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シン・短歌レッス132


王朝百首


わびぬれば身をうきくさのねを絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ  小野小町   

小野小町は夢の和歌だと思ったらさすがに天邪鬼大王(勝手に名づけた)塚本邦雄ならではの選か。小町の代表作だが、小町が小娘というよりも遣り手婆婆(おばさん程度か)の時に文屋康秀に言い寄られたときの一首。

そのとき文屋の歌は記述がないので、どうでも良かったのかもしれない。文屋の歌は、これまたどうでもいい理屈めいた歌が百人一首に載っていた。

吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀

『百人一首・22番』

小町こそは『古今集』の花であり女歌の原型とする。業平と共に伝説になった歌人だが、伝説の部分は哀れさが多いのはそれこそ女性アイドルの原型であるからなのか?

旅人の歌

『短歌と日本人〈2〉日本的感性と短歌』伊藤一彦「旅人の歌」から。

日本古来旅人の歌は多い(日本に限ったことではないな。)『万葉集』には、

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る 有間皇子

「草枕」は死地への旅を連想させるもので、今のように帰還できるとは思えなかったのだ。だから帰還する神話が成り立つのである。この時代遣唐使にしても柿本人麻呂のような官僚にしても地方勤務では死地に赴くような心持ちだったのだろう。

草枕旅の宿に誰が夫か国忘れたる家持たまくに  柿本人麻呂

『万葉集』

柿本人麻呂の石見相聞歌だが聴き逃しで長歌の解説していた。

【聴き逃し】こころをよむ 万葉びと、その生と死と(4)愛と別れと

#radiru

旅の無常観を人生に重ねたが西行ということだった。

あかずのみ都にて見し影よりも旅こそは月あはれなりけり 西行

『山家集』

若山牧水は西行の歌を愛し、有名な桜の歌も仏教説話というよりは日本の原風景に還る歌として読んだという。

ねがわくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ  西行

けふもまた こころの鉦(かね)をうち鳴らし うち鳴らしつつ あくがれて行く  若山牧水

牧水の旅と対照的だったのが長塚節の旅の歌であった。節は牧水のように酒や宛もなく旅するのではなく、帰還(貧乏旅行というとバックパッカーのようだったのかも)であったが羇旅歌(万葉調)になっていく。

とこしへに慰もる人もあらなくに枕に潮のおらぶ夜は憂し

現代で最も旅に関心があるのは、佐佐木幸綱だという。西行・牧水・節から短歌では旅人の歌が多い。代表的な二首を見てみる。

列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし  寺山修司
旅立ってゆくのはいつも男にてカッコよすぎる背中見ている  俵万智

寺山修司が少年と歌い、俵万智が母性的な歌なのが興味深い。

島田修三「神女を演ずる男たち」

『短歌と日本人〈2〉日本的感性と短歌』島田修三「神女を演ずる男たち」

万葉集などに男性歌人が目上の上司に宴会の贈答する歌などに双方で女歌として表現することが多いという。

わが背子が国へましなば霍公鳥(ほととぎす)鳴かむ五月は寂しけむかも
君なしとな詫びわが背子霍公鳥鳴かむ五月は珠を貫(ぬ)かさね

親密さを表す「背子」という言葉は本来女性から男性への言葉であったという(先ほどの俵万智の男の背中というのもそんな意味合いなのかもしれない)。さらに「珠を貫(ぬ)かさね」は性的な意味があるという。珠(腕輪)を貫通させよとか?

宴会の歌が上司との上下関係の中で自身を女や子供に仮託するときそこに明らかに服従する意味合いがあったのだ。それがジェンダーの捻れとして、男が詠う女歌という宴会芸として歌があった。

古代儀礼の研究によって短歌が歌垣から始まったとされ、その時に女性の贈答歌は性的な誘いから身をかわす女歌の発想や手法があった。

神事から始まった歌は神としての男に仕えることで豊穣を約束した(女が負けること)。

神婚における歌舞・宴会と言った服従的な儀礼が贈答歌に受け継がれて「おんな歌」という独特の世界を形作って行った。

無常観の伝統と現代ー短歌と死生観ー

『短歌と日本人〈2〉日本的感性と短歌』坂井修一「無常観の伝統と現代ー短歌と死生観ー」から。

橋本治がむさ苦しい吉田兼好『徒然草』よりも清少納言『枕草子』を好むというのは、アンチ小林秀雄だからからもしれない。ここでいう「無常観」とは小林秀雄の「無常といふ事」を言い表している。それが短歌の伝統である業平から西行・実朝・長明・兼好と隠者思想を形作っていく。

それは死生観と言ってもよく、例えばそれは近代短歌でも正岡子規から斎藤茂吉まで受け継がれているという。そのような無常観=美意識が死の観念としての彼岸を詠む歌とともに、俵万智のような現実を詠む歌人に分かれるのだろうか?

