青山Q太郎

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青山Q太郎

まとまりのない事を書き続けるだけです 美術と本と音楽の話が多いです X(Twitter)→@bmyasu

最近の記事

雑記 23 / 音楽の聴き方、サブスク、長い前置き

このところ、サブスクで新譜を追いかけるのをやめた。「これぞ」という音楽を丁寧に聴き込むようにしている。Apple Musicのサジェストは無限に新しい音楽を提示してくれて、遥か遠くの国の、ほとんど誰にも聞かれていないような音楽も教えてくれるし、月に2000円も払わずに過去の名盤から最新のインディーミュージックまで聴き放題だなんて、岐阜の片隅で近所のTSUTAYAとたまに名古屋のタワレコに入荷する輸入盤に頼っていた音楽を聴いていた頃からすると夢のようだ。 昔々は限られた資金か

    • 雑記 22 / ぜんぶ太陽フレアのせい

      この数日の、良いも悪いもひっくるめて全部太陽フレアのせいにできる感じがとても良い。メールが返ってこないのも、仕事がなかなか終わらないのも、ヤクルトスワローズが現在リーグ最下位(今日は勝った)であるのも、売上が良いのも、ぜんぶ太陽フレアのせいかもしれない。ワクワクする。やっぱり神的なものって人類には必要なんじゃないか、と思える。 いろんなことを放り出して「ま、太陽フレアがね…」で済ませていけるとはなんて楽で心地良いんだろう。 もちろんそのような投げやりさを否定してきたのが近現

      • 雑記 21 / カロリーの呪い

        以下のテキストを書きながら「あれ?もしかして健康管理ってレベルではなく、病む寸前のポイントで自分は生きてきたのか?」と気づいてしまって驚いた。 気分としてはナチュラルに、意識高い感じで生きてたつもりだったけれど。 * この数週間でベルト穴ひとつ分とその半分くらい痩せた。痩せるつもりはなかったから驚いた。不思議。 自分の体調と体型は見た感じと服の着心地と身体の動きで判断している。体重計に乗る習慣はない。体重計に乗ってしまうと自分の生活を全て数字でコントロールしようとしてし

        • 展覧会の前日にすること思うこと

          展覧会が始まる前日にはいつもお花とお菓子をたくさん買い込む。 白白庵から表参道方面に抜けて、いくつかあるお花屋さんと、いろいろあるお菓子屋さんをその時にしっくりくるものを目指して巡る。 会場を素敵に仕上げるために、そして翌日からの来客のためにとたくさんのお花とお菓子を抱えていると何か善いことをしている気分になる。 世界を少しだけ美しくして、誰かを少しでも楽しませるためのことだからきっとこれは徳を積んでいるんだ、とすら思える。 特に今日みたいな初夏の陽気で買い出しに行くと最高

        雑記 23 / 音楽の聴き方、サブスク、長い前置き

          world's end girlfriend / 抵抗と祝福の夜

          まだ耳鳴りが続き、この世界にフィルターがかかっていて、24時間経ってこれを書いている今も現実感を取り戻せずにいる。 5月8日(水)にEX THEATER ROPPONGIで行われたworld's end girlfriendのライブ『抵抗と祝福の夜』。 今まで生きてきた中で一番でかい音を浴びた二時間半だった。 最初の一音が鳴った瞬間に文字通り身体が震える。物理的に身体が揺さぶられてその轟音に包まれながら、じわじわと細胞ひとつひとつに音が染み込んで、とめどない意思と音の奔流に

          world's end girlfriend / 抵抗と祝福の夜

          雑記 20 / 気がつけば一ヶ月以上

          書くことを習慣づけ、かつ文章力を上げるために毎日noteを投稿すると決めてすでに一ヶ月以上が過ぎた。 だいぶ、習慣として身体に馴染んできた気がする。むしろすでに「書かなきゃ・・・」みたいな脅迫観念がむくむくと湧いてきてもいる。 別に誰に求められているわけでもないし、毎日書くと決めたのは自分なので、連続投稿を止めたところでどこかに迷惑がかかるわけでもない。 けれども、「今日書かなかったら明日やるのがだるくなるな」「明日書いたとしても、その先に常に『一回くらい休んでもいいかな』と

          雑記 20 / 気がつけば一ヶ月以上

          静物画と家とギャルと自然

          白白庵での大槻香奈個展『死んじゃいけない星』が終了して間髪入れず、アートコンプレックスセンター(以下ACT)で大槻さんによるキュレーション展が始まった。 五つの部屋で構成されるACTのうち三部屋での開催。 それぞれ『静物画といっしょ』『こわれてない家』『ギャルと自然』、総勢15名参加の大規模グループ展。 『死んじゃいけない星』というタイトルからのこの流れ。勢いが良すぎて大笑いしてしまった。 『日本現代うつわ論』でお世話になっている方々も多数参加、いろんなところで作品を拝見し

          静物画と家とギャルと自然

          『死んじゃいけない星』の終わりに

          白白庵での大槻香奈個展『死んじゃいけない星』が終了しました。 会場に足をお運び頂いた皆様、オンラインで見守ってくださった皆様、関係各位、そして作品をお選びいただいた皆様に深くお礼申し上げます。 会期中にはたくさんの言葉を、多くのお客様と交わしました。 すごい盛り上がりでした。『日本現代うつわ論』で大槻さんを知ったというお声や、時にはこのnoteを目にしてご来場くださったというお話もいただきました。 とても嬉しいことです。何も気の利いたことが言えないくらいに。 このアカウン

