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「眠らない樹」とは何か?

『短歌ムック ねむらない樹 vol.5』

新体制でのリニューアル号!巻頭エッセイ大前粟生「日々の時間のこと」
特集1短歌における「わたし」とは何か?座談会「コロナ禍のいま短歌の私性を考える」(宇都宮敦×斉藤)斎藤×花山周子)
大辻隆弘「「私性」という黙契」荻原裕幸「作中主体って何」?柴田葵「正直になりたい」井上法子「さすがない「わたし」たち――「幻想」のむこうがわかる」山内志朗「内臓と鬼火と星空と――短歌における〈私〉ということ」吉田恭大「メラーニアから斉藤斎藤についての私論」
◎アンケート米川千嘉子/我妻俊樹/大塚寅彦/嶋田さくらこ/東郷雄二/堂園昌彦/土井礼一郎

特集2学生短歌会からはじまった
土岐友浩「二〇〇九年の春」学生短歌会アンソロジー(廣野翔一選)三上春海「〈さびしさ〉について」(北海道大学短歌会)浅野大輝「ぼんてん」(東北大学短歌会)青松輝「doubleheader」(東京大学Q短歌会)髙良真実「歴史と伝統、韻律について」(早稲田短歌会)鈴木加成太「明日が幽霊」だったころ」(大阪大学短歌会)井村拓哉「上終の歌」(上終歌会)川上まなみ「たったひとつ」(岡山大学短歌会)石井大成「二年半と放り投げられた石」(九大短歌会)

特集3くどうれいん
工藤玲音エッセイ「夏のUターン」、短歌「花束に氵」、俳句「洗顔」対談「ミステリアス
になりたい! 」(くどうれいん×スケラッコ)
◎私の知っているくどうれいん神野紗希/千種創一/郡司和斗/山下翔/溺愛/松本てふこ/仲間桃子

作品20首
岩倉文也「紙飛行機」
牛尾今日子心「やさしく」江戸雪「ユートピア」九螺ささら「ジンルイ」田村元「旗を立てれば」千葉聡「トモロウ」松野志保「五月の欠片をひろい集めて」光森裕樹「だましぶね」

第2回笹井宏之賞受賞者 最新作 鈴木ちはね
「tokyo2020」榊原紘「幽霊とスノードーム」曾根毅「白い灯」乾遥香「ありとあらゆる2」橋爪志保「冬薔薇」渡邊新月「指保留」 』小俵鱚太「ずっとねむたい」

特別寄稿大森静佳「カミーユをめぐる旅」

ハイパーミサヲ「冬野きりん」だった私はプロレスラーになった」
大岩雄典「助動詞のインスタレーション」
笠井瑠美子「短歌と製本」
コラム
谷じゃこ/伊藤紺/戸田響子/日置俊次/法橋ひらく/宮川聖子/堀静香/浪江まき子

出版社紹介文・目次

特集1短歌における「わたし」とは何か?

最近気になっていた短歌の「私性」の問題。それは結社で暗黙のルールとして、歌の背後には「わたし」の存在(視線)があるということだった。

寺山修司の虚構性短歌から入った者としては、いまだにそんなことをやっているのかと思ったが、この短歌における「わたし」性はけっこう根深い問題だったのだ。日本の詩歌全般にかかわる問題であり、『万葉集』からの伝統なんでと言われてしまうとちょっとなとは思う。それが敗戦によって日本の短詩型の問題。定形で共同体に自我を叙情性に同調させてしまうのはどうかという意見が外から出てきた。

それが敗戦によって日本の短詩型の問題、定形で共同体に自我を叙情的に同調させてしまう。例えば日本の演歌調歌詞とかの日本のふるさとというような。その批判が敗戦時に出てきて前衛短歌の虚構性短歌も作られるようになった。しかし、現代は最近の文学全般的な流れか保守化していく傾向にあり、再び内輪だけの世界になりつつあると理解した。

特集2学生短歌会からはじまった

例えば、「学生短歌会」の特集は定年過ぎに短歌に目覚めた者にとっては内輪以外の何ものでもないと感じてしまう。最近の短歌がそうした若い世代によって拡散しているのは事実なのだが、それは日常詠の中に潜む閉鎖性、同調圧力的なものを感じないわけにはいかない。短歌が結社社会やこういう大学の短歌会だけの世界ならば、閉鎖的と思われても仕方ないのじゃないか。あとビジネスの問題も在るのだと思う。批評性よりも売れてなんぼの世界。最近映画のツイートなんか見ると映画には多くの資本と人員で成り立っているのだから、安易な批判はするな的な意見がはばを利かす。短歌界のなかでも出来るだけ共感する部分を観ていこう。そうやって育てていこうとするのだが、それは売れ線だけなのである。

特集3くどうれいん

その見本とも言うべき特集が「くどうれいん」とひらがなで表記するアイドル歌人だった。実力はあるのだろうけど売り方がアイドルだった。そういえば俵万智に似てないこともない。なんだろう。第一回笹井宏之賞の柴田葵ではないのか?正直彼女ではアイドルにはならないからだと思う。ただ彼女の短歌は面白いと思うのだが、「わたし」が短歌に直結してしまうのかな。「くどうれいん」という歌人はみんなのアイドル的な作られていくイメージなのである。

この号で一番おもしろかったのは、かつては投稿歌人だった「冬野きりん」がプロレスラーになって「ハイパーミサヲ」になったことかな。そこには短歌世界で生きてはいけないものを感じてしまったから別の表現を見つけたのだろう。短歌界に居ないのは惜しい人材だとは思うけど

ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる  冬野きりん・女・18
どこまでものびてゆくクレヨンの線は真正面から見たらただの点

『短歌ムック ねむらない樹 vol.5』



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