西行「歌人論 劇」

吉本隆明『西行論』から「歌人論 劇」。

新古今集の極限の理想形は藤原定家の言葉だけの絵画世界を詠んだ和歌だとする。

春の夜の夢のうきはしとだえして嶺にわかるゝよこぐもの雲 藤原定家

それに対して西行の和歌は絵画的イメージを算出するが、歌の意識の中にどこか西行の「西行的なるもの」を残している傑作郡は『新古今集』には納められずに「『新古今集』なるもの」の和歌であった。つまりそれは藤原定家の理念とは対立するものだった。

ひはりあがるおほのゝちはらなつくれば すゞむこかけをたづねてぞ行

『山家集』

涼む木陰を目指していくのは西行であり、他の誰でもないのだ。その特徴は恋歌にこそ現れるという。

かきみだる心やすめぬことぐさは あはれあはれとなげくばかり

『山家集』

それらの歌は題詠として詠まれたにもかかわらず七転八倒する西行の姿を現さずにいられない。この「西行てきなるもの」は『新古今集』では包容しきれずに無難な西行の歌を選ぶしかなかった。『新古今集』での西行は確かに多くの歌が掲載されてはいるが、それは「『新古今集』なるもの」によって切り取られた西行の姿であるとする。

さてもあらしいま見よ心思とりて 我身は身かと我もうかれむ

『松屋本山家集』

西行が出家すると決めたがなかなか出難しがたい気持ちを口ごもりながら詠んでいるので、わかりにくいという。そうした劇的な場面に何度も立ち会っては歌を詠んできた西行なのである。それは帝の争いごとに巻き込まれ、現世の世界を離脱しようとするにもかかわらずにいる西行の姿であり、内省の過程を歌にすることは極めて自然であることだったのだ。

西行の劇というのは桜の歌に多いという。それは西行が『古今集』の世界から相聞としての恋歌を模倣しているから、恋歌の劇(恋の道)なのだという。そのときに西行は当たり前のような比喩を詠むのではなく、象徴性という内面の心を見出したという。逆に月の歌は、釈教歌のような仏道を目指した歌が多いという。

ただ月の歌はそれほど斬新ではないという。吉本のわかりにくさだと思うが留まってしまう歌が多いからかな。桜の歌は桜の方に引き寄せられて道を行くという能動的なのに対して、月は停滞している静的な感じなのか?

吉本の西行論は、目崎徳衛の西行論の発展系のような気がするが、そこに吉本が西行の後ろに親鸞を見ているような気がする。そこに「信」という信仰の問題が出てくる。これは虚構性をどう「信」に発展させていくかの問題になってくると芸術論を超えて哲学的な論理の話になっていくのか、吉本が小林秀雄を見ているのは確かなのだが、このへんは難しい。

源氏物語の和歌

高野晴代『源氏物語の和歌』から。一度読んでいた。源氏物語の和歌は、物語のストーリーがあるので比較的に和歌は理解しやすいと思う。まあ、最近の現代語訳なら和歌も翻訳されているので。

限りとて別るる道の悲しきに行かまほしきは命なりけり 桐壺更衣

『源氏物語』で和歌を学ぶのは紫式部は基本的なことを押さえているからです(当たり前か)。和歌のほとんどは相聞歌で、橋本治によるとそれが高貴な天皇と一般の貴族が対話するツールだった。庶民はまだ書き言葉を習得していないので、それほどないだろうけど、この時代に女性は仮名文字で会話できたという。この歌の前の桐壺帝の歌が出ていないのだが。

「限りあらむ道にも後れ先立たじと契らせ給いけるを。さりともうち棄てては、え行きやらじ」と言って更衣にすがりついた。その桐壺帝の言葉から「限り」「道」「行く」の三語を取り込んで返歌したのである。たいてい女は男と逆のことを言うのかな。これは贈答歌の典型であるという。

見し人の煙を雲とながむれば夕べの空もむつましきかな  光源氏

夕顔が突然死して、相聞歌ではなく光源氏が夕顔を偲んで詠んだ独詠歌である。『源氏物語』では人が亡くなると独泳歌を詠むシーンが多いのだ。この歌は紫式部が夫である藤原宣孝が亡くなったときに偲んだ歌と類似しているという。

見し人の煙となりし夕べよりなぞむつましき塩竈の浦  紫式部

憂き身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問わじとや思ふ  朧月夜

光源氏が朧月夜の名を執拗に尋ねたときに、朧月夜から先に贈答歌を贈ったのがこの歌だという。贈答歌における女性の機転の早さと切り返しの見事さに光源氏は「艶になまめきたり」と感心するのだ。意味は私が名乗らないと草(墓場)をかき分けてでも私を探さないのか?と問う。光源氏は