          『死んじゃいけない星』の終わりに

          『死んじゃいけない星』と「あなたの感想」

          今さらの話ですが、大槻香奈個展『死んじゃいけない星』に関しては準備段階から強い思い入れを持って臨んでいます。 前回の個展以降、仕事とは別に『日本現代うつわ論』を毎年一緒に作り、この本による様々な活動が大槻さんの作家活動と密接にリンクするため都内近郊の展覧会には常に顔を出しています。近しいところで作品を追いかけているが故に、現在の作品の良さや面白さ、そして同時に分からなさも自分なりに把握しています。今回の出展作品も受け取った段階で素晴らしいということは確信できましたが、それを展

          『死んじゃいけない星』と「あなたの感想」

          『死んじゃいけない星』の少女ポートレート作品について語るときに

          大槻香奈作品の少女ポートレート作品について語るときに我々の語ることといえば、「作品を前にするとそれについて語る言葉を本質的に失ってしまう」、ということではないかと思います。特に今回はその感覚が強くあります。 もちろん批評は可能です。聖母像から続く女性ポートレートの歴史的文脈があり、そこに連なるあらゆる女性像の現代的なモデルとして、日本という国での同時代的なアニメーション的表現が取り入れて云々。かつ制服という記号と16歳という年齢設定によって想起される社会的意義が云々。そう記

          『死んじゃいけない星』の少女ポートレート作品について語るときに

          日記 / オフの日

          小学館の図鑑NEOアート『図解はじめての絵画』にも掲載されている尾形光琳の『燕子花図屏風』。息子はこれが気になるらしく、何度も眺めていた。 https://note.com/aoyama_qtaro/n/n2c53f926f3e2 調べてみるとちょうどよくタイムリーに根津美術館でこの作品が展示されており、今日は仕事もオフだったので予約して表参道へ。 GWの館内は国内外からの観光客でごった返しており、目的の『燕子花図屏風』はあまりゆっくり見られなかった。 「大きいね。図鑑

          日記 / オフの日

          雑記 19 / 作品について語るときに我々の

          日々の仕事で「説明する」の比重が大きく、また様々なアーティストのいろんな感覚を日常言語に置き換える作業も多いため「ロジカルな言語感覚を持った人」と言われることもある。 しかし本来自分は直感的な人間であり感覚的なものの方への反応が強い。 最近低下してきたものの、記憶力が割と良いので、直感に対していろんな引き出しの中身を繋ぎ合わせてそれっぽくまとめることができる、というだけではないかという気がする。 表面的にはロジカルのように見えても、実は結論ありきの組み立てなので、本質的には

          雑記 19 / 作品について語るときに我々の

          作品の力、言葉の力

          このnoteを始めた理由、そしてこのnoteを毎日更新している理由は、自分の人生で出会う、この世界の素敵な出来事や物事を自由に書き記すことができたら楽しいだろうな、という憧れとそのための文章力を身に付けたいという思いからだ。 そんな文章力は本当に身に付くかわからないし、そもそも言葉や文章にそれだけの力を持たせることはできるのだろうか?という疑問もある。 それでも手を動かしてみないとそんなことはわからないし、考えながら繰り返していくうちに、自分でもまぁまぁと思える地点には辿り

          作品の力、言葉の力

          日本現代うつわ論、『死んじゃいけない星』

          『日本現代うつわ論』という本を2021年から作っている。 長くなるので端折って書くけれども大槻香奈さんが「わたしが作品に描いている物事を言語化しないといけない。『うつわ』という感覚を本にしたい」と言い出したのがきっかけだった。「あぁそれは面白そうですね、本作ったことないけど、僕本好きだし手伝いますよ、なんとかなりますよ」とノリと勢いでスタートして年に一冊、既に三冊発刊している。詳しくは内容については下記リンク先の巻頭言にて。 https://note.com/kanaoht

          日本現代うつわ論、『死んじゃいけない星』

          『死んじゃいけない星』の『死んじゃいけない星』

          カントが言うには美的判断とは主観的で個人的なものである。しかしそこで判断された「美」は普遍的妥当性を持つものであるが故に、他者への共感を求めることになる。私による「美しい」という判断は同じ時代に生きるあなたへの共感を求める。 『死んじゃいけない星』は非常に力強く、シンプルに「美」と言い切るにはもっと特殊で個人的な感情を想起させながら、しかし同時に普遍的な強さを持っている。カントなら「崇高」と言うのかもしれない。字面からの印象は異なるけれども、そうした名状しがたい何かを強く提

          『死んじゃいけない星』の『死んじゃいけない星』

          雑記 18 / わからなさと芸術

          芸術と向き合うときの「わからなさ」が実はとても重要で、その「わからなさ」を面白いと感じて向き合うことができるか否か。簡単にわかってしまうことよりも、そのわからなさの部分に本当の面白さは転がっているはずだ、という話を今日は店頭でしていた。自分自身の思いとして。 「わかる」ということは難しい。 その知識に関する全体像を把握していないと、本当に理解しているかどうかを判定することはできない。「自分はこれを分かっている」と定義するためには、「分かっている」かどうかをジャッジするための

          雑記 18 / わからなさと芸術