんだよ。
  
私の進んだ学校は数学に力を入れている学校で、マイナスの世界が分からないなんて、何もできないのと同じだったよ。
一生懸命数学のプリントを毎日解いて提出しても、全部バツ。
 
 
友達はいない、勉強もできない、何もかもつまらない。
でも担任の授業だけは、なんとなく興味があって、図書室に通って調べたりノート作りを工夫したり、不思議なほど捗った。
 
そんなある日、担任が
「過去に自分を傷つけてしまう生徒がいた」と話したのが引っかかったけれど、その時は意味が分かりませんでした。
 
 
だんだん夜更かしをするようになり、夜中にクッキーやケーキを焼いたりして、ラジオやクラシックのCDを聴きながら一人寂しく食べていました。
 
クッキーは最初のうちは、生地を薄く伸ばして型抜きしていましたが、だんだんズボラになり、4コくらいに丸めてそのまま焼いて食べちゃったんだ。
 
おいしくない。ただ、お菓子を作ることが息抜きだったかな。 


その④~中学校生活 どん底の中2編~ 

成績はみるみる落ちて行き、ひとりぼっちで心の拠り所がありませんでした。
唯一相談できたのが中1から持ち上がった担任で、何回か手紙を渡して相談にのってもらったけれど…。
それだけでは真っ黒な岩のように重い、どうしようもない悲しみの塊が抑えきれなかったんだ。
 
 
すっかり夜の森に迷い込んでしまった。
 
 
だんだん眠れなくなってきたなぁ。
 
ある日「カウンセリング」を受けたいと思って、カウンセリングについてネットで調べてみようと、夜中にこっそり起きていろいろ調べたんだ。
 
 
面白くて何日もそういう日が続きました。
すると「南条あやの保健室」というサイトを見つけたんだ。
同じような悩みを抱えている人が沢山いたなぁ。
私はそのサイトにハマり毎日書き込みを読みにいき、そして、のめり込んでしまうんだ。
 
切ったら楽になるのかな、と思ってカッターで浅く切ってみると、その時は、うれしいというか、そういう危険な感情でした。
 
 
後になって跡がうっすら残り、後悔しています。
 
それが半月くらい続いて…とある日、私も「病院に行きたい、眠れない、不安」と書き込みをしてみたんだ。
すると何件か返事があって、「パン◯ダン、という市販薬を買ってみたら」とのことでした。
早速、薬局に行って「パン◯ダン」を買ってみたんだ。
 
 
私は一生のうち、薬で悪いことは一回もしていません。
 
 
指示通りに飲みました。
 
 
私には、ちっとも効きやしないじゃないか。
 
 
親にも相談できない。
 
 
どうしよう。
 
 
でもそれは、丁度、漢字検定の予定を立てている時だった…。
「予定これでいいかなー?」と母にリストバンドをせずにカレンダーを見せてしまったら…
「どうしたのぉぉ?」
やっと心の底から泣きました。泣けたんだ。
そして「病院に行きたい」、と言って…
 
ここから長きに渡る闘病生活が始まるよ。 
 
 
しば犬1号も家族の一員になり始めます。
 
ある時はお外で番犬、ある時は町内パトロール(という名のお散歩)の生活が始まるのであります!!
夏のお外は暑いし、冬は寒かったなー。寝るときは玄関だぜ!
まあ、ケージの中には誰も入れないから、安心して眠れるんだけどね。
byしば犬1号 


コラム①〈心の友〉

 
保健室登校の頃、毎日、保健室まで私を迎えに来てくれた友だちがいる。
 
薬が強くてぼーっとしていた私を、毎日迎えに来てくれたのである。
 
その時に「いつも迎えに来てくれてどうもありがとう。」と、ちゃんと言っていただろうか?
 
でも、当時の私はそんなことでさえも、言えていなかったと思う。
 
ごめんね。
 
そして、心から、ありがとう。
 
 
今でもやり取りしてくれて、本当に嬉しい!!
 
