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猫の日や普通の人がツチを殺す

一日置きに猫の日だった。動けない。右足が痛くて。まあ、それほどでもないのだが、先日転んで捻ったのか足の付根が痛くなっていた。かさぶたもこの年になると治りにくいな。いろいろ問題はあるが今日は外に出る。

そのために昨日は返却本を作るために二冊読んだのだった。シン・俳句レッスンも急ピッチでやって短歌は、また躓いた。なんでこんなことをやっているのか絶えず疑問なんだけど、正岡子規はこのままでは短歌は滅びるだろうと「歌よみに与ふる書」を書いたとか。自身の病気と短歌の滅びの姿を重ねて、短歌はそういう危機的状況になるとしぶとく復活してくるのだとか。その線だと思った。幻影でしかないという言葉の世界なのだ。

言葉の世界で生きようと思ったのだ。昨日はある程度言葉を残せたからいい。そのぐらいだった。今日もこのあとに「シン・短歌レッスン」だな。今読んでいる『短歌と日本人〈2〉日本的感性と短歌』は面白い。内輪だけでなく短歌以外の作家のエッセイとか目の付けどころが違うというか、いろいろ勉強になる。俳句の方が保守的だと感じる。

Amazon Primeで『バッド・キッズ』を観終わった。12回シリーズの中国ドラマ。映画『ゴールデンボーイ』のオリジナルドラマだったが、日本の映画とは全然違った。ドラマの方は子どもたちが置かれている環境はバッドであるみたいな。日本の映画はサイコパスの少年犯罪だった。そういえば韓国映画『魔女』もやっていたのでなんとなく観てしまったがこういうサイコパス映画が最近多いな。世界がサイコパスではなくて人がサイコパスなのだ。そこを生き抜く壮絶な闘いというような。なんでそんなに闘うのかと思ってしまう。世界は無情なのに。ドキュメンタリーで「ルワンダ虐殺」を観た。そういう世界なんだ。今日の一句。

猫の日や普通の人がツチを殺す  宿仮

「ルワンダ虐殺」に掛けた。フツ族がツチ族を殺すということだった。

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