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100年分のこれまで、いま、これからが重なる展覧会「共に在るところから/With People, Not For People」

本展は終了いたしましたが、関連イベントとして開催したオンライントークは引き続きYouTubeにてご覧いただけます。本ページ下部のリンクからぜひご覧ください。

100年分のこれまで、いま、これからが重なる展覧会

東京都墨田区の曳舟駅から歩いて数分、「興望館」という福祉施設。その一角で、アートプロジェクト「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―(通称:ファンファン)」の一環として、現在、アーティストの碓井ゆいさんを招いた「共に在るところから/With People, Not For People」という展覧会を行っている。

この展覧会の中には、3つの時間が存在している。ひとつは、1919年に設立された興望館のたどってきた100年のあゆみ。もうひとつは、興望館に通ったり働いたり、さらにそれ以外の様々なかたちで関わりつづける方々がつくる豊かなコミュニティとファンファンが出会った現在。もうひとつは、ファンファンがこの展覧会を通して「福祉もアートもひとつのグラデーションのなかに存在しているのではないか」と模索している、まだ名前のない未来。

展覧会は、現在は興望館の資料室などとして使われている「別館」をお借りし、1部と2部で構成されている。まず1階は、碓井さんとファンファンがリサーチしてきた「興望館セツルメント」などを紹介するコーナー。「セツルメント運動」は、19世紀頃に始まった、地域へ住みながら住民の生活改善を目指した運動だ。生活保障だけではなく、心身の健康を目指して福祉、医療、文化などが入り混じった多様なプログラムが各地で展開されていた。興望館も、その運動の中で100年前に生まれた施設である。館の活動にかかる膨大な資料も現存しており、1階では、昔の写真や建物の図面、当時の活動紹介パンフレットなどを展示している。

2階は、そんな膨大な資料を1年以上かけて興望館に通い、読み解き、リサーチを重ねた碓井さんによる新作《家は歌っている》が展開されている。まずは、昭和初期に興望館で働かれていた方が残した保育日誌から着想を得て、碓井さんが創作した、戦時下に興望館で働いていたという設定の架空の職員、「”町田道子さん”の日誌」。そして、興望館に残された写真をモチーフに、興望館に関わる方と協働で制作した刺繍の作品の2つが展示されている。

日誌作品には、町田さんが興望館の活動に関わりながら、いろいろな人の話を聞いたり、社会活動と表現活動の間で悩んだりする様子が描かれている(そして、それは碓井さんご自身の葛藤のようでもある)。また、出てくる登場人物の一部や写真は本物で、日誌が綴られた便せんも当時興望館で使われていたデザインを再現したものとなっており、見ていると町田さんやその他登場人物がいま、ここにいるような、時空がゆがんだような感覚に陥る。ある人は「タイムスリップしたみたい」「碓井さんがシャーマンになったみたい」と語っていたそうだ。
刺繍の協働作品も、日誌とともに展示されていると、「町田さん」が当時施設の人と作ったようにも見えてくる(実際、日誌にも「町田さん」が利用者と「手芸クラブ」を行う描写がある)。

「生活全体を共有し、共に痛みを受け止めていく事が大事なのだ」

刺繍の協働制作は、興望館のスタッフさんが利用者の方にひとりひとり声をかけてくださり、父母の会の方、興望館の資料を研究する方、学校に行きにくくなってしまった卒業生…、などに参加いただいたものだ。

実は当初、筆者は担当として、「もっと情報をオープンにして、ひろく参加者を募った方がいいのでは」、「連絡網などでもっと大口に周知いただいた方がいいのでは」と思っていた。そこには、(事業として)より間口を広げるべきだとか、制作への参加が事業を知っていただくきっかけなるかも、といった意識が働いていたと思う(それから、参加者実績という数字的な成果を意識してしまっていたのも、事実)。

しかし、興望館の職員さんの姿勢は少し違っていた。関係者ひとりひとりの特性、好きなこと、現在の心身状態…を様々に検討いただいて、丁寧に声がけをし、協働制作を進めてくださった。職員さん方の頭の中には、そういったものすごい量の「ひとりひとりのデータベース」が入っていて、それが職員さんの間で共通の知となっている。縦にも横にも広がる情報の厚さには、いつも圧倒される。

15人ほどの協働制作で完成したタペストリー。

その、「施設職員と利用者」といった、ラベリングされた関係性を越えることで、本当に必要なもの、必要としている人、が見えてくる。
ひとりひとりに人間として向き合い、そこから「本当に、確実に必要なもの」をささやかでも良いから生みだしていくこと。「先生/生徒」、「親/子供」、「サービス提供者/客」、「委託者/受託者」…アノニマスな存在ではなく、個人として、人間として出会うこと。その出会いは、活動家のクレナッキの言葉を借りると”摩擦”的なものなのかもしれない。その摩擦によって、誰かの日常に少しでも楽しさや喜びを生みだせたら。その姿勢は、文化事業やアートプロジェクトにとっても大事な視点のように思う。

私たちは、必要に迫られて世界中を動き回ります。そこで生じる出会いを、表面上のものではなく、摩擦として経験し、互いに頼り合えるようになることが大切です。(中略)私たちがこの空間を共有できているということ、そして、その空間を一緒に旅しているということは、私たちがみな同じであることを意味しません。

アイウトン・クレナッキ著、国安真奈訳『世界の終わりを先延ばしするためのアイディア』
(中央公論新社、2022年)
Tokyo Art Research Labの動画でも紹介しています