本当にありがとうございます!! 


第2章 病気になってから

その①~怒涛の入院生活~ 

中3の修学旅行は行けなかった。
 
 
高2の時、2回目の入院のことだよ。
 
どんどん私の具合が悪くなり、一日に何十錠も飲んで、殆ど意識がなかった、といえるんだ。
 
 
たまに復活して幽霊のよう…。
 
食べることができなくなって栄養は点滴でとり、あまり起きることはなく、このままでは本当に死んでしまう、と両親が憤り、なんとか転院する事ができました。 


その②~救世主Ⅰ現る~

 ―転院―
〈外部の者は入れない〉
閉鎖病棟に私が入院するのを拒んだ時、この先生は母を特別に一緒に入れてくれて、中を案内してくれたんだ。
それでやっと安心した私は入院することにしました。
 
先生は大量の処方薬を一旦ゼロにして、抗精神病薬はアリピプラゾール、それと少量の睡眠薬のみにしてくれたんだ。
 
すると一日二日で、みるみる元気になり、短期間で退院できました。
毎日診察に来てくれたんだよ。
 
この先生は3色ボールペンを使って、カルテに細かく書き込んでたなぁ。
 

OT(作業療法)の時、中庭の一角でホルンを吹いていいと、言ってくれたんだ。
 
他の患者さんが「ホルン持ってもいい?」とホルンに興味を持ってくれたり、のんびり基礎練習をしていたら、近所の人が「いい音するね」と、鼻歌で歌っていたりしたんだよ。
 
ところで、周りの入院患者さんは私より大変そうな方達ばかりで、私は「頑張って退院するぞー!」と、さらに元気になっていったんだ。
先生には退院後もお世話になり、勉強しろ!名前書くだけでいいからテスト行ってこい!と、厳しくしていただいたお蔭で、「病気に負けない!!」と心が折れることなく勉強も頑張れたんだ。 


その③~11人の一致団結した女子たち~

高2になると、クラスの女子が科目選択で、たったの11人だけになりました。
 
その中に、この11人の女子全員が仲良く過ごせるように、まとめ役を担ってくれた方がいました。
 
その方は生徒会長でもあります。
 
仲良くなるポイントは、
まず、全員に「あだ名」を付けることから始まりました。
人生初のあだ名を付けてもらったよ。
 
 
そんな高2生活で、私にとって忘れられない、人生のベスト5に入る思い出があります。
 
それは「北海道修学旅行!」
 
行けたんです!行ってきたんです!!
 
修学旅行なんて小6ぶりだよ~~!
 
飛行機に乗るのも、みんながいろいろ教えてくれた。
 
保安検査や到着してからの荷物受け取りは、ピピピとか鳴ったらどうしよう、荷物がどこか違う所に運ばれて行っちゃったらどうしよう、と心臓バクバクでしたが、大丈夫だよ、とみんなが言ってくれてビクビクしながらも北海道の地へとたどり着きました。
 
バスで小樽運河に行ったり、朝早く起きて電車に乗ったり、トンボ玉を作ったり、海鮮丼は2杯食べました!
サーモン、おいしかったな~!
 
ずーっと11人で一緒に行動していたんだよ。
 
卒業してからも、私は中退しているというのに、みんなで箱根に行ったんだよ。
それも、一泊二日の旅!
 
 
だんだん、みんな、お仕事とかで忙しくなっちゃって、声が掛からなくなったけれど、私は感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
これも、まとめ役になってくれた、あの方がいてくれたからこそなんだ!
 
この場をお借りして、感謝申し上げます。
どうもありがとう! 


