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夜明けを迎えられない少女の話

『午前4時にパリの夜は明ける』(2022/ フランス)監督ミカエル・アース 出演シャルロット・ゲンズブールキト・レイヨン=リシュテルノエ・アビタメーガン・ノーサムエマニュエル・ベアール/ティボー・ヴァンソン

解説/あらすじ
1981年、パリ。街は選挙の祝賀ムードに包まれ、希望と変革の雰囲気で溢れていた。そんな中、エリザベートの結婚生活は終わりを迎える。ひとりで子供たちを養うことになったエリザベートは、深夜放送のラジオ番組の仕事に就くことに。そこで出会った家出少女のタルラを自宅へ招き入れ、交流を重ねるなかでエリザベートやその子供たちの心に変化が訪れる――。夫との別れ、芽生えた恋、子供たちの成長、そして下した決断とは…。人生で訪れる様々な変化を乗り越え、1 歩ずつ前へと進んでいく彼女の姿は力強く、観る者の心を掴む。些細な、あるいは平凡にさえ見える出来事こそが人生の一大イベントであり、本当の意味でのドラマチックな変化だということに気づかせてくれる。

coco映画レビュアー

邦題につられて観に行った。「午前4時」という言葉は、フィリップ・K・ディック『暗闇のスキャナー』で午前4時に集うドラッグストアーの若者たちというあとがきがあうのだが、ほとんどジャンキーで死んでしまった。ディックは彼らを救えなかった。そこに後期の神学的世界に入り込むのであった。

この邦題を付けた人は、それを意識していたのか?平和なシングルマザーに助けられるのがホームレスの少女。彼女は後で麻薬中毒者になってしまう。ただ原題は「Les Passagers de la Nuit」だった。「夜の訪問者」という感じか?「Passagers」が「見知らぬ」というか異邦人性みたいな感じなのか、その少女の「夜明け」はないのである。

語り手法としては息子からシングルマザーの母親を描いた映画だ。80年代、ミッテラン(左翼系?)大統領が誕生した映像から始まる。それは希望に溢れた時代だったのか?

それが過ぎてシングルマザーとして職を探すエリザベート(シャルロット・ゲンズブール)が深夜ラジオ放送のスタッフとしての仕事を見つける。ラジオ局というのがその一世代前のヒッピー世代の象徴であったが時代はTVと共に衰退産業である。とくに深夜番組などは。それでも一定のファンはいるのだ。その時間に働く者とか眠れない生活をしている者など。そういうラジオ文化は日本でも70年代前後にあったと思う。深夜放送やフォークブームの頃など。

シャルロット・ゲンズブールは、父がセルジュ・ゲンスブールで母がジェーン・バーキンの芸能界のスターとして生まれたような女優だった。少女時代から注目されて、現在でもそれなりに雰囲気のある役を演じている。この映画でもベッドシーンがあった。シャルロット・ゲンズブールのイメージがちょっと不良っぽさの感じがあったのだが、ここでは模範的なシングルマザーだった。役柄的に広末涼子に似た部分があるかなと思ったりして見ていた。そんな優等生役なんだが、なんか違和感があるのだ。

映画はそんなシングルマザーが子供たちのために一生懸命働いていた平和な情景を描いている。その中に一人の異邦人として少女がやってくるのだが。結果的に少女はその家を出ていかざる得ない。その理由はあまりにも幸せ過ぎる家族だったからなのだと思う。離婚した父が残したレコードを掛けて家族でダンスするシーンがあり、そこが一番良かったかな。そのレコードの曲がセルジュ・ゲンスブールのヒット曲(未確認、違いました。ジョー・ダッサンというポップス歌手はゲンズブールの対極にいる人だった)のような気がした。そういう時代のノスタルジアとしての。ただその中に強引にダンスさせられる中に少女は場違いだと思ってしまうのだ。

それが直接の原因ではないが、家族と少女の間にある距離を埋めることが出来なかった。それはノスタルジーとしての思い出であり、彼女は「Passagers」として風変わりな客としてやってきたに過ぎなかった。幸せなシングルマザー時代(それは苦労もあった)の一コマであり「夜明け」は彼らに用意されたものであったのだ。

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