いづれぞと露の宿りを分かむ間に小篠が原に風こそ吹け  光源氏

噂になると困るからと返歌して扇子を交換する。後にそれが政敵である右大臣の姫だと知る。

袖ぬるる泥(こひじ)とはかつは知りながら下り立つ田子のみづからぞ憂き  六条御息所

六条御息所は天皇の妻だけに『源氏物語』でも随一の詠み手だったようだ。本歌取りや掛詞などのテクニックが随所に現れる。泥=恋路とか。光源氏との贈答歌のやり取りは、言葉の応酬なのだが「もののけ」になっても和歌を詠み続ける人だった。

NHK短歌

「“私”に出会おう ~2年目の飛躍~」。テーマは「オノマトペ」。選者は川野里子さん。レギュラー出演者、内藤秀一郎さんと深尾あむさん。司会はヒコロヒーさん。

「オノマトペ」は表現技術としてはかなり高度だ。自分のオリジナルを作ることが出来るので、短歌もありきたりな歌ではなくなる。「オノマトペ」の効用としての最近話題のガイド本。『言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか 』今井 むつみ , 秋田 喜美

擬態語と擬音語。

鯉のぼり
ほうとふくらむ
くたと降る
この緩慢なる
力見よとぞ  川野里子

打楽器は
ごんぼごんごと
闇を打ち
アフリカの月
膨張しはじむ  永井洋子

あと日本の漫画はオノマトペの宝庫ということだった。巨人の星とか見ると「カキッーン」とか「ズサッ」とかなのか。

2024年のうた

『短歌研究2024年5-6月号』から「2024年のうた」。

馬場あき子「うつむいて春」

ニュースの一部をAIが言ふならかさ素直にわれが聞いてゐるなり

馬場さんがAI短歌を詠む時代なのか?今のニュースはAIなのか?

街路樹の南京黄櫨も若葉して尻手黒川道みづみづとせり

尻手黒川線は以前よく通っていたので懐かしく。そういえば馬場さんはあのあたりに住んでいるのだった。

冷凍パックされし蜆にいと小さく宍道湖(しんじこ)産と記されてあり

宍道湖が読めなかった。鳥取県なんだ。蜆の産地。

やはらかき苔を集めて巣づくるツツピーツツピー戦争はいや

馬場さんのオノマトペ。

俵万智「白き父」

サルタンバンクの絵はがき間近に見せうやれば「ピ、カ、ソ」と動く唇

「サルタンバンク」はピカソの作品のようだ。

「お父さん万智やで」としか言えなくて「やで」ってなんやと思う枕辺

父の臨終うたなんだが、口語的に明るい。そういう演出なのか?

愛用のマウスは金属含むから「棺の中にはいれられません」

これも口語短歌。下の句は「棺の中に」で七音なのにな。「は」を付けることでより口語らしく感じるものなのか?

モノとして焼かれるという現実をカサブランカがふわっと隠す

これは「モノ」と「心」のパターンか?NHK俳句でやった。

心って燃えるんだっけ骨となり箱詰めされてゆく白き父

これも「心」と「モノ」の続き。やっぱ上手いな。

偉そうなところほんまになさすぎてそこがほんまに偉かったひと

これは俵万智の父親像だけではなく、すべての父親像に対して歌っている。

父の死を美化して語る母といて書き割りのような今年の桜

桜を持ってくる伝統性か?自分で書き割りと言っているのが凄い。それも母を絵にして。

穂村弘「あなたには」

真夜中のバーミヤンは明るくて死後かと思う味がしなくて

穂村弘は口語の現代仮名遣いだった。それでいいんだよな。

ふうふうと小籠包を吹いている欧陽菲菲の子どものように

このへんのダジャレ的縁語は、もう古いのかもしれない。欧陽菲菲世代だものな。

目が大きいと理由でライオンとヒョウに噛まれた松島トモ子

なんで急に松島トモ子が出てきたんだ?

「フランシーヌの場合」について語り合う三月三十日だったから

これは世代的によく分かる。


間に合わない夜よ、間に合わない夢よ、間に合わなかった葛根湯よ

リフレインだから短歌のリズムを外しているのか?ただ最後過去形にしたのが技かな。なんかいい!

シリカゲルを愛する猫がシリカゲルと絶交そして記憶喪失

漫画のようなフィクション。

たくさんの和製シャーリー・テンプルが歌って踊って泣き出す春を

シャーリー・テンプルはポップのアイコンか?元祖少女アイドル。「推しの子」にしないのがいいのかな?

映画短歌

『悪は存在しない』

今日は穂村弘に倣って短歌のリズムを崩そう。

間に合わない夜よ、間に合わない夢よ、間に合わなかった葛根湯よ 穂村弘

 サクラサクサクラサクサクラ 散ってしまった桜よ、よは夜よ

イマイチ言葉遊びが出来なかった。「フランシーヌの場合」にすれば良かったかも。

「フランシーヌの場合」は「悪は存在しない」は存在しない

ちょっと哲学的堂々巡り。

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