その④~奥底に秘めたパワー~ 

高校の卒業単位が足りなそうだったので、調子の良かった高2の時に「高等学校卒業程度認定試験」を受けました。

大検と違って、高校に在籍してても受けられる。

「火事場の馬鹿力」だけで乗り越えて、全教科合格できたんだ。 


その⑤~ホルンと先生~

中1から習っていたホルンで音大を受験し、合格!
それは、中2で休んでしまったレッスンだったのに、ホルンの先生が「また来ていいよ!」と中3の冬に言ってくださったからなんだ。
 
受験の面倒をみてくれて、大学在学中はインドカレー屋さんとか、ファミレスに連れて行ってホルンの話をしてくれたり、卒業後もご自宅でレッスンをしてくれた。

そんなことまでしてくれる恩師が、2020年に亡くなってしまったのです。

さみしくてさみしくて、今でもさみしい。
 
だから、コンサートの時は、1曲1曲を、ホルンの先生に捧げる気持ちで吹いているんだよ。
 
 
大学のホルンの先生は私の病気を「ホルンで治そう!」と励ましてくれたよ。
薬の副作用で口がカラカラに渇いてホルンが吹けない時には、
「ほら、梅干しがここにある!あっ!レモンもあるぞ!スッパイ!」と元気を沢山くれたんだ。
 

保健室の先生には、感謝してもしきれません。
 
いろんな科目の先生一人一人に、いつの間にか声を掛けてくれていて、それも1度や2度ではなくて、毎日のように声掛けしてくれたんだ。
ホルンの先生、先輩含め、ホルン関係の方には私のことを、隅々までお知らせしてくれていたんだよ。
私が疲れていそうな場面にはスッと現れてくれて、私をその場から休ませてくれたりもしたよ。 


その⑥~青春18きっぷの旅~ 

大学1年生の時、ホルンの先生が出演する「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」に行ってきました。
 
朝はやーく家を出発して「青春18きっぷ」を片手に、行きは同期の友だちと、帰りは先輩と一緒に長い旅をしました。
 
行きの電車では、友だちとは少しライバル感があって、沈黙したりどうしたらいいか分からない時間が過ぎてゆきました。
 
でも、そんなこと言ったって鈍行列車で何時間も一緒にいるのです。
 
友だちが、ふと、お化粧を始めました。
 
「○○ちゃんもアイライン引いてあげる!」と言ってくれたので、普段、薄化粧の私は嬉しくなって、引いてもらいました。
 
電車があまりに揺れるので、「はみ出ちゃった時はリップクリームを綿棒に付けて取ればいいんだよ。ハイ!」
 
鏡を見ると目がくっきり!
 
「うれしい!ありがとう!」
 
「これで、うちらも仲良しだね!」と言ってくれて、本当に爽やかな気分だった。
 
 
松本駅に着くと先輩と合流して、ホルンの先生に栄養ドリンクを薬局で買いました。
これは恒例なんだそうです。
 
先生にお会いすると、「君たち、青春18きっぷできたの?」とびっくりされました。
 
栄養ドリンクもお渡しして席について、人生初めてのオペラ『スペードの女王』を観ました。
 
先生はどこにいらっしゃるんだろう!あっ!先生だ!
それに、小澤征爾さん!
 
開場に響き渡る歌声の迫力に息をのんだり…。
 
最後はピストルの音!
 
怖かったけど、オペラってこんなに楽しいものなんだ!
 
生で聴く先生の音は最高に美しかったです!
 
とっても勉強になりました。 


コラム②〈寝つけない夜に〉

 
頭が冴えて眠れない夜は、くまのぬいぐるみをギュッとします。
「嫌だー!」とか、逆に「ギャーうれしい!!」という抑えきれない爆発的な気持ちを、くまちゃんが吸収してくれて安心して眠れます。
 
そんなぬいぐるみ選びのおススメポイントは、
1.身長30cm 横幅20cm お腹周り47cmのメタボサイズ
2.ちょっと硬め(フニャフニャではなくて反発してくる感じ)
 
 
最近は、薄いフニャフニャのぬいぐるみも付け足して、ダブルでギュッとしています!
 
大好きなぬいぐるみに、癒されている毎日です。 


第3章 フリーダム!

