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雑記 22 / ぜんぶ太陽フレアのせい

この数日の、良いも悪いもひっくるめて全部太陽フレアのせいにできる感じがとても良い。メールが返ってこないのも、仕事がなかなか終わらないのも、ヤクルトスワローズが現在リーグ最下位(今日は勝った)であるのも、売上が良いのも、ぜんぶ太陽フレアのせいかもしれない。ワクワクする。やっぱり神的なものって人類には必要なんじゃないか、と思える。

いろんなことを放り出して「ま、太陽フレアがね…」で済ませていけるとはなんて楽で心地良いんだろう。
もちろんそのような投げやりさを否定してきたのが近現代の文明であり、神が死んで以降の人類の在り方だったわけだけれども。

でも太陽はデカい。とてつもなくデカくて強い。どうにかできるもんじゃない。ある程度計算できたとしても、この先何が起きても不思議じゃない。わけわからなくてコントロール不可能な圧倒的事象。むろん契約的発想とは無縁。もしかしたら明日目覚めたらこの世の物理法則が全てひっくり返っていて、今の生活もこうやって書いてるテキストも全てが消え去ってしまうかもしれないのだ。電波とか電力とか全てが使えなくなっているかもしれない。全部太陽フレアのせいで、そうしたらきっと「太陽が眩しかったから」の真の意味を僕らは理解できる。理解した時にはもう全てが終わっていて、この訳のわからない世界のシステムも戦争も喜びも悲しみも円安も将来の不安も何もかもが吹き飛んでしまっているのかもしれない。パンを焼きながら待ち焦がれていたアレがくるのかもしれない。紅茶飲み干して静かに待つべきかもしれない。

それでも、それだからこそ、我々は生きて美しいものとか希望とか喜びを存分に享受しなきゃいけない。
光と闇のように、喜びを知るためには悲しみが必要だと言うならば、いつかはみんな死ぬし、どうやったって天体の動きによって地球は滅亡するという圧倒的事実に絶望すればいい。それだけで充分すぎる。あまりに自然的で巨大な絶望やどうしようもなさは反転して希望となりうる。そこに抗って、美しいものごとの中に生きるべきで、人間が人間同士で他者の希望を奪う行為はすべて今すぐ消滅すべきだ。
そうした悪は太陽フレアのせいじゃない。人間のせいだ。

本当はそんなこと言ってる間に積立NISAのより良い運用とか考えた方が良いのかもしれないけれど。とりあえず今は太陽フレアのせいにして、いつも通りに美味しいものを食べて美しいものごとについて考えよう。本当は太陽フレアのせいじゃなくて『死んじゃいけない星』と『抵抗と祝福の夜』が後を引いてるからなんだけど。


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