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馬場あき子の歌には鬼が隠れていた

『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』    (2023年/日本)監督:田代裕 出演:馬場あき子 語り:國村隼


90歳を越えた歌壇の第一人者 その飾らない、凛とした生き方
教員生活のかたわら、歌人として活躍し、同時に能楽喜多流宗家に入門。短歌と能の世界で創作と評論を続け、2019年に文化功労者に選ばれた馬場あき子の、93歳からの一年間を捉えたドキュメンタリー。老いてもなおエネルギッシュで率直な知性とその半生が描かれる。

馬場あき子は短歌をやる前に『鬼の研究』を読んでいたので、もっと恐ろしい短歌を作る人だと思っていたらそうでもなかった。虫とか多いのだが、虫好きな歌なので恐ろしい歌はないように思う。馬場あき子の魅力は一方で能などの古典に詳しいが若い頃は夫の影響で組合運動とかに関わっていた人で、日本の現代史をそのまま体験した経験と古典の知識がバランス良く培われた歌人なのである。

もう一つは教師だったこともあり、面倒見の良さだろう。それは面倒を見ることも自分の趣味として見返りを求めないという気風の良さが90歳を過ぎても若い人と接することが出来る魅力なのだろう。それは新しもの好きの好奇心もあるようだ。

短歌では古典から現代までなんでも詠める作風であり、無類の虫好き、そして古典の確かな知識は能の舞台の脚本も手掛けるほどであり、人間国宝の方々が先生と呼ぶほどの人なのであった。それでも威張る人ではないし、若者とも自然に接することが出来る人のようだった。

このドキュメンタリーの中でそれまでの全集が出版されたのだけど、三段組でソフトカバーという携帯タイプの本にしたというのも好感が持てる。

藤原定家の打ち消しの方法についての解説が見事だった。

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

花も紅葉も「なかりけり」と打ち消しているのだが、言霊として意識の中に残るから下の句の「浦の苫屋の秋の夕暮れ」がいっそう華やかに輝くのだという。

それは鬼の怨念みたいなもの、女性は怒りを打ち消す(男尊女卑の世界だから)が怨念は残ってしまう。それが蛇や鬼の姿として出てくる。そういうことと日本人の抒情は繋がっているという。それで「鬼の研究」と短歌が繋がったような。


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