その①~みなさんの心に音楽を~

大学卒業後まもなく音楽活動を始めました。
幼稚園、児童館でのイベントや、アトリエのサロンコンサート、病院のロビーコンサートなどをしてきました。
 
幼稚園は入園式、秋・冬のコンサートなど盛りだくさん!
クリスマスには讃美歌を吹きに行ったりもするよ。
サロンコンサートでは、ご高齢の方向けのプログラムを組んでいるんだ。
 
最初は家族で活動していたのですが、新しく高校時代の友達がメンバーに加わりました。
 
その友達は作業療法士として働いていた方で、歌とファゴットを担当しています。
 現在は音楽療法士の資格を取り、私たちの活動に大きな力を貸してくれる存在だよ。
 
最近は、声楽の方ともご一緒させていただくようになったから、さらにパワーアップ。
声楽の方の歌は、詩の言葉一つ一つが心に刻まれて、優しく包み込まれるような感覚になる!
 
お二人とも、打ち合わせが長い時や合同練習の時に疲れやすい私を、いつも気にしてくれるんだよ。
 
優しい音楽仲間ができて、とっても心強い!
 
 
私たちのプログラムは、必ず参加型のイベントを入れています。
クイズや波の音がする楽器だったり、なんちゃってホルン試奏会コーナーだったり。
 
なんちゃってホルンは、私が小学生の時に出会った、ゴムホースとじょうごで出来ているホルンだよ。
 
 
そうだそうだ!! 聴きっぱなしじゃつまんない!ぼくだってたまには歌いたい! うぉお~!byしば犬1号
 
おらは寝ながら歌いた~い!byしば犬2号
 
 

その②~趣味にも熱中!~

〈無心になって作るパン〉
同じ頃、パン教室にも通い始めたよ。
先生とはマンツーマンだし、とっても優しくて親切な先生のおかげもあって、月に2回集中して通ったり、気分が乗らなくなって何ヶ月、時には1年くらい期間を空けたりしても、細く長く続けられているんだ。
 
中1の時パン作りの本を買ってきて、家で食パンを焼いたのが楽しくて沢山作っているうちに、習ってみたいと思ったのがきっかけなんだよ。
 
パンって意外と塩を入れるんだね。
それを知らずに、少ししか入れなかったら味がしなかったんだ。
“失敗は成功のもと”っていうから、ここから頑張ることにしたんだ。
 
習ったパンは、気に入ると何回も作り、アレンジしたりして楽しんでいます。
先生がいろんな工夫の仕方を、何通りも教えてくれるんだよ。
 
生地をこねている時は、「おいしくな~れ、おいしくな~れ」とパンにも聞かせながら、パンのことだけを考えて作っているよ。
こねる工程は暑くて大変だけど、パン作りの中で一番好きな工程なんだ。 


コラム③〈リスペクトしている美容師さん〉

 
私の髪を10年以上切ってくれている美容師さんがいる。
 
初めてお店を訪れた時、たまたまその美容師さんが担当して以来、そこのお店は指名料を払わなくても、いつも同じ美容師さんに切ってもらうことができたんだ。
 
具合が悪い時でも、どんな顔をしていても私の話に付き合ってくれて、なんといっても、いつも私のその時の心の調子に似合う髪型にしてくれる。
 
そして、美容師さんは夢だった「自分のお店」をつくったんだよ!
 
そこに行くと心が穏やかになるような、とっても魅力的なお店だし、誰にも話を聞かれないでくつろげる最高のヘアサロン!
 