碓井さんの作品の登場人物「町田さん」も、日誌のなかで気づきを得ていた。

五月二十日(土)
食後、少女部の小野さんの家を訪問。(中略)助けてほしいと言えること、そういう関係を築いていくためにはまず困窮をも含めた生活全体を共有し、共に痛みを受け止めていく事が大事なのだ、と考えさせられた。

碓井ゆい《家は歌っている》より

福祉もアートもひとつのグラデーションのなかに存在している

今回の企画は、2年越しのプログラムである。ちょうど一年前の11月、興望館の本館の一角をお借りして、「トナリのアトリエ」というプログラムを行っていた。興望館の学童に通う子供たちを対象としたワークショップで、放課後に子供たちが集い、思い思いに絵や絵日記を描くことのできるスペースを6日間ひらいた。

このプログラム後、興望館の担当職員の萱村さんが「興望館にとっては良いプログラムだったけど、ファンファンにとっては…アート的には、大丈夫だったのかなあ」と話されていた。不安にさせてしまったことには反省もしたが、萱村さんの悩みはとても本質的だったのかもしれない、と今になって思う。
なぜなら、このファンファン×碓井さん×興望館とのプログラムは、アートと福祉のあいだの、もしくはその根元の、まだ名前のない領域と向き合っているプログラムだからだ。ファンファンのディレクターの青木彬さんは、昨年度の萱村さんとのやりとりを振り返り、「昨年はまだ、萱村さんの不安に対して、この取り組みがどんなものなのか、言語化できなかった」と話す。しかし、今回のプログラムを進めながら、どこに向かっているのか、ファンファンとして少しずつ言語化できるようになってきた。

先述のように、福祉の文脈における人との向き合い方と、アートプロジェクトにおける人との向き合い方や特徴は、重なる部分もあるように思う。セツルメントのような取り組みをたどることで、新しい「アートプロジェクト史」みたいなものも見えてくるかもしれない。ただ、具体的にどう領域を横断していくのか、それをどういう実践につなげていけるのか、というのはまだまだ見えないことも多い。

今回の「共に在るところから/With People, Not For People」に至る道のりのなかで、ファンファンと碓井さん、そして興望館でともにプログラムをつくった方々と、オンゴーイングで新しい方法、新しい領域を模索しているような感覚があった。資料を読み、お話をきき、何をどこまで、どう伝えられるかを一緒に考えたり。展覧会があることをききつけた子供たちが、「僕たち/私たちも!」と、動物の工作をつくってくれたり(会場にも碓井さんの作品とコラボして展示されている)。ご自身も興望館に通い、大学生ボランティアのときから興望館に関わり続ける野原館長は、準備期間から会期中まで、何度も展示室の様子を見に来てくださった。こんなかたちで興望館のことを紹介できたのは初めてだ、と嬉しい言葉もいただけた。館長が資料をご覧になるたびに「これは○○さんで、このときにこういうことがあって…」といろいろなことを教えてくれるので、その語りをファンファンだけが受け取るのでなく、何か残したり共有したりする方法はないだろうか…、とファンファンと考え始めたりもしている。

興望館でのリサーチの様子。
碓井さんの作品プロトタイプを見ながら、萱村さんが興望館のエピソードを教えてくださる。
碓井さんの作品と、子供たちの作品とのコラボレーション。

この「まだ分からないものに向かう」ことは、ファンファンがずっと大事にしてきたことだ。ファンファンは「当たり前をときほぐす」ことをテーマとして、アーティストと協働したり、自分自身の想像の幅を広げるプログラムの開発をしたりしてきた。
今回のプログラムでも、「アートとは?アートプロジェクトとは?」と、自分たちの足元をも疑いながら、当たり前を解きほぐし、そして豊かに生きるために「当たり前に大事なこと」を探して進んでいる。

展覧会会期は、ちょうど折り返し。ぜひ、多くの方に足をお運びいただき、100年分のこれまで/いま/これからに触れ、一緒に「当たり前をときほぐし」たい。


*11月26日にオープンディスカッションがあります*

オープンディスカッション「創造的な地域福祉を目指して」
興望館をはじめ、セツルメント運動では人々がよりよく生きることを目指すなかで、文化が必要不可欠であったことがうかがえます。
専門化が進みそれぞれの分野で理論や実践が積み重なる一方で領域を横断することに難しさもある現在、異なる領域の人々がゆるやかに繋がっていく場が必要かもしれません。本イベントではアートと地域福祉の協働について、参加者の皆さんが感じている可能性や悩みについてディスカッションしていきます。

【日時】2022年11月26日(土)14:00~15:30
【進行】青木彬(「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―」ディレクター)
【料金】無料(要予約・先着順)
【定員】30名
【会場】興望館 本館
【参加方法】こちらのフォームよりお申込みください。


※2022/11/28追記
本展は終了いたしましたが、関連イベントとして開催したオンライントークは、引き続きファンファンのYouTubeチャンネルからご覧いただけます。ぜひ、ご覧ください。

▲『共に在るところから/With People, Not For People』関連イベント「アートのやわらかな社会実装」
[登壇者] 碓井ゆい(アーティスト)、青木彬(インディペンデント・キュレーター/一般社団法人藝と)
[ゲスト] 堀内奈穂子(NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト] / dearMeプロジェクト)