感謝しています。
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。


第4章 病気と歩んでいく

その①~若い医者~

そんな感じで、大学を卒業してから平和な日々が流れているかと思うけれど、

そうでもない。

今までの主治医が辞めることになり、若い医者に交代になったんだ。
そしたら、今までは薬は少し多めではあったけれど、調子はまずまずだったのに、急に薬を減らしちゃったんだ。
 
薬は減って嬉しい。
でも、幻聴が聴こえてきて、なんとなく調子が悪いなぁ。
 
なんか、この先生とはうまくいかないみたい…。
 
 

その②~救世主Ⅱ現る~

今の若い先生とは合わないと思ったので、東京の病院に変えました。
 
 
初診の記憶はほとんどない。
 
でも、中2の時、初めて病院に行ってホッとした時と同じ感覚だったよ。
 
久しぶりの安堵感。
 
なんて幸せなんだろう。
 
先生はパソコンを打ちながらも、私の方をずっとニコニコ見て話を聞いてくれました。
 
東京の先生の診察は初めの頃は、診察室に入ると寝てしまうような感じになってしまい、うまく受け答えができなかったんだ。
先生の魔法の言葉が、ただ、ふわふわ漂っているだけ、という感じでした。
 
私は、先生に伝えたいことをメモして行ったけれど、先生が言ってくれた肝心なことは頭にとどまらず、そんな時は先生が紙に書いて渡してくれたんだ。
 
 
先生が私に「休むことも忘れずにね」と毎回のように心に擦り込んでくれるんだ。
 
これは救世主①の先生も教えてくれている。
 
先生方、いつもありがとうございます!


その③~薬とうまく付き合う~

ついつい、やりたいことや、やらなければいけないことに集中し過ぎて、休むことを忘れるし、疲れを感じないのが私なんだ。
疲れた、と感じた時はもう具合が悪くなっていて、治すのが一苦労な状態なんだ。
 
そうなる前に寝なければ…と分かってはいるけれど、なかなかうまく休めないんだよ。
 
でも、いざ薬を飲んで少し経つと、眠くなって落ち着きを取り戻しているんだ。
 
 
なんだ、薬飲めばよかった。
 
 
自分自身もホッとするし、家族も安心してくれる!


コラム④〈しば犬1号2号の話〉

〈しば犬1号〉

暑い日も寒い日も、雨とか雪とか台風以外、お外で番犬をしていました。
ス〇-ピーの家みたいに、私が赤と白のペンキで塗ってあげたお家の屋根の上に、ペットベットをのせて、その上で寝ていたり、お庭に来る虫たちと格闘したり、犬小屋の屋根と地面とをピョンピョンしていました。
 
お外が大好き。問題は雪、カミナリ、花火の日です。
雪は降っているときは大丈夫なのですが、次の日ドーンと屋根から落ちる音が大の苦手。
何時間も母の膝の上で、ガタガタ震えて大変なんです。
カミナリ、花火も同じ。
 
でも、いつも番犬してくれてるんだから、たまには甘えたいよね。 

〈しば犬2号〉

犬にも性格があって、しば犬1号とは違い、いい意味でちょっとドンカン。
でも地震は苦手。
夏は冷房、冬は暖房生活です。
生まれてから、うちに来るまで兄妹と遊んでいて、そのせいか大の寂しがりや。
でも、兄妹と取っ組み合いもしていたから、犬や人間が「噛まれると痛がる」ということを知ってます。
今も仲良し! 


第5章 病気、治っちゃう!?

 
統合失調症が治る日が来るかもしれない、という研究に参加しているよ。
 
ほんとうに!?嬉しい、けど怖い…。
血液検査と髄液検査をしたら、抗NRXN1自己抗体というのが見つかって、その抗体をやっつければ病気が治るかもしれないというんだ。
 
昔の自分に戻れるのかな!
 
主治医とは別の先生が発見してくれました。
まだ、治療法は正式には確立されていませんが、ドキドキワクワクです!
 
 
 病気、治るかなぁ!!
  


おわりに

 
私を救ってくださったお医者さん、親切にしてくださった先生方、先輩のみなさん、友だちのみんな、後輩のみんな、音楽活動を一緒にやってくれている声楽の方、歌とファゴットの友だち、そして、いつも寄り添ってくれる家族へ、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
 
そして統合失調症で悩んでいらっしゃる沢山の方々も、次々に発表される新しい研究により、病気が治ることをお祈りいたします。

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